3 翔
「ホラ、見て見て、あそこ……」
複数の女性社員たちが騒いでいる。
彼女たちの視線の先を追うと、ある男の姿に行きつく。
山口翔だ。
単に会社に出社して来ただけだが、注目のされ方が違う。
が、慣れているのか、彼女たちの視線にたじろがない。
クールに前を見つめ、通り過ぎる。
「ホラホラ、蛍も見る……」
同僚の中村葵に言われ、華野蛍も山口翔に目をやる。
社屋ビルの吹き抜け中二階の廊下から……。
つくづくと山口翔を見て蛍は思う。
ウン、確かに格好良い。
でも冷たそうだ。
自分のことをうっとり見つめる女性社員たちに少しも愛想を振り撒かない。
偶々、視線が合った相手に目礼するだけだ。
「確かに格好良いけどね」
蛍が口に出してコメントする。
「でも、わたしの好みじゃないな」
「蛍には健斗がいるからね」
「まあね」
「仲が良くていいわね」
「ウン。確かに……。これまで派手な喧嘩もないし、相性は抜群かも……」
「朝からノロ気かよ」
「いやいや、そんなんじゃないけど……」
「付き合い、ホント、長いんだよね」
「ほとんど生まれたときから……っていうか、記憶の初めから」
「ある意味、すごいわ」
「自分じゃ、わかんないんだけどね」
「ねえ、蛍は何時、健斗のこと好きだって想ったの」
中村葵に訊かれ、蛍は惑う。
そういえば、何時なのだろうか。
中学の時、初めて、好きだ、と告白されたときか。
それとも高校時代の二度目の告白のときだろうか。
あるいは大学三年時、プロポーズされた瞬間か。
「わからない」
「えっ」
「いや、だからわからない」
「どうして……」
「どうしてってこともないけど」
「……」
「うーん、とね。嫌いだったことは、これまでない。でも、好き……かって訊かれると違うような気もする。考えれば考えるほど、わからない」
「それくらい空気みたいな存在なのね」
「ああ、そういうことなのかな。でも、やっぱり違うような……」
「全然違わないんじゃないの。記憶の最初から好きだった……ってことでしょ。羨ましい」
「そうなのかな」
「あーあ、蛍には健斗がいるし、あたしは翔くんを狙うかな」
「あの人だとライバルが多過ぎない」
「そんなの、恋の障害にならないわ」
「恋か……」
「恋よ」
「ねえ、一つ質問していい……」
「どうぞ」
「葵が翔くんに恋をしたとして、葵は、そのときどういう気持ちになるの……」
「蛍、アンタ、頭、おかしいんじゃないの」
「いいから教えてよ」
「うーん。じゃ、まず、甘酸っぱい」
「それから……」
「辛くて切ない」
「ふうん、それから……」
「悲しい……かな」
「そんなの、少しも愉しくないじゃない」
「そんなことないわよ」
「だって……」
「苦しい」
「だから……」
「溜息が出る」
「ホラ……」
「涙も出る」
「だから、さ」
「頭の中が翔くんでいっぱいになって他のことは何も考えられなくなる」
「やっぱり悪いことだらけじゃない」
「それが違うんだなあ」
「……」
「蛍は相手が幼馴染だったから経験ないかもしれないけど、恋って辛くても好いものなのよ」
「わたしには全然わからないわ」
「じゃ、蛍、翔くんに恋してみたら……」
「だから、わたしの好みじゃないし……。わたしには健斗がいるし……」
そのとき、どういう経路を辿ったのか、山口翔が蛍と葵に近づいてくる。
「ホラ、行っちゃへ……」
葵が面白半分、蛍を山口翔の歩いてくる方向へ突き飛ばす。
「あっ」
不意を突かれた蛍の身が仰け反り、胸ポケットからスマートフォンが飛び出す。
それが山口翔の進行方向すぐ前に落ち、バリッ、と……。
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