初恋知らず(恋蛍)

り(PN)

第一章 まさか、この気持ちは…… 1 告

 人の姿も疎らな夜のプラットホーム。

 滑り込んで来た電車から勤め人や学生たちがパラパラと降りる。

 その中に一際目立つ若い男がいる。

 背が高く、ほっそりとした身体つき。

 美形というには、やや鼻が大きいが、顔全体のバランスは悪くない。

 事実、その男はモテる。

 ……というより、子供の頃からモテ続ける。

 けれども浮ついたところは何処にもない。

 それがまた多くの女性たちの心を擽る。

 しかし、その夜、男は誰の関心も惹いていない。

 黒い鞄を持ち、ゆっくりと改札に向かって歩いている。

 ……と、そこに慌てた感じで一人の女性が走り寄ってくる。

 同じ電車に乗っていたのか、それとも柱の陰に隠れていたか。

 女性は自分でも困ったような表情を浮かべている。

 自分の気持ちを持て余してしまった人のようだ。

 女性の形相は必至だが、どことなくユーモラスな雰囲気もある。

 本人にとっては、それどころではないのだろうが……。

「翔しょうくん」

 僅かに躊躇った末、突然女性が男の名を呼ぶ。

 どうやら二人は知り合いのようだ。

「どうかしましたか」

 女性の声に振り返った男、山口翔が驚いて答える。

「蛍ほたるさん」 

「あの、わたし、翔くんを見かけたものだから……。あの、わたし、翔くんのことが好きになってしまったから……」

 華野かの蛍が遂に言ってしまったという表情を見せる。

 山口翔は蛍を優しく受け入れる。

 が、すぐに困ったように視線を逸らす。

「気持ちは嬉しいですが、オレ、結婚してますから……。結婚指輪はしていませんが……」

「もちろん知ってます」

「だったら何故……」

「気持ちを伝えないと自分に嘘を吐いている気がして……」

「……」

「ごめんなさい。面倒臭い女で……」

「いや、頭を上げてください」

「だって迷惑をかけちゃったから……」

「まだ迷惑はかけられていませんよ」

「本当に……」

「そう訊くところが迷惑かもしれませんけど……」

 山口翔の言葉に華野蛍がクスリと笑う。

 そんな華野蛍の仕種に山口翔がふと微笑む。

「自分勝手だけど、言って、すっきりした」

 もう平気なんだ、と決断した人の声で華野蛍が口にする。

「それは良かったですね」

 山口翔は困ったように受け答え続けるしかない。

 けれども、そんな山口翔の言葉に勇気を得たように華野蛍が宣言する。

「でも、もう忘れる。翔くんへの想いは忘れる。だから翔くんも忘れて……」

「蛍さんが望むなら、そうします」

「それでさ、もしも会社で会ったら普通に話をしてね、お願い……」

「良いですよ。そんなことくらい」

「本当、ありがとう。ホッとしたわ」

 言葉通り、華野蛍の顔がホッとする。

「何だか、オレもホッとしましたよ」

 つられて、山口翔も表情をホッとさせる。

 遠目から見れば二人は初々しい恋人のようだ。

 けれども山口翔には妻がいる。

 更に困ったことに華野蛍にも夫がいる。

 どちらも、まだ新婚で子供はいない。

「蛍さんは三つ先の駅ですよね。送りましょうか」

「いえいえいえ、滅相もない」

「だって、オレに一言伝えるために、こんな時間まで駅にいたんでしょ」

「それはわたしの我儘だから……」

「だったら気をつけて帰って下さい」

「はい、そうします」

 しかし次の電車はまだ来ない。

 二人とも大人なのだから、その場で別れて可笑しくないが、何故か空気が別れがたいのだ。

 それで話が妙な方法に向かう。

「旦那さんには仰ったんですか」

 山口翔は華野蛍に夫がいたことを知っていたらしい。

「ここに来る前に話したわ。言って、玉砕してくるから……って」

「それじゃ帰り辛いでしょう」

「でも、しかたがない。わたしの家は、あそこだから……」

「旦那さん、怒っていないんですか」

「怒るというより呆れていたわね」

「あはは……。まあ、オレも同じことを言われたら同じ反応をするかもしれませんけど」

「でも、わたしの気持ちを知っていたかもしれない」

「えっ、そうなんですか」

「健斗けんとは昔から、わたしのことはお見通しなの」

「そういえば旦那さんとは幼馴染でしたね」

「今は引っ越したけど、子供の頃は本当に家が近くで……」

「仲が良かったんでしょう」

「今となっては良くわからないけど、ずっと面倒を見られていた気がするわ」

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