33.物語を紡ぐ人々

「何か、遅いですね……登戸先生」

「あぁ……」


――何しとるんや……先生……。


 オレは、時計を見る。もう時間はどんどんと迫ってきている。


「急いでくれ……先生」

「……山野って、登戸先生のこと好きっすよね」

「はぁ?」


 同僚が笑いながら言った。

 てか、いきなり何で、そんな話になる。


「はは、山野。……お前って、あの新人賞の頃からずっと登戸先生の話ばっかりしてるんだよ」

「あの新人賞で、オレは先生の作品に惚れたんや。先生に会って、先生のことも好きになった。それだけやで」

「……恋する目だー!」

「もう好きに言ってろ……はは」


 パソコンに向かって『俺オレ』の編集作業の用意をしたり、文字読み取り機のセッティングを済ませながら、オレと同僚は、先生が原稿を持ってくるのを待ち続けた。



 ■ ■ ■ ■



――こんなことになるとは……。



 僕の部屋で、『せいじん』さんが気絶して倒れている。

 僕が創作を始めるきっかけとなった、憧れの人だった。


――あの日、僕が「面白い」なんて伝えなかったら……「筆を折らないで」なんて言わなかったら。


 ……もしかしたら、『せいじん』さんは、こんな『地獄』に引きずり込まれることになんてならなかったのかもしれない。

 希望が『闇』で隠されることに何て、ならなかったのかもしれない……。


 だけど、僕の気持ちは本当だった。

 あの『感想』をウソだとしたら、僕のこれまでの行動はすべてまがい物……取り繕っただけで中身のない、クソみたいな人生になる。


「せんせー、大丈夫!?」

「だっ、大丈夫だ……」


 幽霊に声を掛けられると、横っ腹の『傷』に響いた。


――全然大丈夫じゃねぇよ!


 何だよこれ。包丁で刺されるって、めちゃくそ痛ぇじゃねぇか!


「大丈夫じゃないでしょ! 救急車を……」

「おい、町田。大丈夫か?」


 救急車を呼ぶ幽霊の横で、気絶していた町田を叩き起こす。

 町田は完全に腰が抜けていて、立ち上がれないようだ。

 うなじに傷が増えてしまっている。


「うっ……のっ登戸さん……えっ、その傷」

「うぅ、あんまり大きな声を出さないでくれ……」

「でっでも……」

「幽霊。救急車は呼んでくれたか?」

?」


 町田に幽霊の姿は見えなかった。

 僕は台所からヒモを持ってきて、『せいじん』の両手を縛った。


「手錠でもありゃ良かったんだが……」


 幽霊みたいに資料を集め始めたのは最近だ。

 小説に手錠を使うようなシーンがあれば、今の僕なら、間違いなく買っていたと思うけど……。


「なっ何しているの、せんせー!」


 幽霊が僕に向けて叫ぶ中、僕は机の引き出しを開け、『俺オレ』の原稿を取り出した。


「今から、編集部に『俺オレ』の原稿を持っていく。『。町田は、ここで救急車が来るのを待ってろ」

「登戸さん!」「せんせー!」


――それはこっちのセリフだって!

――それはわたしが言いたいことです!


 女の子に、こんな心配されたのは初めてだ。

 だけど……僕にはやらないとダメなことがある。


「時間がないんだ。町田、あとはよろしくな」

「よろしくって何を……」

「警察への説明だよ! ……じゃぁ、行く」

「ちょっとっ」


 ガタン、と部屋の何かが倒れる音がした。町田がこけたんだろう。 


――だけど、すまない。急がないといけないんだ……。


 急いで玄関のドアを開け、階段を駆け下りる。


――あぁ、クソ。叫んだせいで余計、傷口が……


 ゲームでやった知識くらいしかない。

 包帯の巻き方なんて知らないし、調べる時間はない。

 だから、階段を下りながら、包帯でグルグル巻きにして、傷口を抑えた。


 ポケットからスマホを取り出して、時間を確認。


――もう、時間はない……。


「せんせー!」


 バイクのエンジンを回していると、幽霊が。……文字通り。

 幽霊は僕から、バックに入れた原稿を奪うと……


……せんせーは、私に沢山のものをくれた。数えきれない思い出を作ってくれた……」


――だから、もういいんだよ。、せんせーは傷つかなくて……。


 幽霊は、僕をあやす様に。

 僕のことを正面から抱きしめながら、言ってくれた。


――だけど、


 僕は、幽霊から身体を離した。


「僕が言うのも何だが……『俺オレ』はもう、幽霊だけの作品じゃない。もちろん幽霊の作品だが、この原稿は……、『僕たちの子供』だ! 勝手なこと言ってんじゃねぇ! 勝手に諦めてんじゃねぇ!!」


 作家は自分の作品をよく子供に例える。

 だから、今のはセクハラとかじゃない。


「いくぞ! 後ろに乗れ!」

「でっでも……」

「いいから早く! お前、結構前だが、「バイク、今度乗せてよ」って言ってたじゃないか。いい機会だろう」


 あの日は、免許取って一年経ってなかったが……今日は違う。

 二人乗りも法律的に大丈夫だ。


 しぶしぶ、折れた幽霊は、僕の後ろに乗った。


「もっと、しっかりと捕まってくれ」

「わかったわ。原稿は私がちゃんと持っているから……」

「じゃぁ、行くぞ」


 タイヤ痕が目立つアスファルトの上。

 僕は、幽霊を乗せ……バイクを走らせた。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 バイクは、みるみる加速していく。

 道路が空いていて良かった。

 このペースでいけばギリギリ間に合いそうだ。


「ねぇ、今の信号!」

「あぁ?」

「赤信号だった! 危険なことはやめてよね……」


――クッソ、マジか……。


 実をいうと、視界が悪い。

 快晴で空気は澄んでいるが、どうにもうまく見えない……。

 たぶん、貧血の症状だ。


――もってくれよ……僕の身体。


 好きな人のためなら、頑張れる。

 そうだ。そうだろう、僕。




――……。




……」


――そんな声出すなって、幽霊。……こっちだって泣けてくる。


 『

 もうきっと会えない……幽霊は消えてしまうんだ。

 でも、


――


 彼女を『悪霊』なんかにしたくない。その一心で頑張った。

 悔いはない……あったとしても、それを表なんかに出さない。


「なぁ、幽霊……一ついいか」


 彼女が消える前に、少し聞いておきたいことがあった。

 バイクが風を切る音が邪魔だけど、僕は幽霊の回答を聞いて……


……


――笑った。


 笑いながら……僕は視界がさらに歪むのを感じた。

 僕が笑ったことに、幽霊は何かを言ったけど……うまく聞き取れない。

 編集部まで、あと半分くらいだ。



――あぁ、もうダメかもしれない……



「せんせー! 横!!」


 そう思ったとき、




――すべてが、スローモーションになった。




 ゆっくりと時が流れるような感覚を感じながら、


 トラックのヘッドライトだった。


 僕は赤信号で、交差点を通過していた。


 キュルルルルッ、という大きなブレーキ音が周囲に響く。


 


 


「きゃぁぁぁっ!」

「うわぁぁぁっ!」


――僕らの乗るバイクは、トラックに轢かれた。


 バイクがすっ飛んで、僕の身体は道路に放り出された。


 体中が悲鳴を上げている。


 足が痛い……激痛の走る右足を見ると、コンクリートに擦られ……。

 熟れたトマトのように、もう原形をとどめていないように見えた。


「どっどうしよう……きゅっ救急車を……」


 トラックのドライバーが降りて、僕に近づく。

 薄れていく視界に映ったそいつの顔は……


「えっ!?……のっ登戸さん! ごめんなさい、ごめんなさい。今すぐ救急車を……」


――山野とよく行っていた居酒屋のアルバイト店員だった。



 ■ ■ ■ ■



 バイクから投げ出された私は、せんせーの姿を探した。

 私は、物体をすり抜けられるし、傷を負うことはなかった。

 手に持った原稿も無事だ。


――でも、せんせーは……


「救急車を……えっと番号は……」


 トラックの運転手が、焦りながら電話をかけていた。

 運転手の足元を見ると……


――せんせーが……


 ボロボロの身体になっていた。

 足なんて、もう人間のものじゃなくなっている。

 バイクに挟まれたのかもしれない。


「せんせー! せんせぇぇ!」


 私は急いでせんせーのもとに駆け込もうとして、――やめた。


 せんせーが何故、頑張ったのか考えないと。

 ……。

 それを、ちゃんと考えないと。



――『僕たちの子供』だ! 勝手なこと言ってんじゃねぇ! 勝手に諦めてんじゃねぇ!!



 私が今すべきことは、せんせーの元に駆け寄ることなんかじゃない。



――私は、これ原稿を届けるんだ。編集部に持っていって、『俺オレ』の本を出すんだ。



 光ったままのトラックを見る。

 運転手は今、せんせーの元で電話をかけている。


「せんせーのことは任せたからね……」


 たぶん、運転手の人には聞こえていないと思うけど……。



 『俺オレ』は、冒頭で主人公がトラックに轢かれる。


 だから、取材をした。


 


――バイクは運転できないけど、トラックなら……!


「せんせー、絶対に間に合わせて見せるからね!」


 私は、原稿の入ったバックを助手席に乗せ――トラックを全速力で走らせた。




 ■ ■ ■ ■




 僕は目の前のバイト店員の胸倉を掴んでいた。

 全身の痛みが。激痛が……僕を襲う。


――でも、


「時間がっ、ない、です……トラックで、運んで……」


 僕はバイト店員に原稿の輸送を頼もうとした。

 しかし、……バイト店員は驚いたような顔で、


「バックが勝手に浮いて、トラックに入ったんです! その後、トラックも勝手に動き出したんです!」


――ははっ、そういうことか……。


 この前、玉野と幽霊と一緒にファミレスに行ったとき、このバイト店員に会ったが……こいつには、姿


 トラックが勝手に動き出したなんて……


 僕は震える手でスマートフォンを操作し、電話をかけた。


『せっ先生! 今、何しているんですか!? 時間が……』

「山野……

『何がです?』

。原稿は彼女から受け取って、くっ……」


 ダメだ……頭が回らない。

 本格的にマズイ状況だ。


――まぁ、でも悔いのない人生になったかなぁ……。


 色々な人と出会えた。

 たくさんの思いを知ることができた。

 恋をする気持ちが分かった。

 女の子の身体に初めて触れた。


 初めて……大切にしたい、好きな人ができた。



――ありがとう、幽霊。



 迷わずに『俺オレ』を届けに行ってくれて、ありがとう。

 君の行動に、今は感謝しかない。




 ――そう思いながら、僕は……目を閉じた。

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