第8話 月夜の社・二


「とりあえず、第一関門は突破だね」


 と、麻也まやは大きく安堵の息をついた。御行みゆきも扉を振り返る。


「あいつら過激だな、境内で矢を使いやがって……」

「あれ、多分矢に何かの術がかかってましたよ。変な感じがしましたし」


 そう言う春日かすがは、兵たちを一歩も麻也と樟葉くずはのもとへ向かわせない働きを見せたというのに、涼しい顔である。もっともそれは、御行もだが。軽く体を温めた程度の感覚だ。


「貴方たち、ものすごく強いのね。特に春日君。御行に負けてないじゃない」


 額に汗を浮かべ、荒い息を整えながら樟葉が言う。男たちに後れを取らないよう走ったからか、四人の中で一番体力消費が激しそうである。


 くすり、と麻也は笑った。彼も服の袖で汗を拭っている。


「御行と春日の師匠は、里で一番強くて教えるのも上手いんだけど、鍛錬のやり方が過激だからね。崖から蹴り落とされるのは、しょっちゅうなんだよ」

「それどころか、隙あらば手首とか腕とか斬り落とそうとするからな、あのおっさん」

「首も平気で狙ってきますよねー。『この程度で死ぬ弟子なぞ要らん!』とか言って。鍛錬でも気を抜いたら根国ねのくに行きなんですよー」

「す、すごいお師匠様なのね……」


 二人が遠い目で鍛錬の一端を明かせば、樟葉は片頬を引きつらせる。まあ当然だろう。鍛錬とは名ばかりで、どう聞いても殺すつもりとしか思えない内容なのだ。実際に殺気が飛んでくるし、本気で殺すつもりなのではないだろうかと思ったことは、一度や二度ではない。

 その代わり、教えられたようにやって上手くできれば満面の笑みを浮かべ、褒めてくれる。褒美もくれる。飴と鞭の絶妙な使い分けで、弟子を掌で転がすのが上手いのだ。物騒な鍛錬は物心ついたときからの日常茶飯事でもある。だから御行も春日も命の危険を感じはすれど、特に恨むことはないのだった。


 呼吸が整うと麻也は立ち上がり、格子から差し込む月光だけでは足りず用意していた松明に火を灯すと、本殿の中を見回す。御行もつられて周囲に目をやった。


 神が降りる場所なのだからさぞ神聖な建物なのだろうと思っていたが、こうして見てみると、外と大して変わりない。ただ、外の音が一切入ってこないので、中にいる者に沈黙を促す空気があると言えばある。両親――とりわけ母が静かに怒っているときのような、居心地の悪さと無言の圧力とでも形容すべきか。


 その根源が、建物の奥にある厨子であるのは間違いない。平均的な成人男性の背丈の全身が白く塗られ、その上から極彩色の絵が描かれている。屋根に飾られているのは、大粒の青い石だ。


「御神体……神鏡はその中、だよな」

「そのはずよ」


 樟葉が頷くと、御行は厨子の前まで近づいた。荘厳な空気の中で神鏡を収めた厨子を前にして、御行の心の臓はあらぶるばかりだ。


 一度深呼吸をして精神を鎮めると、御行は二度拍手を打った。罰当たりですみません、でもかぐやに求婚するのに必要なんですと、陽女神に心の中で額を床にこすりつける。こんな罰当たりもいいところなことを決行している真っ最中だが、それを不敬と思い、神に頭を下げることを当然と思う程度の信心と常識はあるのだ。

 そして心を決めて、厨子の扉に手をかけた。何の抵抗もなく、あっさりと扉は開く。


 御行は、紫の敷布の上に置かれた桐箱を厨子の中から取り出した。正方形の箱は、ずしりと手に重い。


「中身、入ってますか? ここまでやって、箱の中に何もなかったなんてことは嫌ですよ。指名手配犯になりに来ただけになっちゃいます」

「いや、それはないだろ。ちゃんと重いし。空だったらこんなに重くねえよ。かすかに力の気配もするしな」


 春日が嫌なことを言うものだから、御行はすぐに反論する。しかし、重みや気配だけを頼りにするのも不安だ。じいっと桐箱を見つめ、思いきって箱を開けようとした。


 ――――が。


「駄目よ!」

「っ!」


 突然上がった樟葉の声に、御行は桐箱にかけた手を思わず止めてしまった。


「何だよいきなり」

「御神体には神が宿るのよ。御魂が宿っていなくてもその力の片鱗は宿っていて、人を傷つけることなんてわけないわ。その桐箱は、御神体が邪気に触れて穢れないようにするためだけじゃなく、神の力が外へ及ばないようにする役目もあるの。不用意に開けるものじゃないわ」


 きつい声音で樟葉は言う。故郷に神器はあれど詳しいことはよく知らない御行は判断しかね、けれど警告を聞かないわけにもいかず、困って麻也に目をやった。術者である彼は、こういうことに詳しいだろうと思ったのだ。


「……随分詳しいね、樟葉。まるで巫女みたいだ」


 不意に麻也がそんなことを言う。ゆっくりした声音には迫力があって、樟葉の表情がきりりと警戒に引き締まる。

 御行は慌てた。


「麻也、そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」

「なに、ちょっと気になっただけさ」


 と、麻也はにっこり笑う。絶対そうじゃねえだろと御行は思ったし春日は実際そう口にしたが、麻也の一瞥で目を逸らした。いつものことだが、この男のこういう顔には勝てる気がしない。


 御行とて、麻也の言うことが理解できないわけではないのだ。普通、特定の神社の内部だけでなく御神体についても詳しい術者となれば、その神社の巫女か神職くらいしかいない。が、そうした秘密を巫女や神職が安易に外部の者に漏らすだろうか。彼女が神路かんじ島へ行こうとする理由だって、御行たちは知らないのである。彼女の素性はもちろんのこと、やることなすことにも疑問しかない。


 だが、彼女が御行たちと出会ったのは変な男に追われていたからで、御行たちと協力することにしたのも、御行たちが神社へ忍び込むつもりだと気づいたからだ。御行たちを標的としたよからぬ企みごとをする暇はない。彼女が御行たちに害を加える理由もわからない。


 それに、目的を同じにしているのだ。正体は疑わしくても、仲間だと信じていいはずだ。――――少なくても今は。


 樟葉は唇を噛み、片方の拳を握った。


「…………疑わないでとは言えないわ。貴方たちに自分の正体も、目的の理由も言っていないもの。でも私は、貴方たちの邪魔をするつもりはないの。神路島へ行くために御神体が必要だから、こうして貴方たちと協力しているのよ。それだけは信じて」

「……」


 麻也の疑いの目を真っ向から受け止め、樟葉は信用を望む。その端麗な横顔は、偽りのない心の言葉であるとしか御行には思えない。


 だから、御行は強く頷いて見せた。


「わかってる。あんたは神社の中を案内してくれたんだ。俺はあんたを信じるよ」

「というか、一緒に神社へ不法侵入した時点で一蓮托生決定ですよね。皆で本殿に閉じ籠っちゃってますし。信じるかどうか以前の問題ですよねー」


 あはは、と春日はこんなときでも呑気に笑って、しかし毒が混じっている気がしなくもないことを言う。彼らしいと言えばらしいのだが、もう少し優しい言葉をかけてやれないのだろうか。


「春日、お前、もうちょっと言葉を選ぶってことをしろよ」

「えー、本当のことじゃないですが。それに僕だって、樟葉さんは僕たちを裏切ったりしないって思ってますよ?」


 御行がたしなめると、春日はそう反論する。嘘偽りを言うくらいなら口を閉ざすこの少年がはっきりと言うのだから、本当に彼女を信じているのだろう。御行は少し安心した。


 麻也は呆れの息をついた。


「……君たちがそうも呑気だから、俺がはっきり疑わなきゃいけないんだけどね」

「わかってるさ。でも今は必要ねえだろ。……それより考えなきゃいけねえのは、こっから無事に脱出する方法だ。昼間のうちに決めてあるけど、それでいけるかどうかわかんねえし」


 事前の作戦では、麻也が術で氷か土の壁を作り、御行と春日が兵を足止めしている間に塀を登って逃亡。その足で砂浜に用意してある小舟まで逃げ、神路島へ向かう――――ことにしている。


 だが、今の状況でもそれは可能なのかどうか。本殿の周囲を囲まれるのは想定内だが、こうも内部から外部の音声や気配を探り、相手の出方を窺えないとは思わなかった。外の状況がわからないと、作戦を変更せず実行することに不安が生まれてくる。


 だが、樟葉は言うのだ。


「大丈夫よ。私たちが考えて実行するのだもの。成功するわ」


 それはまるで未来を知っているかのような、自信に満ちた声音と表情だった。

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