第28話 嘆きの夜が目覚める・二

「私が貴女に興味を持ったのは噂、そして貴女の美貌と物言いゆえ。桜の下、貴女は世のならいに縛られぬ天女のように美しく、私に対して必要以上に畏まらなかった。我が兄たちが居らぬ間に文を交わすのは楽しかろうと思った。だが今は――――」


 言葉が途切れ、帝の表情が変化する。瞳に、頬に、口元に。顔そのものに想いが現れる。

 かぐやは反射的に怯え、身じろいだ。続きを聞きたくなくて、頑是ない子供のように首を振る。


「おわかりのはずでしょう。今の私に、誰かに嫁ぐ気持ちはございません。私が求めた試練によってしま皇子やふみと皇子、布勢ふせ様が恥をかかれ、御行みゆき様は両の目を潰してしまわれ、彰人あきと様は亡くなられました。私が…………」


 そこまで言って、今度はかぐやが言葉を続けられなくなった。何を言えばいいのかわからなかったし、言えなかった。真実を告げるのも偽るのも、闇が待っているように思えてならない。


 それでも、言葉を推測するのには充分だったらしい。帝は目を鋭く細めた。語気が強まる。


「宝を見つけようとしたのは、他ならぬ彼らの意志だ。そなたのせいではない」

「わかっています。それでも、私は私を許すことができません」


 そう、かぐやは顔を俯けた。膝の上に置いた両の指が掌に食い込んだ。

 帝は長い息をついた。


「求婚者がことごとく重傷を負ったり、死に至ったことには同情する。特に左近衛中将は、非常に有能な人材だ。惜しい者を亡くした。彼の死は、貴女がきっかけであったことも事実だろう。……だが、そうであると思うのならば、貴女は幸せにならねばならないのではないのか。それが貴女の義務であろう」

「…………そうなのかもしれません。ですが、今の心を抱えたままではどこへも行けません。どうか、この気持ちをご理解ください…………」

「…………」


 言葉を紡ぐほどにかぐやの感情は昂っていき、喉や頬に熱が宿る。かき口説く帝の言葉もここで途切れた。


 一体、いつになったら自分は成長するのだろうか。身こそ成人と呼ばれているが、心は未だ幼いままだ。先のことをよく考えようとしないし、考えたところで読みが浅く、見当違いだ。あやまちを繰り返して人を傷つけて。進歩のなさに、かぐやは自分が嫌になる。


 浅慮で人を傷つける愚かな真似をもう繰り返したくない。入内はできないと、かぐやが帝に改めて伝えようとしたときだった。


 よく知った気配が漂ってきたような気がして、かぐやは眉をひそめた。首を巡らせ、庭に意識を集中させる。


「姫? ……なんだこれは?」


 訝しげに声をかけてきた帝も、すぐに気配に気づいた。立ち上がり、かぐやのそばから庭を見る。


「姫、ここです、ここ」

「!」


 声が庭からではなく横からして、かぐやと帝はぎょっとしてそちらを振り向いた。


 半蔀が開けられたそこで、普通のものよりずっと大きな、後足で立つ白兎がぺこりと頭を下げた。


「お久しぶりです、姫。こっちの時間でかれこれ十五、六年? 相変わらずお美しいですねえ。やっぱり姫は姫ですね」


 白兎は驚愕する二人に構わず、嬉しそうに人語を話す。声音にあるのは、安堵と歓喜。――――十六年経っても彼は変わっていないのだと、その声音と振る舞いだけで確信できる。


 かぐやは目を見開き、唇を震わせた。


「しら……ひ……どうして………」

「いや、俺ももっと後になると思ってたんですけどね。けど、困ったことになりまして。……御帰還が早まったんです」

「!」


 白兎――白陽しらひが告げる未来に、かぐやは息を止めた。時さえも止まったような気がした。そうであってほしいと願ったからかもしれない。


「帰還、だと……? 白兎、どういうことだ」

「あんたは黙ってな陽の帝。尊き陽女神の末裔だろうと、あんたは人間。これは人間が出る幕じゃねえよ」


 かぐやに向けるものとは一変した冷えた声音で、白陽は帝を牽制する。可愛らしい外見からは想像もできない迫力が、その身からにじみ出る。

 気色ばむ帝をひとまず捨て置いて、かぐやは白陽に疑問をぶつけた。


「白陽、どうして貴方がここにいるの? あおいはどこに?」

「実は……俺たち、今は別行動中なんです」

「……どういうこと?」


 かぐやは眉をひそめた。


 かつてのかぐやの話相手であった白陽は、かぐやの側仕えである葵とも親しかった。そのため、変化の衣をまとってかぐやになりすまし、しばらくの間だけでも敵の目を惹きつけ時間を稼ぐ役目を買ってでた葵と行動を共にしていたはずだ。それなのに別行動とは、一体どういうことだろうか。


 白陽は説明する。


「今までは上手くいってたんですけどね。最近になって、葵がまとっていた変化の衣を剥ぎ取られてしまいまして、自分がずっと追ってたのが葵――姫の身代わりだって気づかれてしまったんです。それどころか、少し前からつきまとうようになってた天狗に葵がさらわれてしまいまして……」

「! 葵は無事なの?」


 かぐやの悲鳴に似た問いに、おそらくは、と白陽は重々しく答えた。


「天狗から逃げるところまでは一緒だったんです。でも葵は色々あって今はろくに力を使えない状態ですし、‘あいつ’がまだ姫を狙ってるのは確かですから、一刻も早く帝に報告しなきゃなりません。それで、葵はなんとか力を使えるよう方策を探して、俺が帝への報告をすることにしたんです。だから、別れてからのことは……」


 無事だといいんですけど、と白陽は西の空を心配そうに見上げた。

 葵、とかぐやは心の中で女房の名を叫ぶ。快活なあの女房が、実は武芸を修めた強者であることは知っている。知っているが、それでも心配だった。


「‘あいつ’はいずれ、姫がここにいることに気づくでしょう。だから帝は姫の御帰還をお決めになったんですが……急な話なもんですから、姫を無事お連れする準備がまだなんですよ。こちらと向こうの行き来には、色々条件がありますし。申し訳ないんですけど、もうしばらくこっちに御滞在ください。次の満月には迎えが来るはずです」


 と、白陽はもう一度頭を下げた。


 呆然としてそれを聞いていたかぐやは、聞こえた衣ずれの音にはっとした。見上げた帝の目を見て、彼が何もかもを理解したのだと確信する。聡く、勘も鋭い人なのだ。わからないはずがない。


「…………貴女は、月の帝の娘御なのだな」


 いっそ穏やかな声で、帝はかぐやの素性を暴く。かぐやにはそれが、ひび割れていた世界を完全に破壊する音に聞こえた。

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