第一章 出会う者

第1話 月下に走るは・一

 大小様々な島々で形成されるこの島国は、数百年前から暁原あきはらと号している。今で言うところの西国より陽女神の末裔たる初代の帝が起ち、各地の豪族を従わせ、島国の中央部に都を築いたのが始まりだという。それからはるかな時が流れ、地域の長として形ばかり残っていた豪族の血統もとうの昔に絶え、帝を頂点とする中央政権が天下を統治するようになって久しい。国と呼ばれる行政単位だけが、かつてこの島国が統一国家ではなかった証拠として残っていた。


 暁原の都・天原あまつはらが所在する大宮おおみや国の西方にある姫穂ひめほ国は、北を山が占め、南に内海が広がる国だ。暁原の東西を結ぶ街道が内海沿いに国を横断しており、また内海を行き交う船が数多停泊できる港も整備されているため、商業が盛んである。天原で見かける西国の品々は、二つに一つは姫穂国の南を知っている、と謳う歌人がいるくらいだ。


 この国で何よりも有名なのは、内海側の信仰だ。最短距離なら数刻で到着する、内海に浮かぶ神路かんじ島への信仰。内海とそこに浮かぶ島の伝説を御伽噺と笑ったばかりに取引を断られた他国の商人は多く、姫穂の民にあの島の話を振るな、と笑い話のような本気の話が、他国の旅人や商人の間に広く流布されていた。


「――――そういう国で町だもんなあ、ここは。わかってたけどよ……」


 姫穂国の宿場町・明鳥あとりの海辺に門を構える宿で食事を摂りながら、男三人連れの頭である御行みゆきは長いため息をついた。


 長い黒髪を緋色の紐で無造作に束ねた若者だ。深みのある色合いの動きやすそうな身なりをしていて、箸を皿の上に置いた手は大きく、指に胼胝がある。よく鍛えていることはあらわな首筋や二の腕、衣服の上からでもわかる均整の取れた体つきを見ても明らかで、傍らに置いた黒鞘の太刀がよく似合う。

 顔立ちは粗野で荒っぽいが整っていて、上背が高くがっしりとした体躯と合わせ、当人の豪快で大雑把な性格をそのまま表している。愛嬌を振りまく大型の野生の獣、というのが賢い幼馴染みや教養深い親友たちの評だった。


 仕方ないですよー、と隣に座る小柄な少年は呑気に言った。


「というか当たり前のことじゃないですか。信仰やら風習やらで、行きたい場所に行けないのは。ここに限らず、他の国だって大して変わんないですよ。里から出たことがない御行様はあんまり知らないでしょうけどー」


 と、少年はけらけら笑う。黒髪と大きな黒瞳、御行より年少の外見は、愛らしい従者といったふうである。ただ、横に置いた深紅の鞘の太刀は、彼の小柄な体躯にひどく不似合いだ。無理やり持たされているようにしか見えない。

 慇懃無礼なこの従者を、御行は当然のように太刀で殴った。二人ともちょうど食べ終わっているので、殴っても支障はない。


「別に馬鹿にしたわけじゃないのにー」

「最後の一言が余計だ。ちょっとは考えてしゃべれちび」


 抗議してくる従者を一蹴し、御行は残りの料理を食べ終える。二人のやりとりを見ていた青年――麻也まやは、はあと息をついた。

 御行と同年代の、柔らかな印象を与える風貌の持ち主だ。片耳にだけ付けられた、小さな硝子玉を連ねた耳飾りが容姿に華やかな色を添えている。男らしい見目の御行がそばにいるだけに、麻也の優男の外見はより際立っていた。


「……言い方を選べば殴られずに済むと、何回言ったら実行するのかな春日かすがは。御行も大人げない。彼の毒舌は今に始まったことじゃないだろうに。聞き流しなよ」

「従者の躾だ、躾」

「乱暴ですよー」


 またじゃれあいである。麻也はまた呆れの息をつくと、横暴な主と躾がなっていない従者の仲裁を諦め、御行に話題を振った。


「……それで、これからどうするんだい御行。龍の首の宝玉を手に入れるには、まず大渦を越えて神路島へ行く方法と舟を見つけないと、話にならないんだろう?」

「そうだな……」


 春日と言いあいになりかけていた御行はすぐに応じ、わずかに俯いて沈思した。


 三人がわざわざ姫穂国の明鳥を訪れたのは、内海にある神路島に用があるからだ。四方を取り囲むいくつもの大潮に守られた、内海一の神秘の島。その来歴と不思議は、神話や伝説、絵物語や芝居の形で姫穂国の民ならず、都人にも知られている。そんな島へ行くなんて正気の沙汰ではない、馬鹿だ阿呆だとさんざん言いながらも結局いつものように付き合ってくれるあたり、こいつらも相当暇人で馬鹿だよなあと、御行は口にはしないが感謝していた。


 都やこの町で聞いた話によると、神路島は古来から、明鳥の海辺にある立浪たつなみ神社の宮司や上位の巫女、皇族の他は、許されたごく一部の者しか入ることができないと厳しく戒められている。好奇心から神路島へこっそり上陸しようとする者も時折いるが、そのことごとくが島の周囲に常に発生している大渦に巻き込まれ、二度と陸へ上がってくることがないか追い返されてしまう。大渦の間を縫うように進んでいても、不思議な力が働いてやはり島へ上陸できないとか。島に鎮座する国生みの大神とそのしもべたる二匹の龍が島を守っているのだ、と姫穂国の民が信仰するのも無理はない話である。


 つまり、皇族でも神職でもない三人が神路島へ合法的、かつ無事に上陸できる要素は一欠片もない。だが、御行には、神路島にどうしても行かなければならない理由があるのだ。そのためには犯罪だろうと何だろうと、それが流血沙汰やひどい詐欺でない限り、手段を選んでいられない。危険があるとしても、やるしかないのだ。


 顔を上げた御行は、髪を掻いた。


「とりあえず、神職と顔見知りになる方法を探すしかないよな。大渦に巻き込まれずに済む方法は、神職に聞くしかないだろうし。舟は……港で誰かに借りるか」

「うーん、そうなると、神社に忍び込む方法を見つけないと。神社って大きかったり古かったりすると、位の高い巫女さんとか神職の人とかってあんまり敷地の外に出たりしないですし、大抵は神社の敷地に結界を張ってるんですよね。まあそこは麻也様ならどうにかできると思いますけど……神職さんをたぶらかすのは、御行様がやってくださいね」

「説得と言え、説得と」


 片頬をひくつかせて御行が訂正すると、えー、と春日は不満の声を上げた。


「たぶらかす、でしょう? 神路島へ連れてってもらうんですから。脅迫じゃないだけましだと思いますけど――――いだっ」

「一言余計だっての」

「……いつも思うんだけど、学習能力をどこに置き忘れてきたのかな、君たちは」


 と、程度の低いやりとりを見ていた麻也は冷めた目で見ながら水を飲む。これは日常茶飯事なのだ、誰だって馬鹿らしくなるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る