第三章 神域を侵す者

第15話 恋の鞘当て

「……では、ここまでだな」


 そう、あいつは言った。薄紅に菱文様の直垂をまとい、腰に俺のものとはまるで違うきらびやかな太刀を佩いて。貴公子そのものの姿で、隣にいる俺を振り仰いだ。


「お前はどこ行くんだっけ? 住宮すみみや国の神社だよな?」


 俺が尋ねれば、天鳥あまつとり神社だ、とあいつは補足した。


「お前は神路かんじ島か。あそこは大渦に守られて、限られた者しか渡ることはできないと言われているだろう。よく行く気になったな」

「あやかし退治は簡単だろうからつまんねえし、玉鉢探しだの常世の玉の枝探しだのは性に合わねえからな。そもそも、どこに行きゃいいのかもわかんねえし。その点、立浪たつなみ神社なら地図を見るなり人に聞くなりで、なんとか着けるだろ? お前や同じ名前の奴と競争できるしな」


「ふん。私ならともかく、お前と彼とでは、競争にならないだろう。……だが、立浪神社の御神体を借り受けることがどれだけ難しいか、わかっているのかお前は。私のような肩書や権力を持たないお前は、押し入って私兵団と渡りあうか、御神体を諦め、死を覚悟して大渦の合間をすり抜けていくくらいしか手段がないのだぞ。……まったく、頭領たちがこのことを聞いたら、殴るだけでは済まさないだろうな」


 せめて私兵団に捕まるようなことにはなってくれるなよ、とあいつはわざとらしくため息をつく。うるせえ、と俺は返してやった。


 馬鹿だと自分でも思う。俺の性格や実力、できることを考慮すれば、妖狼退治の試練が一番適していて、楽だ。そもそもこんな滅茶苦茶な試練、あの優しいかぐやが本当に望んでいるとは思えない。誰かにそう吹き込まれたか、もし彼女自身が考えたのだとしても、ろくでもない男たちからのしつこい求婚を断るための苦肉の策だったのだろう。


 だが、この男に負けたくないのだ。


 高貴な血筋、家の権力、豊かな財力、公卿の地位、端正な容姿。すべてに恵まれているだけではない。身分に胡坐をかくことなく日々武芸の鍛錬を欠かしていないし、麻也まやと同じくらい頭が回る。知識や公卿らしい教養は充分だ。都の貴人の噂を集めれば、共に時を過ごしていれば、どれほど貴族の女の間で人気があるかなんてすぐにわかる。俺があいつに優るのは、武芸の才くらいしかない。一人の女を巡る恋の鞘当てに、これほどの強敵はいないだろう。


 だからこそ、俺はこの男と同じように神社へ向かい、人ならざるものから宝玉を得る試練を選んだ。俺にとって有利な試練をこなしてさっさと求婚するなんて、卑怯だ。どうせ試練に挑むなら、似たような試練でこの男と競いたかった。


 恋敵に負けないよう、に、と俺は笑ってみせた。


「俺は、神社と皇族関係以外で初めて神路島の龍に会って、宝玉をもらってきた男になってやるよ。で、来年の春にはお前に、とびっきり美人な嫁を見せてやる」

「それは結構な話だが、お前の北の方がかぐや姫ではないことは確かだな。私が彼女と三日餅を食べるのだからな」


 強気に出れば、薄い笑みで一蹴される。この野郎、と俺は思わず片頬をひくつかせた。


「……いつものことだけど、お前、嫌な奴だよな」

「育つ場所が悪かったからな。単純馬鹿に育ったお前とは違う」


 尊大な態度を崩すことなく、悪友は馬首を返す。おいこら、誰が単純馬鹿だ。俺は反論した。


 それを無視し、いくらか歩かせたところであいつは振り返った。


 時間にすればほんの数拍。背を一度向けただけだ。けれどもう一度見せたあいつの表情は、賊討伐へ赴く前に見せるような、真摯なものだった。


御行みゆき。……他の者に遅れをとるなよ」

「わかってるさ。春日かすがと麻也がついてるんだ、お前より先に、かぐやのところへ戻ってやるよ」


 くすぐったい気持ちを隠し、俺はわざとふてぶてしく笑って見せる。素直と対極の場所にいるこの男に無事を祈られるのは、悪い気はしない。が、その感謝を口にするのは柄じゃない。この男も嫌がるだろう。


 案の定、あいつは鼻で笑ってまた馬首を返す。今度こそ振り返らず、あいつは去っていった。

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