第19話 神の息吹・四
「
「ええ。でも、何日も私の魂を抱えていたせいで、ひどく衰弱しているの。私が術を使ってしまったし、わずかな時間だけとはいえ陽女神を憑依させもしたし……休ませてあげないと」
「え? え? あの、一体どうなってるんですか? なんで樟葉さんの口から天女様が出てきたんですか? 陽女神様じゃなくて。よくわかんないんですけど」
展開についていけない
「……俺たちが樟葉と呼んでいたのは、天狗にさらわれていた天女。巫女の樟葉の身体に魂を閉じ込められてしまっていたから、生ある者を守護する国生みの大神に、巫女の身体から離してもらおうとしていた。巫女として本殿へ入り込まずに神鏡を盗もうとしたのは、その後に神社から逃げられるか不安で、かつ偶然俺たちと出くわしたから。身体の持ち主である樟葉を名乗っていたのは、巫女の魂を言霊でこの世に少しでも繋ぎ止めておくため……といったところかな。陽女神も、こんなことになっていたのだから、天女を巫女の身体から解放するくらいはしてくださればよかったんだけどね」
自分の推測も交え、
まったく正直な人たちね、と苦笑し、天女は自分の胸に手を当てた。
「私は、月の帝の姫君にお仕えする者、
沈痛の面持ちで唇を噛み、天女――葵は俯く。天狗に不覚を取ってしまった屈辱だけでなく、本当の樟葉を巻き込んでしまった罪悪感があるに違いない。
葵は、ゆえあって仲間と共に十数年もの間、地上を巡っていたのだという。天狗につきまとわれたのはその旅路の途中でのことで、意中の天女を手に入れられない天狗は、ならばと立浪神社の
だが、葵が山の周辺にいるらしいという手下の異形の報告を久しぶりに聞いたことで、天狗は樟葉の身体に葵の魂を移す計画を考えた。力は葵に及ばないが、長い時を生きたためか魂を抜きとる禁忌の術を天狗は身につけており、隙をついて魂を非力な人間の身体へ移してしまえば、天女を我がものにできると考えたのだ。葵もその優しさゆえに、己の器となってしまった樟葉を傷つけまいと力の行使を躊躇うはず、とも計算して。天狗は、葵の甘さにつけ込もうとしたのである。
しかしそんなことをしても、魂と肉体は本来の結びつきでなければいずれゆがみが生じ、異形と成り果ててしまうのだ。魂と魄と肉体が正しく結びついてこそ、生命は一つの命たりえるのだから。ましてや天女という強い力を持った命の魂であれば、人間の魄や肉体に馴染むはずもない。天狗は禁忌の術を心得ていたが、己の欲望に忠実であるあまり、その先に待つ未来を考える理性や知性といったものに欠けていた。
かくして巫女の身体に魂を移されてしまった天女は、仲間の助けによってなんとか天狗の魔の手から逃れた後、己の依り代となってしまった哀れな巫女を解放するべく、一人海へ向かった。巫女の記憶や感情を得られるために積もっていく、後ろめたさや罪悪感を抱えながら。――――そして、御行たちと出会ったのだ。
「――さっすが天狗と言いたくなる、胸くそわりぃ計画だな」
葵が天狗の計画を語り終えると、御行は心を占めた感情を隠そうともせず吐き捨てた。彼女と出会ったときに話の一端を聞かされ浮かんだ、彼女の追手に対する呆れに似た軽蔑は、今や心底の嫌悪と軽蔑だけとなっていた。
欲しいという感情は、わからなくはない。自分もまた、かぐやを望み、友を恋敵にしてここまで来たのだから。望むものをなんとかして手に入れようとする気持ちは、生きとし生けるすべての者が持つ、普遍的な感情だ。
だが、欲しいなら何をしてもいいわけではない。ましてや相手の意志を無視して捕らえるなど、許されるわけがない。それで手に入るのは相手の見目と、ゆがんだ満足感だけだ。従順な人形が欲しいなら、自分で作って遊んでいればいい。
ええ本当に、と葵は頷き、表情を曇らせた。
「巫女にもあの青年にも、悪いことをしたわ。神社の者たちは巫女が乱心したと怒っているでしょうし、あの青年もきっと傷ついている……謝って、事情を説明しないと…………」
「でも、今の君は魂だけで、身体は別なのだろう? 天女が人間と同じなのかどうか知らないけど、早く身体を見つけて元に戻らないと、まずいんじゃないのかい?」
人間たちに申し訳ないと言う葵に、麻也はそう冷静に問いかける。指摘されて御行もはっとした。彼女は今、魂魄だけの身なのだ。
銀龍も大きく頷く。
『肉の器に守られぬ魂だけでは、あらゆる力の影響を受けやすく、穢れも負いやすい。それらから身を守るためにも、また身体を悪用されないためにも、早急に身体を捜さなければならぬ』
「それについては、心配していません。天狗のもとから逃げるときに、身体は安全な場所へ隠し、封印しました。仲間は他の用で身体のそばにいませんが、無事のはずです」
葵はそうほのかに笑むと、銀龍に乞うた。
「天狗との事の後始末は、自分でします。ですが、この魂のままではいずれ消えてしまいます。それゆえ、この儚い身が肉体へ戻る前に消えてしまわぬよう、どうか加護をいただきたいのです。そしてできるなら、彼らの願いも聞いていただきたく存じます」
「葵……」
そう、双龍に深々と頭を下げる葵に、御行は思わず目を瞠る。彼女の目的は果たされたものの、まだしなければならないことをいくつも抱えているというのに。
御行はたまらずその場に膝をつき、双龍に頭を下げた。
「俺も、あんたたちに頼む。早くその首の宝玉を持ち帰りたいが、そこの天女をこのまま放っておくのも目覚めが悪い。せめて、身体を見つけるまで彼女の魂を守ってやってほしい」
どうかこのとおりだ、と御行も葵のために懇願した。葵が御行の願いを叶えてやってくれと双龍に頭を下げてくれたのに、自分は何もしないでいるのはどうにも我慢できなかったのだ。女に助けられ守られていては、男の立場がない。
しかし、おそらくは御行の頼み方が悪かったのだろう。双龍はたちまち怒りをあらわにした。
『この宝玉を望むのか』
『お前も所詮は財宝に目が眩んでいるのか』
先ほどまでの淡々としたものとは打って変わった、おどろおどろしい声が御行に降り注ぐ。御行に近づけられた口は大きく開けられ、真っ赤な舌と真っ白で鋭く尖った歯が覗く。怖いもの知らずの御行も、さすがにまずいと恐怖を覚えた。
「っ春日やめろ!」
主の危機を見た春日が抜刀しようとしたのを耳と気配で察知し、御行は制止した。聞きわけの良い従者はぴたりとその場に止まり、しかし納得いかないとばかりに、でもと反論しようとする。
「いいから下がれ! 麻也も術を使うな」
従者を従わせ、術を行使しようとした悪友にも指示を下す。ここで戦闘態勢をとれば、二度と双龍は首の宝玉を御行に与えようとしないだろう。敵に宝玉を渡すわけがない。
御行が宝玉を得ようとしているのは事実で、彼らの怒りはもっともだ。しかし、単なる好奇心や金目当てではないことを理解してもらいたい。いや、そうでなければ宝玉は手に入れられない。
御行は双龍をまっすぐに見返した。
「……そうだ。俺は龍の首の宝玉を手に入れるためにここまで来た。でもそれは、その宝玉が欲しいからじゃない。伴侶にと望む人がいるから、彼女を手に入れるためにあんたたちの首の宝玉が必要なんだ」
御行が言葉を選びながら、ゆっくりと理由を告げる。興味を惹かれたのか、金龍がわずかに視線を緩めた。
そして御行は双龍に、恋の鞘当てを語り始めた。
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