第13話 価値あるもの・二
青年はかぐやの反応を楽しんでいるのか、面白がる表情をした。
「……が、その様子では無理に連れて帰っても、私に微笑んでくれはしなさそうだ。それではつまらないし、
だからそんなに怯えないでくれと青年は笑うが、これで怯えずにいられるわけがない。対屋に気配が近づいていることが、わずかにかぐやの意識を落ち着かせていた。
ただ、と青年は悪戯めいた表情と声音で付け足す。
「他の求婚者たちのように、私も貴女と文を交わしてもいいだろうか。貴女は文をやりとりするうち、求婚者たちを慕うようになったと聞いている。なら私もそれに倣い、文と言葉で貴女の心を得たいのだ。心の証の品を探しに行けぬ身であるゆえ、な」
そう、青年はおどけて文通の許しを請う。その顔はまるで、これから悪戯を仕掛けようとする少年のようだ。
かぐやはようやく、この青年の身分について考えていなかったことに気づいた。身分を示すものが目の前にあるというのに、どうしてすぐ思い至らなかったのか。かぐやは不思議に思えた。
かぐやは顔をゆがめた。
「私は……五人の方と、私が望む心の証を見せてくださった方と三日餅を食べると約束しました。五人が試練を終えるまでは、どなたに望まれようとこの屋敷を出るつもりはありません」
「…………帝や公卿に望まれても?」
「望まれることは嬉しく思えても、私は身分や肩書があるからというだけで、殿方に嫁ぐことはできません。私は、身分や肩書と三日餅を食べたくはないのです」
青年の目をまっすぐに見つめ、かぐやははっきりと言った。
彼女にとって身分や肩書は、尽くすべき礼儀の程度を判断する基準の一つでしかない。そうしたものが心を与える基準であるなら、かぐやが五人を危険な旅へ導くことはなかった。
「……
「っ」
それまでの気遣いとは一変した遠慮のない言葉に、かぐやは唇をきつく噛んだ。
かぐやは知っている。人はたくさんの仮面を持っていて、相手によって使い分けることを。素顔を偽る生き物であることを。嶋皇子の不実は、忘れていた現実をかぐやに突きつけた。疑念はあれ以来、わずかたりとも胸から消えてくれないのだ。
震えながらもかぐやは口を開いた。
「……それでも、私は待たなければなりません。誠実を彼らに求めたのに、私が彼らに誠実を返さないなんて、あってはなりません」
せいいっぱいの勇気を振り絞って答えを返し、かぐやは青年を見つめ返す。青年の静かな、かぐやの真意を探ろうとする眼差しは居心地が悪く、目を逸らしたくなる。しかしここで逸らしてはならないのだとかぐやは直感していたから、逃げたくなる自分を必死に抑えつけた。
ふ、と唐突に青年の視線が柔らかくなった。自分を捉える見えない糸が切れたのを感じ、かぐやは無意識のうちに息を吐き出す。場の空気も緩くなった。
そうか、と青年は呟き、頷いた。
「ならば、待つがいい。残る四人が貴女にどんな答えを返すのか、私も楽しみだ。できれば貴女を傷つけるような真似をせず、正々堂々と失敗してほしいものだが」
「……」
そう、どこか意地の悪い声で言うと、青年はかぐやの黒髪に指をすべらせた。一筋を掴み、己の唇に押し当てる。
かぐやは真っ赤になった。
「……!」
「いずれ、貴女に文を送るとしよう。そのときは女房に代筆などさせず、貴女自身の筆で返してほしい。他人の筆では、貴女をわずかも知ることが出来ないからな」
「…………」
優しい声でそう望まれるが、突然の行為についていけないかぐやは硬直している。かろうじて、こくこくと頷く。
名残惜しそうにかぐやの黒髪を放し、艶やかな笑みを残して青年は去っていく。その後ろ姿をぼうと見つめていたかぐやは、
「姫様!」
「賢……木……」
ぎこちなくかぐやは振り向く。信頼する女房の姿を目にし、彼女の手のぬくもりを身体に感じたかぐやは、安堵のあまりに全身の力が抜けてしまった。
「姫様! お気を確かに!」
へなへなとその場にくずおれそうなかぐやを支え、賢木が呼びかける。かぐやは大丈夫とか細い声で答え、青年が去ったほうへのろのろと首を巡らせた。
「あの…………方は…………」
「
「いいえ。あの方は何も…………」
首を振り、かぐやは賢木から離れる。主の身を心配して寄り添おうとする賢木に大丈夫だと言って、青年が去った方向をもう一度見た。
二陪織の着物は手間がかかる分高価で、禁色をまとうことが許された者でなくてはまとうことができない。それも、ああして日常着である狩衣に使えるとなれば、衣の主はほとんど特定できると言っていい。
それに彼は、あんなにも若い貴人なのに、かぐやの養父に親しみを感じているようだった。その二つを兼ね備えるのは、かぐやが知る限り一人しかいない。
「…………あの方が、主上なのね」
「………………………はい」
確信を込めてかぐやが呟くと、賢木は少しの沈黙の後、それを肯定する。やはり、と心の中で長い息をつき、観念したようにかぐやは目を閉じる。
桜の蕾がほころび、春の終焉を告げようとしている頃、五人の求婚者以外では絶えて久しい匿名の恋文が一通、かぐやのもとに届いたことがある。五人と同じように、意匠を凝らした紙を贅沢に使った内容も筆跡も、典雅にして優美。賢木たち女房も驚いていた。
けれどその時期、かぐやは求婚者たちから次々と求婚されており、見知らぬ者からの恋文に文を返す心の余裕がなかった。確か、賢木に返歌の代筆を頼んだはずだ。女房が主に代わって文を返すことは、貴族女性の間ではそう珍しいことではない。
かぐやを月の天女に例えたあの恋文の詠み人が、この陽の世を統べる若き帝だったとは。そして、この身を望むなんて――――――――
「どうして…………」
「姫様……?」
かぐやが無意識の内にこぼした本音に、賢木が困惑する。しかし、かぐやは答えることができなかった。
どうして、誰も彼も自分を望むのだ。望まれる価値など、自分にはないのに。
こんな罪人に、誰も彼もに望まれる価値はないのに――――――――
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