34 闖

 兜も難なく折り終え、次に蝶と蓮をクリアしたところで、

「次に進む、それとも、ここで止めておさらいをする」

 と蛍が翔に問う。

 翔は暫く考えた末、

「おさらいはしますけど、あれが折りたいな」

 と思わせぶりに蛍に言う。

「あれ、って……」

「ホラ、最初に蛍さんが折ってくれた占いの……」

「ああ、ココットか」

「ああ、それ、それ……。名前が覚え難くて……」

「フランス語で鍋の意味だから日本では縁がないかもね」

「ふうん、フランス語なんだ」

「他にパハリータとも呼ばれてるわ。意味は蝶ネクタイ」

「蛍さん、物知りですね」

「まさか、ごく一部のことだけよ」

「だけど、その一部がでかい」

「持ち上げても何も出ないわよ。で、最近知ったのだけど、日本では『ココット』のことを『パクパク』または『パックンチョ』、縮めて『パックン』っていうんだってさ」

「鍋と蝶ネクタイが形なら、パクパクは動きですね」

「うん、わたしもそう思う。折り紙は大抵、鶴とか、兜とか、折り上がった後の完成品の名前で呼ばれるから珍しい」

「呼び名は一般的ではなくても『ココット』なら完成品の名前だ」

「そうなるね。甥っ子さんと占いでもするのかな」

「それも面白かろうと……」

「だけど知ってんじゃないかな。小学校の中頃なら折り紙が流行ってそうな気がするし……」

「さあ、訊いてないから、わかりませんね」

「じゃ、さっそく折ろうか」

「はい、先生……」

 最後にお道化て翔が蛍に言う。

 困ったことに蛍の胸がまたキュンとする。

 が、本人の目の前で恋する女の顔をするわけにはいかない。

 表情に迷いつつ蛍が思う。

 でも本当に気づいていないんだな、わたしの気持ち……。

 蛍が翔の心について考える。

 翔の目線や態度を追えば蛍にもそれがわかるのだ。

 友だち、あるいは同期の新入社員として、翔は蛍のことをかなり気に入っているように思える。

 けれども恋の対象としては見ていない。

 翔が既婚者だから当然のことなのだが、それも建前だ。

 手を出すつもりがなくても好きな気持ちがあれば必ず伝わるから……。

 けれども翔が蛍に示す態度にはそれがない。

 まあ、あればあったで蛍自身が困るのだが……。

 蛍が内心でそんなことを考えながら翔に折り紙を教えていると、コンコン、と喫茶店のガラスを叩くく者がある。

 蛍がガラスを振り向くと小学生の顔が見返す。

 翔も気づき、折り紙を折る手を休め、小学生の男の子を手招きする。

 すると男の子が喫茶店『一日』の入り口に周り、やがて蛍と翔のいるテーブルまで辿りつく。

「ショウ兄ちゃん、まさかのウワキかよ」

 開口一番、男の子が言う。

 たちまち蛍が顔を赤くし、素早く説明しようとすると、

「バーカ、何言ってんだよ。オマエのために折り紙を習ってんだろ」

 翔がその前に口を開く。

「済みません。コイツ、デリカシーがなくて……」

 ついで申し訳なさそうに蛍に謝ると、

「ぼくには純っていう立派な名前があるんだ。オマエじゃねえよ」

 蛍の前でナントカ・ジュンくんが翔に逆らう。

「まあ、それはそれとして、その前に蛍さんに謝りなさい」

 男の子を包み込むような穏やかな声で翔が純を諭す。

 すると意外と素直に、

「あの、かんちがいして、ごめんなさい」

 ナントカ・ジュンくんが蛍に謝る。

 蛍は何と答えようかと迷ったが、

「あなたのことは怒ってないけど、さっきみたいな話、他の人の前では冗談でも言わない方がいいわよ。そういう噂って面白がられて、あっという間に広まるから……」

 結局、蛍は常識的な言葉を口にする。

 蛍が目を見てナントカ・ジュンくんにお願いすると、

「はい、わかりました」

 事情を察したような声で純が蛍に返事をする。

 見た目はまるで子供だが、頭はかなり賢いようだ。

 蛍が純に感心する。

「では、それで話は終わりとして、わたしは華野蛍という者です。あなたのお名前は……」

 蛍が話題を変え、男の子の名前を訊ねる。

「ジュンくんなのはわかったけど……」

 続けて蛍が言うとジュンくんがクスリと笑いながら蛍の質問に答える。

「山口純です」

「翔くんの甥っ子だから苗字に山口の可能性があるのを忘れていたな」

 蛍が言うと、

「コイツの『純』は『純朴』の純ですよ」

 翔が蛍に純の漢字を教える。

 ついで純に、

「こちらのお姉さんの苗字は難しい方の『華』に『野山』の『野』と書いて『かの』。『蛍』と書いて普通に『ほたる』さん」

 蛍の名前の漢字を教える。

 けれども翔からそれを聞いた純は少し自信がなさそうに、

「急に教えられたって覚えられないよ」

 と口を尖らす。

「まあいい、座れ……」

 が、気にするふうもない翔。

「何を飲む」

「コーラかな。コーヒーはマズイから……」

「お前、いつも一言多いな。お店の人に失礼だろ」

「ああ、そうか。ごめんなさい」

 純が甲高いで注文を取りに来た店員に謝る。

 それを見て蛍がふっと和む。

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