31.締め切られるまで

「はい、そこを何とかお願いしたくてですね……はい……はい……」


 変わらず編集部の一室。

 山野が、縁を持つ印刷所に電話しているところを、僕と幽霊の担当は黙って聞いていた。

 『文マケ』までの日数は残り十日を切っている。


――どうにか、頼む。


 そう願っていたのが功を奏したのか、山野は電話の向こう側に向けて、


「ありがとうございます! ……はい、……はい」


 うまく行ったみたいですね、と言う幽霊の担当と僕はハイタッチを交わしたが、電話を続ける山野は自身の腕時計を見て、みるみる顔を青くしていった。

 何事だろうか、と僕らが心配しているうちに山野は電話を切る。


「了解です。はい。……よろしくお願いします」

「印刷の件、大丈夫でしたか?」


 僕の疑問に山野は、


「あぁ、ひとまずは大丈夫だ……だが」

「山野、?」

「あぁ……かなり無理言って引き延ばしてもらったんやけど……」


 幽霊の担当の言葉に山野は首肯した。

 時計を見ると、もう多くの印刷所が営業を終了しているところだろう。

 たぶん、かなりムリを聞いてもらっているんだと思う。

 ロクな社会人やってない僕には、いまいちなところ何だけど……。


「登戸先生……小説本文は今、持っていますか?」


 今日は山野とのミーティングとは異なり、編集長を逮捕するために編集部に来た日だから、もちろん持っていない。

 イラストは編集部が保存しているのだけど……


――あっ、そう言えば……


!」


 幽霊に勧められ、僕は手書きした文章をすべてノベノベに書き写したのだ。

 だから、ノベノベを開けば原稿データはすぐに手に入る。


 編集部に置いてある端っこのPCを借りて、僕はノベノベにログインをしようとして……


「あれ……どうして……」



――ログイン、出来なかった。



 アカウント情報を入力して、弾かれて。入力して、弾かれて……繰り返す。

 結果は何度やっても同じだった。


「どうして……何で……」

「先生、……


 僕の横で山野がPCを操作して、あるサイトのページを見せてきた。



――『お探しのページは見つかりません』



「これって…………?」

……」


 山野は、これでもかという程に顔をゆがめながら……



……『



――言われた言葉の意味が、分からなかった。



 いや、意味は分かった。

 でも、理由が全く分からない……何で、


「何で、幽霊のアカウントが削除されなきゃいけないんですか!」

「まっ待て、落ち着け……」

「落ち着くも何も、理不尽すぎですよ……まさか、編集長が僕らの反撃を見越して……」


――それは、違うな。


 幽霊の担当がゆっくりと僕の言葉を否定した。

 僕は思わず掴みかかった山野に謝り、話を聞いた。


「違うって……どういうことですか?」

「いくら編集長でも、アカウントに関する操作はできない。ただの編集者ごときが、サイト運営の根幹に関われる訳がないだろう。それに、アカウントの復旧も、そっちの管理やってるチームはもう帰っている時間だから、無理だ」

「じゃぁ、何で。何で、僕のアカウントが……いや、! !」


――先生、


 山野は、言った。


……?」

「していないはずだ……」


 たぶん、していない。

 幽霊のアカウントでログインしたのは、スマホで。

 僕のアカウントでログインしたのは、デスクトップの方だ。


 ……もしかしたら、


「もしかしたら、幽霊がログインしちゃったのかもしれない……」

「個人が複数のアカウントを持つことは、禁則事項や……同じ端末で二つのアカウント……つまり、『複垢』っちゅうことで、運営に不正と判断されて、BANされたんやろう……


――時間がないんや……


 僕は今から急いで家に帰り、紙の原稿を取ってこなければならない。

 電子データへの変換は、この前、山野に紹介してもらった、会議室にあるOCR搭載の超高性能スキャナを使えばすぐに終わる。

 しかし、山野曰く、原稿の文章を『本』のフォーマットにする『編集』にまた、時間がかかるという。


「そういえば、町田が先生の家におったやんけ」

「じゃぁ……やっぱ、先生にここ編集部まで持ってきてもらうしかないか……」


 僕が家に帰る時間なんて、少ししかない。


「編集できる時間は、後どんくらいや……」


――あと、何時間残っとるんや、何分使えるんや……印刷所に締め切られるまで……


「間に合うんか……?」


 弱音を吐く山野の横で。

 僕は右ポケットに手を突っ込み、体温で温まった金属の感触を確かめた。


「……


――編集に時間がかかるのなら、僕がその時間を確保する。


「今から急いで家に戻って原稿を取ってきます。お二人は、編集の準備をしておいてください」


 僕は急いで、部屋を出た。

 エレベータの前で足踏みして、はやる気持ちを抑えながら、編集部の外へ。


 編集部の駐車場に置いたバイクにポケットから取り出したキーを差し込んで。

 すぐに、またがり、グローブとヘルメットを装着した。


 空は雲ひとつ見えない、暗闇。

 夜のくせに、晴天だ。


。今日なら……」


――


 乾いたアスファルトの上を、僕はと共に、――駆けた。



 ■ ■ ■ ■


 先生を見送った後、オレは『文マケ』のサークルスペースの一部を貸してもらうために、電話をかけて回っていた。

 「今回は参加しない」とか、「ちょっとキツイ(『絶対無理』の意味)」とかで断られること数回……。


「はぁ……」

「ダメだったか、山野」

「うん、まぁ、そうなんかなぁ……」

「煮え切らない態度だなぁ。緊張感持て。さっき出てった登戸先生みたいに……」


――時間がないって自分で言ってたじゃないか。


 うん、その通り。その通りやけどさぁ……


「こいつに電話するんかぁ……」


 女子にどう思われるかわからないが、男子は大抵ものを捨てないのだ。

 男ってのは、未練たらたら野郎ばかりだ……オレだけかもしれねぇけど。


 その幸運なのか、不幸なのか……『文マケ』関係で、残ったツテはアドレス帳の一番下に追いやったままの名前。


『塩田なみ』


 オレの……プロの絵師を目指していた、元カノの名前だった……。

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