54 卑

 じっとしていても落ち着かない。

 だから料理をしようと華野健斗が重い腰を上げる。

 健斗は元々器用な方だ。

 飲み込みも早いからレパートリーも多い。

 蛍の倍はあるだろう。

 今夜、健斗が作っていたのは『かじきと長いもの高菜炒め』だ。

 一応、二人分で作っている。

 材料は、かじき(二切れ)、長葱(三分の一本)、長芋(八センチメートル、約一五〇グラム)、高菜漬けの粗みじん切り(四〇グラム)、生姜の千切り(二分の一かけ分)、塩、胡椒、護摩油、醤油だ。

 作り方は、まず葱を五センチメートルに切り、四つ割にする。

 長芋は半分に切り、一センチメートルの棒状に切る。

 かじきは一センチメートル幅に切り、塩、胡椒を振る。

 ついで、フライパンに護摩油を小匙一杯入れ、熱し、かじきを加え、炒める。

 かじきの色が変わったら、生姜、長芋、高菜漬け、葱を順に加え、その都度さっと炒め合わせる。

 全体に油がまわったら水を大匙二杯加え、炒め合わせ、高菜漬けが全体に馴染んだら醤油を小さじ半分から一杯加え、味を整える。

 十五分もあればできるので先に米を炊いておく。

 それに冷凍しておいた味噌汁と漬物を合わせれば夕食だ。

 健斗がキッチンテーブルに座り、自分で盛り付けた料理を見る。

 ついで蛍たちも呑んでいるからと冷蔵庫からビールを取り出す。

 ビールをコップに注ぎ、一口呑む。

 ついで心を落ち着かせ、『かじきと長いもの高菜炒め』に箸を伸ばす。

 一口食んで考える。

 味は上手いが、健斗は食べている気がしない。

 蛍の心が自分から離れていくのが恐ろしいからだ。

 それで夕食を食べている気がしない。

 けれども食材を口に運べば味がわかる。

 人間とは不思議な生き物だと健斗が思う。

 それから困ったように嘆息する。

 昨夜、告白を終え、涙を枯らした目で、この家に帰って来た蛍を労おうとした健斗。

 蛍の肩を軽く叩こうとしたが避けられる。

 これまで一度も、蛍が健斗に見せなかった態度だ。

 あるいは蛍自身、気づいていないかもしれない。

 が、いずれ、蛍に気づく日が来るだろう。

 健斗はそれが恐ろしい。

 本当に恐ろしくて堪らないのだ。

 蛍の気持ちなら健斗はいくらでも知ることができる。

 文字通り、手に取るように……。

 自分の我儘を許したおれを生涯愛そうと決めている。

 振られた男への想いを懸命に消そうと努めている。

 蛍はそういった人間だ。

 おれはそれを知っている。

 知っているが、不安なのだ。

 いや、知っているからこそ、不安なのか。

 何故かといえば、それができないことだとわかるからだ。

 表面上はできるように見えても不可能なのだ。

 何故なら、それが、おれの蛍への想いと同じだから……。

 心の奥底で、もう蛍には愛されていないと感じても、おれの蛍への想いは消えないからだ。

 それは蛍も同じだろう。

 おれたちは、そんなところは似ているのだ。

 けれども蛍は想いを消す決心をする。

 それは、おれへの感謝からだ。

 堪らなく愛おしいが、おれには感謝される資格がない。

 何故かといえば、おれが、これまで蛍を騙し続けて来たからだ。

 おれが蛍を後押ししたのは、ただの一度。

 昨晩のだけのことだ。

 それ以外は、いつでも蛍の恋の邪魔をする。

 多くの恋の可能性を可能性のまま終わらせる。

 だから、おれには蛍に感謝される資格がない。

 蛍に恨まれるのが筋なのだ。

 が、蛍はおれの過去の行為に気づいていない。

 だから好きな男に振られた今、おれだけを愛そうと自分の心に誓ったのだ。

 おまえ、バカだろ、蛍……。

 おれが奪ったのは、おまえの恋の可能性だけじゃないかもしれないんだぞ。

 おまえの人生をすっかり塗り替えてしまったかもしれないんだぞ。

 が、そこまで考えても健斗には蛍に告白する勇気がない。

 今までの自分の行為を曝すことができない。

 健斗が話したところで蛍の恋は叶わないだろう。

 が、本心を包み隠さずおれに話した蛍に対し、おれができる精一杯の返礼ではないか。

 おれが話せばおれが辛く、さらに蛍も傷つける。

 が、それでも正直に話すのが道理ではないのか。

 けれども、おれには……。

 おれはもう二度と蛍の身体に触れることができないかもしれない。

 一緒に暮らすことは可能だとしても……。

 何故なら蛍が無理にでも、そうできるように努めるから……。

 が、華野健斗よ、それで良いのか。。

 悲しく散ったが、初恋を知った春野蛍に自分の人生を返してやるべきではないのだろうか。

 離婚を切り出すなら、おれからだろう。

 蛍が切り出すはずがない。

 おれたち夫婦には幸い、まだ子供がいない。

 それは検診でも確認している。

 けれども今のおれには切り出せない。

 逆に蛍がおれとの離婚を切り出してくれれば助かるのだが……。

 そうすれば、おれは蛍に自分がしたことを話さずに済み、また離婚後も蛍がおれのことを感謝し続けてくれるだろうからだ。

 が、そんな想いが胸を過った直後、健斗と己を嫌悪する。

 何と虫の良いことを考えている人間なのだろうか、と……。


 参考

 レタスクラブニュース

 かじきと長いもの高菜炒め

https://www.lettuceclub.net/recipe/dish/20883/

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