第23話 赤き心を示す・二

 白、黒の鳥を見つけ黄色の鳥を見つけ、ふと気づけば、麓ははるか下にあった。見覚えのある道が小さく、ちらほらと見受けられる。その麓で山を見上げたときは、これほど高い山だとは思えなかったのに。現実世界と同じ理かと思えば、まったく違うものも併せ持っている。異界というのはつくづく変わっている。


 不意に、涼しくも強い風が吹き、彰人あきとは腕で顔を庇った。風はあっという間に止み、彰人は腕を下ろして目を開ける。


 そして、言葉を失った。


 先ほどまで続いていた先の見えない斜面が終わり、むきだしの地面と空が広がる視界の中央に、一羽の鳥が座していた。巨鳥というほどではないが、彰人が今まで目にしたどんな鳥よりも大きい。全身を覆う純白の羽根が、日の当たり加減によって五色の光沢を放っている。尾羽が長く、嘴や爪は真珠のようにまろやかな白で、瞳は漆黒だ。


 珍獣好きな父親の嗜好を反映して鳥獣にあふれていた自邸でも、このような姿の鳥はいない。典籍に登場する鳳凰とも違う。強いて言うなら、雉が一番近いだろうか。

 加えて、静謐で力強く、清らかなものだけで構成されたような空気。この鳥こそが捜し求めていた英雄神なのだと、彰人は言われずとも直感した。


 都の古社でも感じたことのない神聖な空気に呑まれ、動けずにいた彰人は、神と目が合ってようやく我に返った。慌てて手拭いを外し荷を下ろし、その場に片膝をつく。


天鳥あまつとり神社に座す英雄神とお見受けする。神域へ押し入り穢したこと、心よりお詫び申し上げる」


 と、真っ先に彰人は頭を下げた。そうせねばならないと思った。


「私が禁忌を犯してこの神域へ参ったのは、神たる貴方が生む宝玉を手に入れんがため。御身より成る宝玉をどうか私に賜りますよう、謹んで願い申し上げる」


 そう、より深く頭を下げる。どうか、と心から祈る。

 それから、どれほどの沈黙があったか。彰人の頭上に声が降ってきた。


『……若者よ。何故それほどに我が宝玉を望む。お前は私に許しを乞うてから本殿へ立ち入り、最初こそ迷えど知恵で道を見つけ、自らの力で踏破した。まなこも澄んでいる。どうやらお前は、これまでこの神域を犯した者とは志が違うようだ。しかしそれでいて、我が宝玉を望むことは同じ。何故お前ほどの者が、欲にまみれた者のように我が力の結晶を望むのだ』


 降る声は若々しく力強く、返答を拒否することを許さない力に満ちていた。彰人は、ぐいと顎を掴まれ引き上げられたような心地がした。頭を下げているのに、自分を見下ろす冷厳なる双眸を細部まで想像できる。


 息を一つ吸って、彰人は顔を上げた。気圧されそうになりながら、武勇を持って父帝の御世の安寧に寄与した古代の英雄を見据える。

 都に名高い美姫に求婚して試練を課され、天鳥神社を目指した経緯を彰人が語り終えると、ほどなくして英雄神は嘴を開いた。


「……それはまた、随分な要求をされたものだな。よくここまで来る気になったものだ。お前はその姫に、無理難題をもって改めて拒絶されたとは思わないのか」


 呆れを含んだ声音で遠慮なく問われ、彰人は目を瞬かせると、ふ、と微笑した。


「……英雄神よ。貴公が仰ることは、おそらく真でありましょう。姫が私たち求婚者をただの文通相手としか思っていないのは明らかであるのに、他の者たちの言動に焦り、己の感情を優先させるあまりに姫を追いつめてしまった……あのとき、私たちは姫の拒絶を受け入れ、改めて逢瀬を重ねて姫の心を得るべきだったのでしょう」

「では、何故」

「だからこそ、私はこの社を目指すことにしたのです。姫を追いつめてしまったことをただ謝るだけでは、誠意が足りぬでしょう。姫も、神より賜った宝玉を持ち帰ったならば、私の誠を信じ、また夫に相応しいと少しは認めてくださるでしょう。……それに、他の求婚者たちは姫が望んだ試練へそれぞれ向かいました。この石上彰人とて男であれば、困難だからと尻尾を巻いて逃げるわけにはいきませぬ」


 真実を見逃さない神の目から目をそらさず、心に浮かぶままの言葉で彰人は答える。それこそが神に対する礼儀であり、信を得られる唯一の方法であると、彰人は確信していた。


 花がほころぶ夜のことを、彰人は忘れることができない。想いを告げた夜と、屋敷へ招かれ契りを断られた夜。よくよく考えれば、彼女は屋敷の内で健やかに育てられた、そして彰人たちを兄のような存在と思っていた深窓の姫君なのだ。文のやりとりの始まりがどうであろうと、次々と契りを望まれて、戸惑わないはずがない。彼女は、彰人が今まで気軽に求めていた姫君や女房たちとは違うのだ。


 たまにはこういうのも一興と気まぐれで始めた、ままごとのようなぬるい恋は、それなりの浮き名を流していたこの青年貴族を溺れさせていた。妹のようだと微笑ましく思っていたのは、わずかな間。典籍を御簾越しに見せたときの嬉しそうな声を聞き、すべらかな手に触れたときにはもう、どうしようもなくなっていた。二人を隔て姿を曖昧にする御簾や、恋を知らない無垢がもどかしく、何度御簾をくぐろうかと思ったかわからない。


 これはかぐやにとって不本意な試練であり、試練に望まなかったとしても彼女はそれほど求婚者に失望しないだろうと、大星の屋敷で話を聞いたときから彰人は理解している。このような試練を課したことを後悔しているだろうことも、容易に推測がついた。彼女の善良な心を彰人は信じている。


 その上で、彰人は試練に挑むことを決めた。愛しい姫と、最大の恋敵である悪友の面影が頭にちらついて離れなかったのだ。

 負けたくない。認めてほしい。信じてほしい。それが、彰人をこの困難な試練へ駆りたてた、偽りない気持ちだった。


「……………………よくわかった」


 そう呟くように言うと英雄神は彰人から目を逸らし、目を丸くする彰人の前で、嘴で我が身の羽根を一枚引き抜いた。そしてくわえたまま、ふうと長い息をつく。羽根は嘴を離れ、宙へ舞い上がる。

 宙へ舞い上げられた羽根はくるりと丸まり、眩く輝きながら彰人の眼前にゆっくりと落下していく。思わず彰人が両手を差し出すと、羽根だったものは柔らかな五色の光沢を放つ白い宝玉となって手のひらにすっぽりと収まった。たった今生みだされたばかりだからか、生き物のように温かい。目の前の英雄神と同じ力の波動が、両の掌から全身を駆け巡るように伝わってくる。


「それは、我が力の片鱗を結晶にしたものだ。愛しい姫君に見せてやるがいい。間に合うか否かは知らぬがな。帰りは振り返らず行け。我が眷属たちに従わずとも帰れよう」

「っありがたきしあわせ!」


 帰還を促す声音は威厳がありながらもどこか柔らかく、恋に一途な若者を微笑ましく見守る優しさがある。彰人は心から感謝し、頭を下げた。自然とそうなった。

 英雄神のもとを辞し、彰人は脇目もふらず山を下りた。神が言うように、石碑を通り過ぎてもあの導きの鳥たちは現れない。しかし、道なりに歩くだけでどんどん山を下りていくのが、視界の端に映る山から見える景色でわかる。彰人は転んでしまわないよう気をつけるだけでいい。


 全身は重く疲れていたが、さして気にならなかった。かぐやの微笑みばかりが彰人の心に見えていた。

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