第26話 予兆

 ――いいのか、金龍よ。あの者に宝玉を渡して


 久しくなかった神職や巫女以外の来訪者たちが社の前を離れていった後。台座に戻った銀龍は、対たる金龍に問いかけてきた。


 ――構わぬだろう。あの青年、悪しき者ではない。我が宝玉を姫君に見せることしか考えておらぬようだしな


 悪用を懸念する同胞に、金龍は鷹揚に笑ってみせる。楽観的なところがある金龍と反対に、同胞は慎重なのだ。

 わからないでもない。国生みの大神に仕える双龍にとって、闇や穢れは忌むべきものだ。金龍のほうが、内なる声を無視しすぎているのである。


 ――お前は甘い。あれらは闇に属する者ぞ

 ――だが、心までも穢れているわけではない。それはお前もわかっているはずだ

 ――…………


 なおも食い下がってくる同胞を諭すと、彼は言葉をつぐんだ。


 見上げてくる目を通してわかった。あの青年の心は澄んでいる。荒むことはあっても一線で踏み留まろうとするし、支え正す仲間がいることも、森を歩いている様子や目の前で繰り広げられたやりとりを見ればわかる。天女の器にされていた巫女にも、心配そうな目を向けていた。

 光だけでなく、清らかなものも双龍の主君が司るものである。それを心に宿すならば、そしてこの島国で生きているのならば、闇に属していても忌み嫌って遠ざける道理はない。金龍はそう考え、あの青年に宝玉を与えたのだ。


 ――……酔狂な。だからお前は甘いのだ


 半ば呆れたような物言いをして、それきり同胞の意識は金龍の知覚から消えた。


 金龍が意識を外部へ向けると、来訪者たちは島の北部を目指していた。あの青年に背負われる巫女はぐったりしたまま、力なく手足を揺らしている。月の天女や陽女神の魂の依代にされ、魂が消滅する一歩手前だったのだから当然だ。月の天女が心を砕いていなければ、とうに巫女の魂は失せ、身体の所有権を天女に譲り渡していただろう。


 巫女の魂はまだ、目覚められるほどの力を取り戻していない。しかし、金龍が消滅の危機から救ったのである。この暁原の生ある者を守護する国生みの大神の神域の空気に触れ、外界よりは清浄な神社の境内で静養していれば、時間はかかってもいずれ目を覚ますだろう。


 それにしても、と金龍は思った。


 神鏡の穢れを払って神社へ戻せとは、陽女神にしては随分と優しい神罰である。かの女神は慈悲深い一方、苛烈な一面があるのだ。己の依代となる、それも父神の幽宮かくりみやへの道を開くための神鏡を社から盗まれ、わずかでも穢されたのだから、相応の罰を下しても良さそうなものなのに。彼らに何か、優しくしたくなるものがあるのだろうか。


 気になって、金龍は国見――双龍の日課である、暁原あきはら各地の動向の見通しを行うことにした。彼らの旅の過程を遡れば、あるいはこれから行くだろう道を辿れば、何かわかるだろうと思ったのだ。


 常なら北東の地から始めて南へ意識を向けていくのだが、今回は天原あまつはらとその周辺に意識を凝らす。


 ほどなくして、金龍は異変を見つけた。


 内海の東に、悪しき力の流れが生まれている。昨日までなかったそれは、どうやら北東を目指しているようだ。かと思えば、北西からも内海の東を目指す力がある。さらには天上からも。


 それらがすべて、一点で交わろうとしているのが金龍には見えた。すなわち、暁原の都、天原。先ほど金龍が話題にした娘が住まう屋敷に、三つの流れは向かっている。


 だから陽女神は彼らに甘かったのかと、金龍は確信した。


 ――……難儀な者らだ


 主に青年に向けて、金龍はぽつりと呟いた。

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