第27話 嘆きの夜が目覚める・一

 季節は巡り、秋になった。


 日中は相変わらずぎらつく日差しが照りつけ、風にも熱が籠っている。しかし暦の上では秋を迎えており、日に日に蝉の声は失せ、夜には鈴虫が恋を歌い、さらには草花までもが季節の巡りを全身で表現する。人にとってはまだ夏と変わらずとも、虫や植物は秋を確かに感じ、謳歌していた。


 そうした秋の深まりを感じさせる庭を望む一室に、琴の音がこぼれていた。爪弾いているのはもちろんと言うべきか、かぐやだ。


 深い息をつき、弦を弾く指を止めたかぐやは、風に誘われるように庭へ視線を向けた。


 左近衛中将の石上いそのかみ彰人あきと住宮すみのみや国で死んだという噂が都に広まったのは、秋の初めのことだ。神社の本殿の中で繰り広げた冒険の疲れを癒すのもそこそこに都へ帰還する途中、崖から転落してしまったのだという。従者が必死になって辺りを捜索し、見つけた主は虫の息。瀕死だと噂を聞いてかぐやが励ましの文を送り無事を祈ったが、近隣の村へ運んでの必死の治療もむなしく、儚くなったという話だった。


 何故転落したかは、よくわかっていない。賊に襲われたからだとも、単に難所で足を踏み外したからだとも言われている。義父や帝の話によると、宮中では神罰だとか、文武に秀でていたからだとかいった説も流れているらしい。才にしろ色にしろ、過ぎたものを持っていれば人ならざるものの興味を惹いてしまうと古来から言われている。由緒正しい血統に生まれ、高い身分に就き、才色に恵まれているばかりか、禁を破ったことを許されただけでなく英雄神から宝玉を授けられた彰人を、いずれかの神が気に入って連れ去ってしまったのだろうと涙を流す姫君もいるそうだ。


 けれどかぐやは、自分の浅はかさのせいだと確信していた。


 自分はどうして気づかなかったのだろうか。断られても、彼らとの繋がりを失うことになっても、勇気を出していればよかったのだ。己を曲げず、はっきりと断っていればよかった。そうしていれば、裏切られることも、傷つけることも――――――――死なせることもなかったはずなのだ。


 状況や周囲の言葉に振り回され、人を見抜くことも信じることも、決断することもできなかった己の心の弱さをかぐやは憎んだ。彰人の死の噂を聞いてから、かぐやは自分をずっと責め続けていた。


 桔梗や萩の花が咲く庭をぼんやりと眺めているうちに曹司の外から音がして、かぐやは振り返った。控えていた賢木が人と話す声がする。はっきりと聞こえてくる二人のやりとりで、かぐやは客人が誰なのか悟り、憂いを面に浮かべた。――――半月前に顔を合わせたばかりだというのに。


 義父から話が通っているのか、賢木が客人の足を止めることはない。客人は、断りは入れるもののかぐやの応えを待たず、御簾を下げていない曹司に入ってきた。相対したかぐやはその無礼に内心眉をひそめながらも、客人に手をついて深々と頭を下げる。


「ああかぐや姫、頭を下げないでくれ。どうか麗しいかんばせを見せてほしい」


 茣蓙も敷いていない床に腰を下ろし、帝は拝謁をかぐやに許す。かぐやはその言葉のまま、ゆっくりと顔を上げた。御簾を下げていないが、これまでも帝には素顔を見せているのだから、今更だ。ならわしだからそうしていただけで、かぐやは御簾越しの会話というのはあまり好きではなかった。


 半月ぶりに文通相手の顔を見て、帝は扇子を口元に当てて困ったような顔をした。


「……さすがに、麗しいとは言わないほうがよかったようだ」

「……主上は意地が悪うございます。私が己を責めながら日々を過ごしていることを御承知で、そのようなことを仰られる。こちらへお見えになられたのも、私を見世物になさるためでございましょう」


 しまったと後悔しているようでいてその実楽しんでいるようにもとれて、かぐやは視線と言葉で責める。たとえ相手が帝であろうとも、見世物にされているのは不愉快だった。


 帝はふ、と口元に笑みを浮かべた。


「いつものことながら、そなたはこの私が相手であろうとも直截な物言いをするな。それもまた、そなたの魅力の一つではあるが」

「……」

「確かに、ひどい物言いだったかもしれんな。ただ、そなたほどの美貌であれば、やつれた様子もまた美しかろうと思ったのだ。……だが、胸は痛むな」

「……」


 かぐやは言葉を返さない。代わりに目に感情を浮かべて非難する。

 苦笑し、帝は曹司に視線を巡らせた。


「ところで、貴女は亡き左近衛中将に文を送ったと聞いたのだが」

「……命があやういと聞いて、何もせずにはいられなかったのです」


 意味ありげな目で問われ、ささやくような声でかぐやは答えた。


 噂では山中の村へ運ばれたとのことだったが、正確な場所までは知らない。だから事情を従者から聞いている彰人の実家へ使いを送り、どうか文を届けてほしいと頼んだ。だが、かぐやが知るのは、彰人の家の者に受け取ってもらえたことだけだ。彰人のもとへ届けられたのか、彰人が読んでくれたのかはわからない。


 帝は首を傾け、目を眇めた。


「貴女は、かの者を好いていたのか?」


 偽ることを許さない声音の問いだった。静かでいて、内に鋭く激しい息遣いが感じられる。

 かぐやは膝の上の拳を握った。俯き、目を伏せる。


「……………………私はずっと、あの方を慕わしいと思っていました。でもそれは、あくまでも文を交わす人へのもので……兄のように思っていたのです。望まれても、待っている間も…………それは変わりませんでした」

「向けた想いは、恋とは呼べぬと?」

「…………」


 かぐやは何も言えず、ただ首を振った。自分の確かな気持ちがわからないのに、言えるわけがない。言いたくもなかった。


 けれど、他の公達よりも彼を思うことが多かったのは、紛れもない事実だ。何故求婚を受けてくれないのかと迫ってくる者たちを彼が制するより前に、彼に救いを求めたことも。見交わした目が彼であることに気づき、安堵したことも。


 彰人への無自覚な甘えを自覚したところで、もう遅い。彼は死んだ。――――――――かぐやが愚かだったから。


「…………妬けるな」


 胸中から消えない深い自責に囚われかけたかぐやは、ぽつり、と目の前に転がり落ちた言葉で我に返った。見上げると、帝は見るからに不機嫌な顔をしている。

 かぐやは目を伏せた。理由なんてわかっている。理解せざるをえない。しかし、だからといって胸の内に横たわる感情はどうにもできはしないのだ。


 驚き、悲しみ、哀れみ、怒り、――――嫉妬。様々な感情を瞳に浮かべては消していった帝は、最後にはあ、と息をついた。


「…………すまない。貴女がかの者に心を砕いているのを見て、感情が昂ってしまった。親しい者の死を悲しむのは当然のことだ。……許してくれ」

「いえ……」


 かぐやは首を振った。


 無理もない。かぐやへの求婚を諦めた帝の兄皇子二人は近頃、通う姫君のもとへ向かう途中で牛車共々失踪したきり、まったく行方がわからなくなっているのだ。行きそうなところはすべて調べられており、誰も彼らの行き先を予想することもできないのが現状である。肉親としてかはわからないが安否が気になっているはずで、それでいて、人前では帝として毅然と振る舞わなければならない。精神的な疲労が溜まり、感情のはけ口を求めていてもおかしくない。不快であるが、仕方ない面があるのは否めまい。


 執務ではどうなのか知らないが、この帝は心が広く、純真だとかぐやは思う。笑いたいときに笑い、欲しいものを欲しいと言い、行きたい場所へ行こうとする。かぐやが生意気な物言いをしても怒らないし、こうして謝ることにも躊躇いがなく、潔い。それは間違いなく帝の美点で、かぐやも好ましく思っていた。


 姫、と帝は居住まいを正し、呼んだ。声音が変わると同時に空気が変わり、かぐやはぎくりとした。

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