第5話 誘いの街角・二

「もう大丈夫だ。えーと……」


 安心させようとして女の名前を知らないことに気づき、御行みゆきは言いよどむ。呆けた顔をしていた女は我に返るとゆっくりと瞬き、表情を緩めた。


「……樟葉くずはでいいわ。ありがとう、助けてくれて」

「さっきあいつに言ったとおり、困ってる奴を放っておけないだけさ」

「実際に動いたのは僕じゃないですか。まあ、この程度なら準備運動にもなりませんけど」


 太刀を鞘に納めて戻って来た春日はそう口を尖らせる。樟葉はこの一番の恩人に目を向けると、すぐ彼に歩み寄った。


「貴方、名前は?」

春日かすがです」


 春日が答えると、樟葉はにっこりと笑んだ。


「ありがとう春日君。貴方、見かけによらず強いのね」

「どういたしまして。樟葉さんも大変ですね、あんなのに追いかけられて。あれ、一応人間のかっこしてましたけど、あやかしでしょう?」


 と、春日は樟葉に同情する。やはり彼も、あの男が放っていたよどんだ気配に違和感を抱いたようだ。

 そうなのよ、と憤懣やるかたないといった様子で樟葉は腰に両手を当てた。


「ある山の天狗に気に入られてしまって、ああしてつきまとわれているの。今までは撃退していたのだけど、何日か前に隙を突かれて捕まってしまって、なんとか逃げてきたのよ」

「えー、天狗に捕まって逃げてきたんですか? 樟葉さん、よく逃げられましたね」


 強いんですねえ、と春日は感心したふうで何度も頷いた。


 天狗は鬼と同様、人間が変じたあやかしの一種だ。おぞましいと言えるほど強い感情を抱えたり倫理に悖る行いをしたために、心のみならずその身までもが人ならざるものに変じてしまったのだという。よって、その性状は残忍かつ己の欲望に忠実なものがほとんどで、長く生きるうちに身につけた秘術で人をもてあそぶこともある。かの災厄が降りかからないようにと祠を建て、山へ入る際に拝む地域は少なくない。


 御行も両腕を組み、樟葉に同情した。


「ひっでえ求婚者だな。そんなの断って当然、殴り飛ばして重しつけて海に沈めてもいいくらいだ。ま、ああして部下に追わせてる時点で、惚れてるのはあんたじゃなくて自分なんだろうけどさ。――――それで、家どこ? 送るよ」

「って御行様、立浪神社へ行くんじゃ……だっ」


 きょとんと目を丸くする春日の頭を、御行は思わずはたいた。それは通りすがりとはいえ秘密にすべきことなのに、何故言うのか。麻也まやも呆れたとばかりに息をついているのが視界に入った。


 抗議の声は無視し、御行はむすっとした表情で反論した。


「仕方ないだろ。ここまで助けたのに後は放っておいてさらわれましたーだったら、目覚めがわりぃし。下心なんかねえっての」

「貴方たち、立浪たつなみ神社へ用があるの? 見たところ旅の人のようだけど、一体何の用? 今は祭りの前だから、礼拝所にも入れないわよ?」

「ああ、何も知らずに物見遊山でこちらへ来てみたら、祭りの前で中へ入れなくてね。それでせめて、神社を外からだけでも眺めておこうと思っていたところなんだよ。姫穂ひめほ国に名高い社だからね。砂浜へ行けば、中が少しくらいは見えるかもしれないだろう?」


 目を瞬かせる樟葉に、麻也はさらりと嘘で答える。これから不法侵入の下見に行くところだなどとは到底言えないから当然なのだが、こうも素早くかつにこやかに嘘を言えるところがこの男らしいと、御行は思わずにいられなかった。


 しかし、女の勘は恐ろしいものである。麻也のもっともらしい言い訳を聞いていながら、樟葉は不意に顔つきを変えた。鋭くなった眼差しに、御行はぎくりとする。


「……もしかして貴方たち、立浪神社へ忍び込むつもり? 御神体を盗んで神路かんじ島に渡りたいとか?」

「…………!」


 目的を言い当てられ、御行は絶句した。ついさっき言葉を交わしたばかりだというのに、どうしてわかったのか。


「違いますよー。僕ら、御神体じゃなくて」

「うん春日、ちょっと今は黙ろうか」


 春日が大きな目を瞬かせて樟葉の言葉を否定しようとしたのだが、麻也は迫力のある笑みで黙らせる。そして、麻也様もひどいと不満を言う彼を無視し、樟葉に向き直った。


 場の空気が麻也を中心に、また緊張したものになる。それをものともせず、樟葉はゆっくりと言う。


「……貴方たちを神社に告発するつもりはないわ。恩人だもの。それに、私も神路島に用があるのよ」

「あんたも?」


 告げ口しない意外な理由に、御行は目を丸くした。春日も同様である。麻也だけが、疑いの目を彼女に向けた。


「どうして君があの島へ? この馬鹿みたいなのや度胸試しのためならともかく、君がそういう目的だとは思えないのだけど」

「目的は言えないわ。だから、貴方たちが島へ向かう理由も聞かない。――――ねえ、協力しあいましょう? お互い、神路島が目的地なのだし。別々に島へ渡る努力をするより、力を合わせるほうがずっと効率的だわ。それに、神社へ忍び込むなら案内役が必要でしょう?」


 と樟葉は一気にたたみかけてくる。真剣な表情だ。そこに、出会った瞬間に見た、かぐやのようなたおやかさや儚さはわずかも感じられない。決意の眼差しが、三人を見ている。


 額に手を当て、はあ、と麻也は息をついた。


「……どうする、御行。俺としてはあまり勧められないけど、島へ行きたいのは君だ。君が決めなよ」


 と、御行に選択を投げてくる。自分はそれに従うと、言外に告げている。春日に目を向けても、僕も従いますという顔をするばかりだ。

 ならば、考えるまでもない。御行は樟葉に手を差し出した。


「じゃあ、島へ着くまで協力しようぜ。あんたの知識と俺たちの力があれば、神社へ忍び込むのも島へ行くのも簡単だろ」


 そう返答して、彼女を安心させるためににかりと笑む。

 御行の快諾に、ぱっと樟葉の表情が晴れやかになった。


「ありがとう! 一緒に島へ渡りましょう!」

「あ、ああ」


 勢いに気圧されながらも、御行は頷いた。後ろでため息をつかれているような気がするのだが、気にしないことにする。


 だって、旅に道連れは多いほうがいいに決まっているのだ。特にこんな、目的を同じくした美女なら尚更。

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