48 始

 やがて運命の日が訪れる。

 その日、健斗が家に帰ると蛍がキッチンで震えている。

 例の話があるが切り出せないのだ。

 この数日間、蛍の顔色に変化はなかったから急に相手の都合がわかったのだろう。

 健斗は祈る気持ちと蛍を諦める気持ちで胸がいっぱいになる。

 ついで気分が悪くなる。

 遂に来るべき日が来たか。

 健斗は思うが諦めきれない。

 けれども、ここで蛍を押さなければ、世界一蛍のことが好きな男だった、と、この先自分に自慢することができない。

 が、そうはいっても……。

「ああ、あの、健斗、お、お話があ、あるんだけど……」

 蛍が健斗の顔を見ずに言う。

 必死に声を絞り出している。

 そんな蛍の姿を見つめていると健斗は可哀想になってしまう。

 自分から話を切り出したくなる。

 が、それはダメだ。

 ここは蛍自身に決断させなければならない。

 おれがここで蛍を助ければ、蛍はきっとおれを頼るだろう。

 それではダメだ。

 相手の男に告白し、おそらく玉砕しても、自分には帰ってくる場所がないとまで覚悟してもらわなければ……。

 それぐらい強い意志で行ってもらわなければ……。

 が、まあ、少しくらいの後押なら構わないか。

「蛍、何、どうかした……」

「あ、あの、健斗、お話が……」

「それは、さっき聞いた」

「あ、あの、こんなこと言うの、すごく我儘なんだけど、どうしても健斗には言わなきゃいけないので……」

「じゃ、聞くから言ってごらん」

「あ、あの、健斗、ごめん、健斗、本当に、ごめん。あの、わたし、好きな人ができた」

 蛍の口から発された言葉に意外と健斗は動揺しない。

 どうしてだろう。

 とりあえず平気みたいだ。

 健斗は思うが理由がわからない。

 自分一人では受け止め切れない大きな悲しみや寂しさは、もっと後から押し寄せてくるのだろうか、と首を捻る。

「うん、わかった。蛍には好きな人が出来たんだね。それで蛍は、どうしたいの……」

 健斗が蛍を後押しする。 

「わたし、その人に告白したい。わたしの好きな気持ちを伝えたい。だけど、その人は結婚しているから、わたしのことを振るしかない。いや、そうじゃなくて、わたしのことを友だちとしてしか見ていないから、わたしは告白しても振られるしかない。玉砕するしかない。玉砕するしかないの。でも、わたしは、その人に自分の気持ちを伝えたい。バカなことだと自分でわかっている。だけど伝えたい。健斗に申し訳ないと知っている。でも伝えたい。わたしの気持ちを、その人に伝えたいの。伝えたいの。伝えたいの、どうしても……」

「いったい誰なの。蛍が好きな人って……」

「健斗の知らない人。同じ会社の新入社員で名前は山口翔っていうの……」

 まさかの知り合いの名前を聞き、健斗が虚を衝かれたのように驚いてしまう。

 が、知り合いと言っても遠い過去でのことだ。

 今では付き合いはない。

 けれども健斗は昔仲が良かった遠い過去の知り合いに思いを馳せる。

 アイツ、今でもモテるのか。

 しかも、おれの蛍を惚れさせやがって……。

 くそっ。

 けれども健斗の口から出たのは罵りの言葉ではない。

「蛍、行って来いよ」

「へっ……」

 健斗の言葉に蛍が目を見開き、健斗の顔をマジマジと見る。

(わたし行っていいの……)

 蛍の目が健斗に語っている。

 ついで言葉で、

「わたし行っていいの……」

 蛍が健斗に告げる。

 すると健斗が、

「いつかさ、こんな日が来るんじゃないかと思ってたんだよ、おれ……」

 と蛍に語る。

「これまでずっと蛍のことを独り占めにして自由を与えなかった罰が当たるんじゃないかって……」

 健斗が続けると、

「違う、健斗は悪くない。悪いのは、翔くんに恋したわたし……」

 蛍が語気荒く言う。

 あーあ、遂にそのフレーズが出ちゃったな。

 もう終わりだ。

 蛍の初恋だもんな。

 応援してやらなきゃな。

 男じゃないよな。

 それ以前に人間として格好悪いよな。

 健斗はもう迷わない。

 蛍の想い人への告白を押す決心がつく。

「悪いのは、悪いのは、翔くんに恋したわたしだから……」

「蛍、いいから行けよ。呆れた奥さんだけど、正直な自分の気持ちをおれに隠そうとしなかったから赦す。その勇気は認めるよ。だから早く行け。山口翔が自分の家に帰る前に……」

「うん、わかった」

 と蛍。

「ありがとう、健斗。わたし行ってくる。行って玉砕してくる」

 そう叫ぶと蛍はキッチンの椅子から立ち上がり一目散に玄関に向かう。

 靴を履き、ドアを開け、アパートの外に出、ドアを閉め、ついで唯一度も振り返らず、一直線に翔の降りるK線I駅に向かう。(第四章・終わり)(了)



 これで一先ず終わりです(土日の執筆だから四ヶ月かかりました)。

 続きが読みたい方がいらっしゃれば、リクエストしてください。

 リクエストがなければ、続きを書くとしても、かなり先になります。


葎音

2017/10/09


10万語超えを目指し、続きを書く始めました。

第五章が完成したら、連載します。

現時点で、49、50、51節まで初稿ができました。

夏海の感情がキーポイントになりそうです……って上手く着地できるかな。


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