11 蛍
洗濯や掃除をしているうちに日曜日の午前が終わる。
その後、ウダウダと過ごすとすぐ夕方になる。
食事当番は健斗だったが、
「久し振りにどこかへ行こうか」
と誘うので蛍が、
「それも好いかな」
と答え、外食となる。
……といっても急な思い付きだから遠出はせず、近場で済まそうと相談する。
「フレンチとイタリアンだったら、どっちがいい」
健斗が問い、
「暫くピザを食べていないからイタリアンかな」
蛍が答えるが、
「でも干物も食べたい」
と続け、
「じゃ、干物屋で決まり」
と健斗が決める。
いつものパターンだ。
蛍と健斗の住むW町の駅ビルの中に幾つもの飲食店があり、半年ほど前に開店した干物屋も駅ビル内の店舗だ。
因みにW町には蛍の両親も暮らしている。
つまり蛍の実家がある。
健斗の実家も蛍が子供の頃まではW町にあったが、その後、父親の都合で引っ越している。
地図で言えば、昔は非江戸で現在東京都内の浄水場の近くだ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
蛍と健斗、二人連れ立ち、家を出る。
二人が住んでいるのは賃貸マンションという名のアパートだが、築年数が経っているので値段の割に部屋が広い。
「そういえば、今年はホタルを見ていないね」
駅ビルに向かう途中で蛍が急に思い出し、健斗に言う。
W町の近くにホタルを見られる渓流があり、シーズン中は少なくとも一度、蛍と健斗は訪れていたのだ。
「そうだな。やっぱ、就職した年は、いろいろ変わるよ」
「ご飯を食べ終わったら見に行かない……」
「歩くと結構あるぞ」
「食後の腹ごなしよ」
地元住民が守るホタルの名所まで駅ビルから歩けば三十分近くかかる。
バスに乗っても遠回りをして十数分間かかるので、あまり、お得感はない。
帰りの道程は若干短い距離になるが、それでも二十分は歩く。
ああだ、こうだ、とホタルの名所に纏わる話をしながら蛍と健斗が駅ビルに到着する。
干物屋の前まで行くと待たずに中に入れるとわかり、ホッとする。
最近の人気急上昇店だったからラッキーだ。
蛍は王道でアジの干物定食、健斗はカマスの干物定食を注文し、冷酒も添える。
先に冷酒が運ばれると、
「まあ、一献……」
「ああ、旨いね。では、ご返杯……」
「ありがとう。もう冷酒の季節なのね」
と会話が続く。
ついで定食が運ばれ、お食事タイムへ……。
ホタルが多く飛び交う時間帯が午後七時から九時頃だから、歩いて見に行こうとすれば、八時前には食べ終わらなければならない。
蛍が時計を確認すると、まだ三十分以上ある。
だから余裕だ。
「ねえ、ビールを頼んでもいい」
「いいけど、お腹がタッポンタッポンになるよ」
「蛍も少し飲めば大丈夫……」
「汗をかくと蚊が寄って来るよ。健斗は蚊に好かれているみたいだから余計に……」
そんな会話をしつつ食事を終える。
蛍の希望で、すぐに席を立たず、ゆっくりとお茶を飲み、食後休憩。
その辺りも蛍は年寄り臭い。
「こういうホッとする時間がいいのよ」
「確かに明日からまた大変だな」
予定通り午後八時前に干物屋を出、ホタルの名所まで……。
慣れた道だが最後はホタルを守るために灯りがないので相当暗い。
「いるかな、ホタル。人はまだいるようだけど……」
健斗の左隣で蛍が囁く。
ホタル狩りのシーズン――五月下旬から七月下旬だが、実際にはほぼ六月中――には狭い土地に大勢の人が集まり、ぎゅう詰めだ。
が、六月を終えた今では数えられる人数しかいない。
それでも人が来ているということは……。
「ホラ、そこにいた」
見物客の一人が小さく叫び、
「だから言ったろ、まだいるって……」
自信たっぷりに連れに吹聴する。
そんな言葉に勇気づけられ、蛍が辺りを見まわすと目の先に光が……。
心なしか光り方が弱いようにも感じられるが、確かにホタルだ。
「いたね」
すぐさま健斗が蛍に言う。
蛍と同時に健斗も同じホタルを発見したようだ。
「ああ、もう一匹いた」
すると最初のホタルの後ろから二匹目のホタルが現れる。
「すごい、もう一匹……」
さらに、その後ろの叢から三匹目のホタルが現れ、健斗が小さく蛍に叫ぶ。
その後、健斗の声を聴いたのか、近くにいた数人の見物客たちも二人の近くに集まり、全員が、それぞれの連れと小声で会話しながら三匹のホタルを眺めている。
「ホタルの目の前で蛍にキスしたのって、いつだったかな」
蛍にしか聞こえない小さな声で健斗が蛍の耳許に囁く。
「あのときは、わたしびっくりしちゃって、ホタルが逃げたわね」
人目があるので今ここで健斗がキスを求めてくることはないだろうが、健斗が抱く自分への甘い想いに蛍は自分がこれからどう行動すれば良いのか、まるでわからなくなる。
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