21 食

「二人で、外でご飯食べるの久し振りだね」

 山口翔の妻兼作家で会社員でもある相沢夏海が翔に言う。

 会社員なのに金曜日が休みなのは代休のためだ。

 先週の土曜日に休日出勤している。

 翔と夏海がいる場所はイタリアン・レストラン。

 ホタテ、アボカド、プチトマト、ルッコラ、バジリコからなる前菜が終わり、マルゲリータ・ピザを食べ始めたところだ。

 赤ワインも飲んでいる。

「オレが、まだ三ヶ月目の新入社員だからね。夏海は四年目だけど」

 翔より夏海の方が年上らしい。

「こっちは事務で内勤だし、珍しい仕事も先週土曜日の剪定の時間に会社に居ろ……くらいだから楽だけど、翔は営業だからね」

 夏海が言うと、

「夏海だって家で遅くまで小説を書いてるじゃん。忙しいのは、そっちだよ」

 翔が夏海に指摘する。

「迷惑かけてゴメンね」

「別に迷惑じゃないから……」

「でも電気が点いてると気になるでしょ」

「オレはそんなに繊細じゃないよ」

「ううん、翔は繊細よ。いろいろと気遣ってくれて、ありがとう」

「だって作家になるの、夏海の夢だったわけだし……」

「実はデビューできるとは思ってなかったけどね」

「うそ」

「本当よ。書き始めたのが十歳くらいのときで、あの頃は童話だったけど、それから普通の小説に変わって山のようにコンテストに応募して一次さえ通らないまま十数年……」

「オレは面白いと思ってたけどな。夏海の小説。まあ、全部は読んでないけど……」

「そんなこと言ってくれるの、半年前まで、翔だけだったよ」

「良かったね、売れて……」

「全部、翔のおかげです」

「そんなことないでしょ。書いてんの夏海だし……」

「翔が、ここを直したらいいとか一切言わず、オレは面白いと思うよ……って言い続けてくれたからよ」

「本当のことを言うと、よくわかんない箇所も結構あったんだ。オレの方が年下で知らないことが多いから……」

「そうね。でも具体的な感想を聞いたら本質は摑んでいたから、翔は凄い、って思ってました」

「それはありがとう」

 翔が夏海に優しく言う。

 夏海がそれを笑顔で受ける。

「でも、まだ一般読者受けしていないから……。編集さんの目は通ったけど、ずっと雑誌を読み続けている読者さんの目は通ったけど、何となく雑誌を手に取り読んでくれた人が面白い……って思ってくれていないところは、これまでとまったく同じだから……」

「焦らなくていいよ」

「焦りはしないけど、でも次のチャンスはないって思ってる。ここで埋もれたら二度と這い上がれないって……」

「もし夏海がそうなっても、オレが読者を続けるから……」

「えっ」

「でも夏海はオレのためにじゃなくて自分のために書いてよ。それが最終的に、オレのためになるとしても……」

「驚いた。翔、大人になってんじゃん」

「そりゃ、働いてますからね。……って、夏海は今まで、オレのこと子供だと思ってたわけ」

「だってさ、付き合い始めたときが、そうだったじゃない」

「オレが中学生で夏海が高校生だな」

「翔、よく自分から告ったわね」

「それを言ったら夏海はよくオレの告白を受けたな」

「翔の、わたしを守りたいっていう気持ちが伝わったからよ」

「……」

「小さいときから片親で育って、ずっとこのままかな、って思っていたら急に母が結婚するとか言い出して……」

「あのときは大変だったね」

「今でも気持ちの区切りは着いてついていないわ」

「……」

「祝福したいけど、母が取られるって気持ちの方が大きくて……。それを中学生の坊やが慰めてくれたのよ」

「坊や、じゃねえよ」

「あら、坊や、じゃない」

「だけど実際、オレじゃ頼りなかったよな」

「ううん、そんなことないわよ。十分、頼りにしたよ」

「それなら、よかった」

「でも時々、子供だな、って思うことはあったけどね」

「夏海の気持ちが汲み取れないとき、オレも自分が子供だと思ったよ」

「ませたガキね」

「夏海だって、お父さんがいない分、早く大人になっただろう」

「お母さんに楽をさせたい、と思っていたから……。だけどその役は早々と新しいお父さんに取られたわ」

「あの人、悪いヒトじゃないよ」

「それは最初から知ってる。むしろ良い人……。母にとっては……」

「でも夏海には必ずしも良いヒトじゃない、ってことか。難しいね」

「わたしが子供なのよ。親子関係だけが、そう……」

「娘はいつまでも母の娘だよ。だから子供でいればいい」

「そう割り切れてたら、わたし、翔に八つ当たりなんかしなかったよ」

「オレに八つ当たりするくらいで夏海の気が済むなら……って思ってたよ」

「自分に自信がなかったんだわ。母に楽をさせたい、と一生懸命思っていたのは引っ繰り返ったその現れ。益々強固にしたのが小説の落選……。コンテストに何年も落ち続ければ心が折れる。自分には才能がない……って思えてくる」

「才能、あったじゃん」

「そうね。でも、それを開かせてくれたのは、翔よ。ありがとう」

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