19 薄
それから三十分ほど、葵と蛍が二人で泣く。
『candle ladys』に入ってきた客たち、それに店のアルバイトは、カウンター席で泣く二人の若い女たちを一度は物珍し気に眺めやる。
が、それで終わり。
二人に近づきはしない。
彼と彼女たち全員が、歩さんが好きにさせているのだろう、と思うからだ。
『candle ladys』では客もアルバイトも全面的に歩さんを信頼している。
だから、こういう状況も生まれるのだ。
泣くだけ泣けばすっきりする、と世間では言うが、実際、それは嘘ではないようだ。
泣き始めた当初は葵も蛍も自分たちが泣き止めるとは思っていない。
けれども十分を過ぎるころには悲しい気持ちが少し薄れ、二十分を過ぎる頃には、その『薄れ』が大きくなる。
やがて三十分も経つ頃には、泣いている事実そのものが、二人にはバカバカしく思えてくる。
肉親や配偶者の死のために泣くのなら、そんなに簡単に涙は枯れないかもしれない。
けれども所詮は恋……。
それに葵も蛍も、まだ重篤な恋の病にまで進行していなかったのだろう。
やがて涙が枯れ始め、表情に笑みが戻って来る。
今初めて二人の顔を見る者なら葵と蛍が嬉し涙を浮かべていると勘違いするかもしれない。
「ああっ、久し振りに泣いたっ……」
最初に泣き止み、声を発したのは葵だ。
「きっとまた独りで何度か泣くんだろうけど、次は今ほど辛くないと思うよ」
葵がそう続け、蛍の顔をじっと見る。
「そうだね」
蛍も涙で赤く膨らんだ目で葵の顔をじっと見る。
「葵って可愛いんだね。わたし、今まで全然気づかなかった」
不意に蛍が言うと、
「オマエ、また、あたしを泣かせたいのか」
葵が蛍をキッと睨む。
が、すぐに笑みを浮かべ、
「ありがとう、蛍……」
と謝意を述べる。
それから急に思い至り、
「そういえば、あたしのは数をこなした失恋だけど、もしかして蛍は生まれて初めてだよね」
葵が静かに蛍に問う。
すると蛍もその事実に気づき、
「ほんとだ、ヤダ……」
と言葉が出ない。
すると葵が、
「で、蛍、いったいどんな気分……」
まるで揶揄うように葵が蛍に問うものだから、
「どんなって、悲しいに決まってるでしょ」
声を荒(あら)らげ、蛍が答える。
「葵こそ、わたしをもう一回泣かせたいんでしょ」
と葵を睨みながら……。
けれども、すぐに葵に優しい笑顔を見せ、
「葵は独りで泣けるからいいわよね。わたしは家に泣く場所がない」
と文句を言う。
「確かに、それはキツイかも……」
葵が同意し、互いの顔を見つめ合う。
そうした姿はまるで恋人同士のようだ。
「お嬢ちゃんたち、仲が良いのね」
頃合いだと思ったのか、歩さんが葵と蛍に声をかける。
「あなたたちが知り合ったのは同じ会社に入社したときだったんでしょ」
っ蛍と葵に歩さんが問う。
「正確には研修のときに一回会ってます」
蛍が歩さんの顔を見ながら、そう答える。
「でも、あのときは互いの存在は眼中になくて……」
葵が当時を思い出したように呟く。
「そうだね」
蛍が葵に同意したとき、歩さんに日本酒カクテルのオーダーが入る。
それで歩さんが二人の前を去る。
……といっても狭いカウンターの中での移動だから遠くはない。
歩さんの動きを目で追いかけ、店の奥を見やると軽食担当のアルバイト店員も出勤して来たようだ。
葵と蛍の会話が続く。
「親しくなったのは総務部に配属されてからだよね」
「うん。課は違ったけどフロアが同じだから……」
「庶務とか、営業に決まった他の新入女子社員とはほとんど交流がないよね」
「先輩の話だと他の部の社員と親しくなるのは、社員旅行っていうイベントの後だってさ」
葵が言うと、
「そういえば、わたし、社員旅行の係だったわ」
蛍が思い出し、
「もっとも月一回の打ち合わせに参加してるだけだけどね」
と続ける。
「九月の終わりだっけ、社員旅行……」
葵が蛍に問い、
「それはABCの班によるな。Aだったら、そう。で、BとCだったら十月……」
と蛍が答える。
「ふうん、会社で三グループに分かれるんだ」
一旦、カウンター席の別の客のところに行っていた歩さんが蛍と葵の会話に加わる。
「縁起でもない話ですけど、万一事故があって一度に社員全員が死んだら会社がなくなりますから……」
蛍が歩さんに説明する。
「それに土日を挟むとはいえ、二泊三日の旅の間、会社自体は休みではありませんし……」
「二人とも、もうすっかり社会人ね」
まるで成長した娘を見るような口調で歩さんが葵と蛍に声をかける。
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