22.新人作家、アメリカの地にて(後)
夕食を頂いた後、チビチビと飲み続ける老人……アオシマにお酌しながら、再び中庭のベンチで二人。
アオシマは、玉野の母方の祖父らしい。
ちなみに玉野の本名の苗字は脇屋で、ペンネームの下の名前が本名という点で僕と同じだった。
脇屋玄、それがくろう作家『玉野げん』の本名だ。
「どうやったか、飯は? 久しぶりに奮発したからのう。もう少し後に来てくれたら、ごちそうでもツレに作らせたんだが」
「奥さんに怒られますよって、アオシマさん……ごちそうって、七面鳥とかですか、あれ、七面鳥はクリスマスでしたっけ」
「七面鳥は十一月の感謝祭で食べるんだよ。クリスマスはそのノリでついでに食べたりするが、んま、ノリだな」
ちなみにアメリカでは二一歳にならないと酒は飲めないので、僕はココアの湯気を吸いこんでいるだけだ。
僕の新人賞受賞作だと、普通に
――よくこんな作品を銀賞にしたよな……
改稿ありきで本を出してくれる予定だったんだろう。
そりゃ、僕が編集の言うことを聞かなかったら、発売中止になって当然だし。
そもそも募集要項に『原稿の修正に応じていただく場合がどうの』みたいなの書いていたし。
「お前さんは、
――ん? 玉野って弟か兄いるってことかぁ……言ってくれてもよかったのに。
まぁ、自分から「個人情報は知りたくない」って言ったんだったけど。
「僕はwebは最近始めたばかりですけど、結構面白い世界ですよ。……まず、全然読まれないんですよ、笑えるくらい。僕ってTwetterでそこそこ有名になったというのに、ですよ」
「ははは、そりゃめでたい。玄も同じこといっとったし。それに、ワシにもその気持ちはわかる」
ふぅ、と息を吐いてアオシマは続けた。
「……ワシはガキんとき、似顔絵書いて小遣い稼ぎしてたんやが、初めんころはだぁれにも見向きされないわ、画材盗まれるわ、蹴り飛ばされるは。しまいには、似顔絵書いたはいいが目の前で、絵を踏みつけられたってことさえあったで」
アオシマの過去は明らかに笑い話ではない。なのに何で、笑えるんだよ……。
僕の疑問にアオシマは……
「まぁ、時が経てば大抵笑い話になる……いいや、笑い話にしないと老人の楽しみは少ないからなぁ」
「どうして絵描きを続けたんですか……ボロボロになってまで」
「別に絵で食っていたわけじゃないし、やめても良かったのかもしれん。ただ書きたかっただけなんかなぁ。忘れちまったよ……んで、ある日、一目見て『この女の絵を書きてぇ』って人に会ってな。そいつに頼み込んで、モデルになってもらったんや。それが今のツレ」
――あの時のあなたは粘着質過ぎて本当に気持ち悪かったわ。書いた絵もヘタクソなクセに、飼い主に褒めて貰いたい犬みたいな目つきでね。
ブランケットを持って来たアオシマの妻が、話に入ってきた。
アオシマは、勢いよく自分の妻の方を振り向いて、
「はぁ? べっぴんさんに描いてやったじゃないか。君は絵のセンスがないから分からんかったのかも知れん。でも、今になっても分からんのやったら、流石にボケを疑うで」
「あんたと結婚しちまった時点で、もうボケは末期まで進行してたんだよ。ホレ、毛布。わたしゃ寝るよ」
「永眠してもいいぞ」
「そりゃ、あんたのナニの話かい」
「こんやろ、ババァ」
「なんやと、ED」
もう六十代後半の夫婦のクセに元気過ぎる二人だ。
僕の手から、酒の入った瓶を奪ってアオシマの妻は家に戻ってしまった。
「あっ」
僕はふと気づいて、思わず声を出していた。
さっきの瓶、よくよく見ると、酒じゃなかったのだ。
アオシマは僕の様子に気付いたのか、
「ははっ、今気づいたんか。ワシはもう若いころに肝臓やっちまってな……さっきツレが持って行ったのは、ただのミネラルウォーター。向こうも分かっててやってる、ハハハ」
そうひと笑いした後、アオシマは僕に毛布を渡してきた。
「ほれ、毛布」
「えっ、ありがとうございます」
僕はアオシマから毛布を受け取って、自分の膝に書けると……
「違う、お前さんやなくて、向こうの嬢ちゃんにかけてやり」
向こう……アオシマの目線の先には、未だにゆっくりと眠り続ける幽霊の姿があった。
大きな木によりかかる彼女は、さながら森の
――いや、えっ。何で、どうして、
「……見えるんですか」
幽霊が見えるのは、何となく幽霊と『近い』人だけだと思っていた。
僕は『俺オレ』のゴーストライトの影響だろう。
玉野はそんな僕と近い関係だったからで……
そういえば、玉野は『お爺ちゃんがもともと霊感の強い人で……』とか言っていた。
その『お爺ちゃん』であるアオシマが見えてもおかしくないんじゃ……そう思っていたら、老人の頭に新しいシワが刻まれた
「な~んにも。全然ま~ったく」
「ウソですよね」
「ウソ付く必要なんてないだろう。それに、見えてたらもっと早く毛布持ってきてる。……どうせ日本人の女の子やろ」
「でも、」
「……いいかい」
アオシマは自身の目を指さして、「目だよ」と言った。
「目を見れば何となく分かる。お前さんはさっきから、あの木の根元ばかり見ている。……同じなんだよ。ワシが若いころ好きな女を見ていた頃と同じ目をしとる」
「でも、それで幽霊がいるって分かるわけじゃ」
わかる、そう暖かい間をおいて、アオシマは、
「ワシは若いころから霊感が強くてのう。よく『見えた』んだよ。だから、お前さんにしか見えない幽霊がそこに居ると思ってな……いや、見える見えないじゃなく、何だろうな。幽霊ってのは、『見てほしい』から姿を一部の人に伝える」
「伝える……見てほしい?」
僕の疑問に、「そうだ」と、アオシマはふぅと息を吐く。
「『幽霊』ってのは、未練があってこの世をさ迷ってる。生前果たせなかった思いを誰かに叶えてもらうか、受け継いでもらうか。そのために霊として現れる」
「幽霊自身が何かをするわけではなく……ということですか?」
「あぁ、そうだ。霊体という状態はかなり脆い……お前さんの女は日本人であっているか?」
「そうです」
――『僕の女』では全くないんだけど……
「なら、塩とかファフリースには気をつけるんだな。ただでさえ、存在できる期間が短いんだ。それなのに、さらに短くなっちまう。そうなっちまったら、『成仏』させるのがかなり難しくなって大変だぞ」
「『成仏』しないとどうなるんですか」
思わず質問していた。
「……………」
アオシマの回答を聞いた時。
僕は、山野に国際電話で『ある人』の連絡先を教えてもらい、すぐにその人とコンタクトを取った。
――急がないと……急いで本にしないと……
成仏できずさ迷い続けた『幽霊』の末路……それは、人格の破壊。
つまり、悪霊として、この世に縛り続けられることである。
それだけ、霊体は非常に不安定なものなのだ、とアオシマは言う。
「ゆっ幽霊……」
僕は電話でのやり取りを終えた後。
すぐさま木の根元にいる彼女の元まで、ブランケットを持って走って行った。
いつか来る、と思っていた。
いつか知る、と思っていた。
――
僕はこれから、彼女を失わないために、彼女と別れるために動いていかないといけない。
その事実は、僕の胸を辛く苦しく締め付けていく。
そもそも、アオシマの言葉は信用に足るのだろうか……。
ただ、彼女の『未練』はしっかりと僕が果たしてあげなくてはならない。
彼女と長く一緒にいたいからと言って、『俺オレ』を本にしない選択肢なんて選ばない。
彼女には笑ってもらいたい。
ただ、この僕の気持ち。散々伝えて安っぽくなってしまった言葉。
『好き』の二文字は、どうすればいいのだろうか。
「登戸……わしゃー寝る。ババアも寝てるだろう」
眠りにつく幽霊の前で僕があたふたしていると、アオシマが遠くから声をかけてきた。
「はっはい。わかりました」
「お前さんらもはよ今日は休みな。……あと、ワシとババアも一度寝たら、朝まで起きねぇから、遠慮せんでええからなぁ。どんな音が鳴っても起きねぇからな、若人よ」
「はっはぁ……はぁぁ!?」
僕が素っ頓狂な声を上げるのを面白おかしく笑いながら、アオシマは家に入っていった。
「幽霊……」
彼女の短い髪に触れようとして、どうしようかと思っていると、首筋に傷跡を見つけた。
まるで、刃物で切りつけたような跡だ。
こんな状況じゃなきゃ気づけなかっただろうし、彼女は普段隠していたんだろう。
幽霊は、たまに手を首筋に持って行っていたから、やっぱ隠していたんだと思う。
――そうだ、彼女の事件もまだ終わっていない。
『俺オレ』と同時に、全部の問題を無事に解決してやる。
それは必然的に、彼女との『別れ』を早めるのかもしれない。
だけど、もう後戻りはできない。
停滞は、止めにしたんだ。
進んでいかなきゃ、彼女のためにも……いいや、僕の、自分自身のために。
――それが、僕のこれからの理由だ。
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