30 策

 家にいる間は折り紙を折るわけにもいかない。

 だから、どうしたものかと蛍が迷う。

 結局、少し早出して会社で折るしかない、という結論に達する。

 が、あまり早過ぎると健斗に説明が必要だ。

 そうなると蛍が話しているうちに自分の翔への気持ちが健斗に気づかれるかもしれない。

 だから、そんなに早出はできない。

 もっとも蛍も健斗も会社への出勤は早い方だ。

 朝から難しい仕事が詰まっているときは気合を入れるため一時間早く出社する。

 通常でも就業開始時間より三十分は早く出社する。

 だから、それなりの時間はあるのだが、魔法のようなスピードで折り紙を折れるわけでもない。

 また折り方を覚えている折り紙は良いが、忘れていたり、うろ覚えのものは確認する必要がある。

 ……といった事情で蛍が自分の机で折り紙を折っている。

 最初は兜からだ。

 前に一度、翔に渡しているから今度は二つ目。

 通常の兜の折り方は易しい。

 が、何種類かある難しい折り方の兜の方はどれも難しい。

 その中でも一番易しいモノを蛍は選んで折り始めるが、途中まで折り、考えてしまう。

 子供に教えながら折ったら、ヘタをすると一時間近くかかるかもしれない。

 へこたれずについて来られる子供なら良いが、子供の集中力はそんなに持たないだろう。

 折り紙が愉しいと思えれば別だが……。

 わたし自身のように……。

 蛍は自分が子供だった時分を振り返る。

 器用ではなかったが、ある日突然、折り紙を面白いと思うようになる。

 学校の図書館に折り紙の本が置いてあり、偶々それを開いて眺めるうち、どんどんと引き込まれていったのだ。

 偶然といえば偶然。

 他の対象を好きになる可能性もあったはずだ。

 が、蛍の場合は折り紙になる。

 やはり不思議な出会いと言わざるを得ないだろう。

 蛍が折った折り紙を両親が必ず褒めてくれたことも良かったと今では思える。

 子供の頃、蛍は折り紙ばかりを折り続ける。

 簡単だが、創作折り紙も幾つか作る。

 代表作はカエル。

 これはオタマジャクシ形態と、オタマジャクシから足を引き出したカエル形態を選べる。

 変形する折紙なのだ。

 最近の難し過ぎる折り紙と比べれば赤子のようだが、当時の小学生が考えたにしては割と良い線を行っていたんじゃないか、と蛍は自画自賛する。

 そういえば修学旅行のとき、蛍の折り紙が役立ったことがある。

 修学旅行のお楽しみ会では校長先生の出し物『ガマの油』をやるのが毎年の定番で、そのガマを折ったのだ。

 深沢校長先生は蛍が折り紙好きなのを知っており、先生自ら、蛍に折って欲しいとリクエストする。

 だから、いつもより大きな紙(確か、カレンダーだ)で蛍はカエルを折る。

 焦っていたので何度か遣り直したが無事に完成。

 見事、『ガマの油』のガマとして深沢校長先生の落語……というかお芝居に登場する。

 ……と、そんなことを考えていたら蛍の手が止まる。

 まあ、取捨選択は翔に任せ、自分はただ折れば良いか。

 蛍は考え直し、再び手を動かす。

 そんな蛍の姿を出社してきた中村葵が総務二課の自分の席から見つめている。

 昨夜、『candle ladys』を訪れた男女三人は作家と編集者だったらしい。

 ぼんやりとした頭で考える。

 作家は葵の知らない名前だったが、まだ新人のようだから当然かもしれない。

 余程有名にならなければ作家は読者に名前を覚えてもらえない。

『〇〇シリーズ』のように作品のタイトルは知っていても作者名を知らない読者は大勢いる。

 ありゃ、恋する女の目だな、と葵が思う。

 もちろん蛍が折り紙を折る姿を見ての感想だ。

 好きな人に何かをしてあげることは嬉しいし愉しい。

 表情が丸わかりなのだ。

 だから……。

 教えた方が良いのか。

 会社の中には翔との一見で蛍のことを面白く思っていない女子社員がそれなりにいる。

 その多くはただ思うだけだが、いずれ虐めに走る者が出るかもしれない。

 それを未然に防ぐために……。

 が、あたしがそう思うのは、それだけなのだろうか。

 蛍が浮かべる愉し気な表情を一番見たくないのは実はこのあたしじゃないのか。

 好きな人に想い人がいるのは、とにかく辛い。

 けれども、それで自分の『好き』が消えるわけではない。

 もっと大きくなっていく。

 もっと強くなっていく。

 ついで葵は自分の心を不思議に思う。

 山口翔に対する嫉妬がない。

 それをいえば華野健斗に対する嫉妬もないが……。

 あたしが蛍との結婚生活みたいなモノを望んでいないからかな。

 互いにただ好きでいれば、それだけでいい、と思っているからかな。

 暫く考えてみたが葵に答は出ない。

 だから不思議だと感じるしかない。

 そう思い、一応、言うだけは言うか、と葵が席を立ち、蛍の許へ向かう。

 その折、営業三課の三田村玲子が総務フロアに入ってくる。

 総務二課長の新村権蔵に用事があったらしい。

 二言、三言、言葉を交わすともう用事が終わったらしく、玲子が総務フロアを出て行こうとする。

 そこに蛍が二種類の兜を持って追い縋り、

「三田村さん」

 と玲子の名を呼び、振り向かせる。

「済みません、これを山口さんに届けていただけませんか」

 蛍が玲子に言い、二種類の兜を見せる。

「一つは前に折ったものと同じですが……」

 ついで玲子に説明を始める。

 すると玲子が、

「いいわよ」

 蛍の頼み事を了承し、蛍の手から兜を受け取る。

「結構立派ね」

 玲子が蛍の折った折り紙に対するあっさりした感想を述べ、次いで蛍には意外な言葉を口にする。

「ねえ、華野さん、一つが同じ兜なら、それをわたしにくれないかな」

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