第4話 誘いの街角・一

 長い旅路を経て明鳥あとりに到着し、奇妙な白兎に遭遇したりもした御行みゆきだったが、しかしすぐには立浪たつなみ神社へ押し入ったりしなかった。


 情報収集をしなければならないというだけではない。立浪神社には結界が張り巡らされている上、私兵が警護に当たっている。第一、どこにさらうべき人物がいるかもわからない。安易に侵入しても、捕まるのがおちだ。


 その上、白兎を狙っていたあの妖狼どもの死体が砂浜で発見されたため、私兵団は警戒を強めている。砂浜や町の出入り口の警備が増えたのに合わせ、町もどこかぴりぴりした空気だ。こういうときに軽々しく行動するのはまずい、様子を見る必要がある――――というのが、麻也まやの主張だった。


 そして、情報収集に励んで二日後。


「――――やっぱり、まっとうな方法はないか……」


 町の中心部から少し外れた、庶民の家が軒を連ねる一角の小路。春日かすがと麻也の報告を聞いた御行は、自分が集めた情報も二人に話した後、そう結論を下さざるをえなかった。

 予想していたことだけどね、と麻也は頷いた。


「神職は祭りのとき以外、基本的には立浪神社から出ず、雑事はすべて不浄の者などに任せているようだね。下位の巫女はまだ外へ出る機会があるようだけど、その際には常に護衛が張りついている。まあ護衛はこの状況でもどうにかできるだろうから、下位の巫女を買収して手引きしてもらうのも一案だけど……」

「それか、一番偉い巫女様をさらうかですよね」

「ああ、御祝みほうりとかいうやつか」


 御行が記憶を辿ると、そうそれです、と春日は頷いた。


「何か、すごい慕われようですよ。一応宮司が神社で一番偉いみたいですけど、町の皆さんは御祝のことばっかり話すんです。綺麗で優しい人だとか、色々。もうすぐ神事で外に出てくるみたいですから、さらうならそのときを狙うのが、一番確実だと思います」

「しかし、その神職だか巫女だかをさらったとして、どうやって説得するつもりなんだい、御行。神社の境内へ不法侵入したばかりか、都の姫君を口説き落とすために島へ渡りたいなんて言おうものなら、軽蔑される気がするんだけど」

「だよなあ。でも、他の方法って言っても思いつかねえし……麻也はどうだ?」

「俺も無理だね。人の心を操るなんて、禁術の領域だから手を出してないし。説得するしかないと思うよ」


 と、麻也も肩をすくめて方針の維持を支持する。僕もです、と春日が続く。

 だよな、と御行は肩を落とした。


「とりあえず、神社に引き籠ってる神職か巫女に会うことから始めるとするか。ちんたらしてると、他の奴らにかぐやをかっさらわれちまう」

「ですよね。彰人あきと様ならあっという間に宝物を手に入れそうですけど、陽の帝の兄皇子たちは、せこくてずる賢くてあくどいって都で噂になってましたからねえ。かぐや姫と三日餅食べるためなら、偽物を作るくらいのこと、しそうですよ」

「ああ。だから、さっさと龍の首から宝玉もぎとって帰んないとな。――――んじゃ、まず神社の下見に行くぞ」


 提案し、御行は家の壁から背を離し、神社がある方角へ向かった。その後を二人もついていく。――――いや、ついていこうとした。


 御行が小路の角を曲がろうとしたとき、斜め前から気配がした。ん、と思う間もなく御行は自分より小さな誰かとぶつかる。涼しげな花の匂いが御行の鼻をくすぐった。

 相手がよほど勢いよく突っ込んできたのか、御行も少しよろけた。


「ああ、わり…………」


 謝りかけて、相手を見下ろした御行は目を見張った。

 清廉と色香が混じった、華のある美人だ。烏羽の長髪、白い肌、細い顎の線。町娘の身なりをしていても、上品な空気や面差しは隠しようがない。こんな人気のない小路ではなく町中を歩けば、道行く人々の目を集めてやまないのは間違いない。

 御行は彼女の顔に、都にいるひそやかな花――――かぐやを一瞬重ね、我に返って目を瞬かせた。背丈は同じでもまったく顔立ちが違うのにと、自分に呆れる。


 女はぱっと小さく頭を下げた。


「ごめんなさい、前を見ていなくて」

「いや、俺も見てなかったから……」


 形の良い唇が開かれ、楽のような声が謝罪する。慌てて御行も謝った。自分だって普通なら避けられるのに、考えごとに没頭していたのだ。


「うわー、珍しい。御行様が驚いてますよ」

「ああ、珍しいね。かぐや姫にでも似てたのかな」

「うっさいぞ、そこ」


 小声で話しているふりをして御行に聞かせているとしか思えない背後を、御行は思いきりねめつける。人聞きが悪い。まるで女好きのようではないか。

 三人のやりとりを聞いていた女は、くすりと笑った。


「仲が良いのね」

「付き合いがそれなりにあるってだけだ。別に仲が良いわけじゃない」

「うわ、ひっどいです御行様」


 御行が即座に否定すると、春日が抗議する。それも微笑ましいというふうに、女は楽しそうに見ていた。

 そのとき不意に、御行の視界の端に何かがきらりと光った。眉をひそめて焦点をそれに合わせた刹那、御行の優れた視覚が人影を発見し、静かな小路に風を切る音が聞こえる。


「――――っ」


 御行は前に踏み出し、再び驚く女に構わず彼女を背に庇った。一瞬のうちに近づいてきていたそれを、自分の肩に刺さる前に掴み取る。銀色に煌めく陽光が眩しい。


「――――ふん、掴み取ったか。少しは腕が立つようだな」


 光が見えた方向から、そんな男の低い声がかかった。

 そうして現れたのは、病的に肌が白い、年齢不詳の男だ。暗がりに溶け込む黒ずくめの装束と相反する肌の色、それでいて血を受けたばかりのように赤い唇がひどく不気味だ。男の存在を影の中から浮かび上がらせ、見目だけで異常だと見る者に理解させる。


 ざわり、と御行の皮膚の下で血がざわめいた。無意識の感覚が、相手を敵だと告げている。


「……美人を矢の的にするとは、随分なご挨拶だな」


 掴み取った矢を落とし、御行は男を睨みつける。春日と麻也も男を見ているのが、感覚でわかる。場は緊張に満ちて険悪だ。

 男が一歩、前へ歩みでた。


「いい加減に諦めろ。主はお前を御所望なのだ」

「冗談じゃないわ。誰が、人さらいのものになんてなるものですか。私の前から消えてちょうだい。二度と姿を見せないで!」


 御行の後ろから、女は間髪入れず拒絶する。その声音から感じとれる意志は強く、怯えた響きもない。

 こうなれば、御行がするべきことは一つしかない。御行は男に、にやりと口の端を上げてみせた。


「だ、そうだぜ? こうもはっきり嫌がってんだ、すっぱり諦めるのが男ってもんだろ」

「黙れ。その女と我が主のことだ。貴様は引っ込んでいるがいい」

「生憎、おせっかいな性分でね。ましてや、しつこい求婚者に追っかけられて困ってる女がいるなら、助けに入るのは当然だろ?」


 と、御行は腰の太刀に手をかけ、実力行使も辞さないと脅す。


「ふん、やれるものならやってみるがいい!」


 言うや、男は腕を振るう。その指先から三つの鋭く光るものが放たれた。

 ――――――――だが。


 一番最初の光が御行たちに届くより先に、硬質な音が辺りに響き渡った。家々の壁や屋根に、きらりと陽光を返すものが突き刺さる。


「――――危ないですねえ。というか、飛び道具なんて卑怯ですよ。こっちはそんな短い弓なんて持ってないんですから」


 間延びした、場の緊張感にまるでそぐわない声音。男に切っ先を向ける顔は、声と同じようにのんびりしているに違いない。

 先ほどの硬質な音は、春日の太刀が光るものを弾き返した音だ。御行の動体視力は、先端が鋭く細長いものを太刀が一薙ぎで弾いているさまをはっきりと捉えていた。


 春日の太刀によって生まれた風に髪が踊る感触を楽しみ、御行は傲然と告げる。


「つうわけでだ。さっさとどっか行ってくれねえ? 俺の従者はやる気満々だしさ。もちろん、俺もだけど。あ、ついでにもう一人もな?」


 御行の挑発に合わせ、春日は一度鞘に太刀を収めた。しかし抜刀の構えをして、いつでも抜いて男に向ける意志を見せている。先ほどの神速を見れば、それが可能であることは明白だ。


 万一春日をどうにかしたとしても、御行と麻也が控えている。さすがに相手にしきれないと判断したのか、男は悔しそうに歯ぎしりした。


「――――っ! あの方から逃げられると思うなよ!」


 そう言い捨て、男は走り去る。その背が見えなくなるのを見届け、御行は背に庇った女を振り返った。

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