36 衝
「えっ、翔くんの奥さん、って作家なの……」
翔の言葉に驚き蛍が訊ねると、
「約半年前になったばかりなんだけどね。会社員でもあるからセミプロかな……」
照れ臭そうに翔が答える。
が、その仕種が蛍には痛い。
翔の妻への深い愛情が感じられるから……。
「凄いね」
と蛍。
それ以外に言葉を思いつけない。
蛍に無い大きなものを翔の妻が持っているから……。
「ありがとう。妻の夏海にとって作家になることが小さいときからの夢だったんだ」
「いや、本当に凄いよ。夢なんて叶わない方が多いから……」
「うん。オレもそう思ってる」
「じゃ、始めましょうか」
「そうだな」
蛍と翔が短く会話をする間、純が二人の様子を窺う。
が、翔が、
「始めるぞ」
と純に声をかけると、
「ショウお兄ちゃんに教えられんのかよ」
と憎まれ口を叩く。
が、翔は臆することなく、蛍に折り紙を渡してくれと頼む。
「ああ、ごめん。そうだよね、紙がなくちゃ始まらないよね」
ボンヤリとしていた蛍が翔に謝り、
「じゃ、二枚……」
二人に折り紙を渡す。
翔には緑、純には青だ。
蛍は今回、模様のある折り紙も用意している。
が、折り方を教えるときには模様が邪魔になることもあるので、はっきしりた色の無地を渡したのだ。
「まあ、知ってるかもしれないけどさ、まず三角に折る」
翔が自分の左隣の席に座った純に言う。
最初に翔が手本の折り方を見せ、純がそれを覚える。
次いで自分の手を動かし、翔が見せた例とまったく同じになるように折る。
その光景を見て蛍は、やはり翔には折り紙の才能があるのだと実感する。
先ほどまで蛍は翔と向かい合った位置で翔に折り紙を教えている。
つまり翔が見ていた蛍の折り方は逆になっていたわけで、それを物ともせず……というより蛍に気づかせず、翔は兜を折り上げたのだ。
蛍自身は折り紙に慣れているから順方向でも逆方向でも正しい形が把握できる。
けれども折り紙初心者にとって、それは難しいことだ。
先生と生徒が同じ方向を向いていなければ折り方が上手く伝わらないのだ。
が、翔は難なくそれをこなす。
折り紙の才能以前に方向感覚が優れているのかもしれない。
方向音痴な蛍は、そんな翔が羨ましい。
だから、そのことを翔に伝えたいのだが、今はできない。
蛍が翔に話しかければ純の気が散ってしまうからだ。
だから、できない。
そう思いつつ蛍は、ああ、こういう辛さもあるんだな、と気づく。
また純が蛍と翔の間に現れたことにより、実は翔が上手に自分に会話をさせてくれていたことにも気づく。
思い起こせば一番最初の会話こそぎこちなかったが、あれ以来ずっと蛍は翔との会話を愉しんでいる。
それも凄いことだ。
心の奥でそういったことを思いつつ、蛍は純の手の動きを追う。
純は紙を折るのが下手なわけではないが、子供らしく急ぎたいので、その結果折り方が雑になる。
だから、できあがった兜が僅かに歪んでいる。
最初に折り曲げた大きな三角部分を最後に兜の中に折り入れるとき、皺寄せが一気に出たようだ。
「ちょっと見せてね」
蛍が純の折り終えた兜を自分の手に取る。
ぐるりと一周させ、
「純くんには悪いけど、折り方が荒いわね。もう一回折ってみて……」
そう言うと、
「チェ、ダメ出しかよ」
純がぼやく。
が、自分が折った兜の完成度が高くないという自覚はあるようで蛍に素直に次の紙を催促する。
蛍がピンクの折り紙を渡すと、
「チェ、女色か……」
純が重ねてぼやく。
「文句を言ってないで、ちゃんと手を動かす」
そこで空かさず翔が口を挟む。
「そもそも、おまえが兜を折りたいって言ったんだぞ」
「そんなことわかってるよ」
「純くん、急ぎたい気持ちはわかるけど、一つずつの工程……っていうか、一回一回を確実に折ってくれないかな。そうすれば出来上がりがすごく良くなるから……」
蛍がそんな注文を付けると純は素直に首肯き、
「じゃ、始めるから、ちゃんと見ててよ」
と蛍に言う。
「大丈夫、ちゃんと見てるから……」
「でもさっき、考え事をしてただろう」
「純くんに、そんなことがわかるの」
「いや、わかんないけど、ぼくの手先を見る蛍お姉ちゃんの目がぼんやりしてたから……」
観察眼が鋭い純の言葉に蛍が思わず虚を衝かれる。
「あれっ、そう見えた。ごめーん、本当に、ごめん……」
咄嗟に蛍は言い返すが内心はパニックだ。
何故かといえば……。
翔への恋心を純に見抜かれたと感じたから……。
いや、純は賢い子供だから、それを表沙汰にはしないだろう。
それに、そもそも蛍の思い違いかもしれない。
蛍は思うが内心のパニックは去ってくれない。
何故かといえば……。
蛍の翔への恋は初恋で、きっと小学生の恋だから……。
……だとしたら、小学生の純が真っ先に気づくいても不思議はない。(第三章・終)
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