2.担当編集山野の板挟み
「……という訳でして、登戸先生には現在"ノベノベ"で大人気となっている『俺がオレに恋する訳ないし、オレが俺に告白するなんて嘘だろ』の書籍化に向けた改稿と、未完結の本作の完結を依頼したいのです」
オレが"依頼内容"を読み上げている間、登戸先生はこちらが出したお茶には一口もつけず。オレの顔をいつにも増して細い目でじっと見ている。
編集長の神藤さんもいるが、筋肉質の腕を組んだきり無言のまま。ただでさえ、威圧感の塊と形容したい神藤さんだ。オレは声の震えを隠すことで精一杯である。
現在、編集部にある会議室にはオレの声だけが響いているような。孤独感。リアクションが皆無。
――はっきり言って、気まずいし。何より……申し訳ない。
登戸先生の手元には、依頼書の類は一切ない。それらを作ってしまうと、証拠になってしまうからだ。
オレが今、登戸先生に依頼していることは犯罪紛いの行為。いや、『ゴーストライト』や『代筆』と言葉を濁しているが、端的に言えば"盗作"、作品も作家名ごと盗む、完璧に犯罪なのだ。
『俺がオレに恋する訳ないし、オレが俺に告白するなんて嘘だろ』、通称『俺オレ』は、ノベノベという我がライジン文庫の親会社が運営している小説投稿サイトに投稿されていた小説だ。
『俺オレ』の書籍化の話は、数週間前に作者の美人サキサキ先生のTwetterを通じて発表されており、改稿作業も進んでいたという。
そんなある日。登戸先生に出版中止を伝えた翌日、担当編集に一通のメールが届き、編集部を騒然とさせた。
――筆を折ることにしました。
メール本文は、当時サキサキ先生の担当編集と神藤さんだけが知っているそうで、オレは詳しい内容を知らない。ただその日以来、サキサキ先生とは一切連絡がつかなくなった。改稿作業どころか、作品は未完結のままだ。
チラリ、と横目で神藤さんを見る。その顔に汗一滴垂らしている様子もなく。こう言った"裏"の仕事は初めてではないのだろう、と邪推してみる。
「登戸先生、引き受けて頂けますか」
今回の依頼を受けることで、登戸先生の出版中止はなかったことになる。
登戸先生の作品に惚れ、オレは自ら志願して彼の担当編集となった。先生の作品を世に出したいと思っているが、犯罪に加担して欲しくない、という微妙な複雑な気持ちだ。
書籍化へ向けた改稿作業がスムーズにいけば、こんなことにならなかったのだろうか。それとも結局、ほかの誰かに『ゴースト』になってもらうことになったんだろうか。
登戸先生は、この時を待っていたように固く閉じていた口を開いた。
「出版中止取り消しの話……本当ですよね」
「はい、こちらに……」
新人賞関係の書類として、書籍出版の誓約書を渡すと、先生は一文一文に目を細めて確認した後に、サインをした。
「引き受けます。僕は、そのweb小説を別の人名義で書けばいいんですよね」
口で再確認してきた先生に、オレは「はい」と答えた。
◆ ◆ ◆ ◆
「あぁ、やってらんねぇよ!」
「お客さん、飲みすぎはよくねぇっすよ」
居酒屋。アルバイト店員の男が焼き鳥の皿を机に置きながら、オレに声をかける。こいつがイキのいい男子大学生っていうのは、最近知った。短く揃えた黒髪にバンダナを巻いて、汗の粒が輝いて見える。
「飲みすぎって、おめぇは儲けるこたぁ考えてないんか。ハイボール持ってこいハイボールを。売上に貢献してやるんやで」
「そんなことより、酔っ払いに絡まれる方が面倒っすからね。ゲロ吐かれんのは最悪っすし。……っていうか、儲けるっつっても、バイト何で給料上がんないし、どうでもいいんっすよね」
「向上心のねぇやっちゃなぁ……まぁ分かるかも知れへん。たぶん、バイト始めてから結構経ったんやろ。初めのうちゃー、金なんてどうでも良くても、段々自分の頑張りが見返りよりも上回っていってなぁ……」
……あぁ、絡むな言われとんのに口が勝手に絡んじまう。だけど、一人で居酒屋にいるのも本望ちゃうくて、オレは担当した作家さんと一緒に酒を飲みたいんや。酒でも飲みながら、作品について語り明かしたい。
元々オレは、老舗の小説投稿サイト『物語をつくろう』、通称『くろう』で作家さんに感想を伝えて、作品の"面白い"を他の誰かに共有することを楽しんでいた。編集者となって、自分の担当を持って、今までよりも作品に近いところで……作家さんと、二人三脚で作品を作り上げることを夢に見ていた。
――何がいけなかったんやろうか。
*
登戸先生が帰った後の会議室で、オレは編集長に自分の夢について指摘された。
「お前は、登戸先生の作品が好きなんだろ。書籍として出すには、修正しないとダメな部分が多いが、もうそこには目を向けない。先生が全く見向きもしてくれねぇからな」
編集者として、どうしたら売れるのか、そのアドバイスをする……というか自分たち編集者も食っていかないと駄目なので、売れるように作品を持っていくのがオレらの仕事だ。
第三者から見える『何か』ってのは、いくら生みの親である作者でも気づけないものばかり。
だから、作家さんには基本的に、それを受け入れて作品に取り込んでほしいと思っているが、もちろん反論してこちらを言い負かしてくれても構わない。こちらが納得できたら、文句は言えない、というかないし。
オレは特に、そういった部分を作家さんとネチネチ話し合っていきたいんだが、登戸先生はその話さえ聞いてくれない状況で。そりゃ、どうしようもない感じだ。
「原稿はそのままだが、書籍として出すことが決まったんだ。売れるか、つったらこのままじゃ売れねぇし、批判も多いと思うが、『俺オレ』で確実に元を取れる」
神藤さんは、電子タバコの水蒸気を吐き出して続ける。
「もっとも、新人賞受賞しても、すぐに消える作家はざらにいる。力ない作家が好き勝手にしていい世界じゃねぇんだよ、ここは。もし好きに書きたいなら、それだけの作家買いしてくれるファンを作ってから言え。趣味の世界じゃない、何も知らない作家は独りよがりらしく、華々しく黙って死ねばいい」
「死ねって……」
影響を受けすぎなんだよ、あいつの作品は……と、神道さんはどことなく続けた。
オレたち編集者が作者の作品に入り込むのは、互いに幸せになるため。双方が食っていき、双方が納得のいく作品を作り上げていくこと。
あくまで編集歴の浅い、オレ程度のにわか編集者の考え。所詮、趣味を仕事にしようとした、意識の低いオレの話だ。
数年たてば、オレも神藤さんみたいに割り切って考えられるんだろうか。
――今のオレには、どうしても受け入れたくないことなんだけど。
ばれない程度に神藤さんを睨むと、神藤さんは、まぁ、と続けた。
「まぁ、今回の話は、単に一人の作家が本来なくしたはずの『出版』という機会を復元してもらえたっていう、ラッキーな出来事なんだ。シャケた顔するんじゃねぇよ」
オレがそんな顔にしているのは、神道さんの電子タバコも理由の一つだった。オレもタバコを吸うが、どうしても電子タバコの珈琲豆を焦がしたような臭いは苦手だった。もう一つの理由は。
「作品が好きだからこそ、その作者がどうでも良くないんです。面白い作品だったら作者さんがどんな人か気になるし、作者さん本人も面白かったらつるむし。作品の面白さっていうのも、作品単体だけが要因じゃなかったりしますよね」
『くろう』で多くの作家さんと出会った。自分の作品は一つもない読専だったから、作者目線になって何かを言うのは難しい。
だけど、一読者として多くの作品に触れた分、作品の"面白さ"を見極める力をオレは持っていると自負している。
そして、その"楽しみ方"もよく知っているつもりだ。小説は『伝えること』で輝くってことを。
「面白い作品を書くからといって、作者が面白いとは限らない。全く編集の話を聞かなくて出版中止になる奴もいれば。犯罪者であることもある。ミュージシャンとか多いだろ、ヤクやってるが、曲は好きみてぇな。……まぁ、作家の場合、書籍出版というエサを吊るせば、動くいい奴らばかりだがな」
「それ全部登戸先生のことですか。編集の話を聞いてくれないのと……『俺オレ』が今まさに犯罪行為ですもんね」
結構突っ込んだ言い方だったが、神藤さんは控え目にした水蒸気の煙を吐き出すだけで特に何も言ってこなかった。その沈黙が逆に怖く、行き過ぎた発言は控えようと、されど自分の信念は曲げないように。その中途半端な気持ちを持ち越した。
*
「……ははっそうかも知れないっすね。んでも飲みすぎは厳禁っすよ」
つい、長々とバイト君に絡んでしまった。実際、年齢はあんまし変わらないはずだけど、ここ最近の出来事で一気に自分が老けた気がする。
そもそも神藤さんは、登戸先生に対して妙に厳しいというか、他とは違う目で先生のことを見ているように感じる。二人の間に何かあった様子もないけど、あれは何かあったんじゃないかって。まぁ、直接聞きに行けないこのフットワークのなさが、一番老けたことを実感するアレだった。
サキサキ先生が筆を折らなかったら、登戸先生の改稿が上手くいっていたら……ifのルートを考えながら、冷たい炭酸を流し込む。
登戸先生の作品を世に出したいのは、なにも先生本人だけじゃない。オレだって先生の作品を書店に並べたいし、その『欲』ってヤツはオレの方が上かもしれねぇ。だから、ゴーストライトに反対もしなかった。
……いや、できなかった、が正解か?
「あれは……」
ふと、店の外に登戸先生が書店の袋を引っさげながら、歩いているのを見かけた。
声をかけるなんてできない。この距離、店の窓ガラスはオレと先生を隔てる。
そういえば、先生はSNSを一切やっていないと言っていた。店内の騒がしい空気がweb小説のコンテストだとするなら、外を一人歩く先生は芯のある精神を持って、孤独な戦いをする公募組と形容できるかも知れないなぁ。
オレはその後ろ姿を見ながら、少し冷めた砂っぽいレバーを噛み砕いた。
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