第二章 泥棒
第7話 月夜の社・一
絶えずさざ波の音が聞こえる、満月より少しだけ欠けた月が照らす夜。賑わいが建物の内に籠り、人気が失われた通りの影を、四つの影が人知れず走っていた。
かまいたちには一つ多い影の連なりは、白壁の塀を巡らせた、町で一際大きな建物の前で足を止めた。月に照らされたいくつもの建物が、塀を越えて大路に濃い影を落とす。
先頭を歩いていた
「いい? この塀には、結界が巡らされているの。普通に越えようとしたら弾き返すし、無理やり中へ入れたとしても、気づかれて追いかけ回されるわ。中へ入ったら、早く本殿に安置された神鏡を借りて逃げないと駄目よ」
「それ、普通は盗むって言うんじゃ……」
「そこには触れないほうがいいよ。どうせ俺たちだって元々、不法侵入するつもりだったんだし」
注意に的確なつっこみを入れる
「それにしても、本殿ってことは、この神社の奥まで行かなきゃいけねえってことだよな。しかも、境内のすぐ外に私兵団の詰所があるし。……まあ別に、地元の志願者の寄せ集め程度だから、どうってことはねえけど」
情報収集の一環で町を歩く兵の動きを観察したり、私兵団の練兵場をこっそり見学していた御行は、自信たっぷりに言ってみせた。
なにしろ、物心ついた頃から恐ろしく強い師匠にしごかれてきているのだ。肥えた目は、あの程度の力量、そして数であれば、自分と春日で蹴散らすことができると御行に告げていた。仮に厳しくなっても、麻也と樟葉がいるのだ。なんとかなるだろう。
「神鏡を盗むまではまだ簡単だけど、その後が大変だよ。捕まると裁判なしで死刑だろうからね。町に留まれば砂浜に兵を配置されて、町中の人間に捜されるだろうし。今夜中に島へ向かわないと駄目だよ」
麻也が目的と条件を整理すれば、難易度高いですね、と春日は笑って締めくくる。いつものことながら、この子供には緊張感というものが存在しないらしい。
建物の影に隠れる位置で、まず御行が塀の上、地面に落ちるぎりぎりのところへ両足だけで跳躍した。続いて春日も身体能力だけで登り、麻也は太刀を使って塀の上に姿を現す。樟葉は太刀だけでなく、御行の助けを加えてだ。
まだ見張りに見つかっていないのを確認し、御行はにっと口の端を上げた。
「おし、気合入れてくぞ。――――麻也、頼む」
「了解」
麻也は一つ頷き、両手で印を組んだ。
両の指の形が変わるごとに、周囲の空気が変わっていく。清水を溜めた桶に色水がとろとろと流し込まれるように、夜気に力が混じっていくのを御行は肌で感じた。
「――――――――解」
麻也が音を発した瞬間、壁にひびが入り、砕ける音がした。
「行くわよ」
言うや、上半分だけの面で顔を隠した樟葉が一番に塀から飛び降り、御行たちも次々と境内へ下りた。結界で隔絶されている中へ入ったからか、感覚を一瞬、得体の知れないものが駆け抜ける。
不意に、静寂を斬り裂くように甲高い笛の音がした。人の気配が建物から外へ出てくる。松明の火が灯されていく。
やはり、気づかれた。御行たちは樟葉が案内するまま、私兵に囲まれる前に本殿へ逃げ込むべく、境内を駆けた。
境内の半ばまで駆けたところで、どこからともなくひらひらと人形の紙切れが飛んできた。紙切れは四方へ一度散じると、巨大化しながら四人の頭上で腕に相当する部分を交差させ、網のようにして四人を捕獲にかかる。突破しようにもすべての方向で何本もの足が踏みしめていて、せいぜい春日や樟葉が通れる程度の隙間しかない。
「凍れ!」
そんなとき、御行の背後で麻也が言葉を発した。刹那、四人の行方を取り囲んでいたすべての紙切れが氷結する。腕も頭も、胴も胸も。極寒の空気に御行は身震いした。
さらに麻也が力を発すれば、前方の足が破砕し、道が開ける。当然、御行たちは我先にと氷の檻から逃げた。
「凍らせるんじゃなくて、石にすりゃよかったんだよ! 寒かったじゃねーか!」
「悪かったね。とっさに思いついたのが氷結の術だったんだ」
まだ残る冷気に御行が悪態をつけば、麻也は悪びれずにそう返す。絶対嘘だと御行は思った。
そんなことを言っている間に舞殿や社務所へ繋がる拝殿の廊を横切り、幣殿も横を通り過ぎると、拝殿よりは小さいが壮麗な建物がすぐに見えた。朱塗りの柱に白壁、欄干に緑。門扉に描かれた神使たる色鮮やかな海蛇が、不届き者を睨みつけてくる。
本殿――御行たちの背後から声がする。御行が振り返ると、駆けつけた兵たちが弓を構えていた。前を向いてもやはり、矢を構えた兵たちが不届き者を捕らえようと待ち構えていた。
「後ろの矢を止めろよ」
「承知!」
応じるや、春日が御行の視界の端から消える。その一瞬後、御行は足に力を込めるや、風の速さで兵たちに接近した。顔を驚愕で染める兵たちににっと笑ってみせて、直後、太刀を薙ぎ払って何本もの弓を破壊する。果敢に立ち向かってくる数人の太刀を一振りで折り、さらに蹴りや殴打で戦闘不能にしていく。
考える必要はなかったし、囲まれている恐怖もなかった。ただ、兵や矢が自分の横をすり抜け麻也や樟葉を狙わないよう、御行は注意を払った。
「開いたぞ! 中へ入れ!」
術が放たれる前に御行が神官を殴り倒したところで、扉の解錠に専念していた麻也が声を上げた。それに応えて御行は太刀を薙ぎ、春日と共に兵たちを牽制してから扉に駆け寄る。
四人で本殿の中へ飛び込み、兵たちが術や矢を放つ前に春日と樟葉が閉めると、麻也が術で扉に錠をかける。途端、それまで否応なく耳に届いていた怒号や砂利を踏む音がすべて絶えた。それを確認し、全員でその場に座り込んで息をつく。
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