4.新人作家登戸の幽霊って何?
床に落ちたパスタを掃除して、足を拭いて。また冷蔵庫からパスタを取り出す。今日はミートパスタな気分だったが、仕方ない。
「なぁ、幽霊も何か食べるか。冷蔵庫から好きなの取ってくれて構わないけど……何か僕の顔についているのかな」
幽霊は僕の流れるような一連の『レンチン』を見て、そして僕の発言を聞いてさらに眉を寄せた。むすぅ、とでも言いだしそうな表情だ。
もしや栄養とか、うんぬん指摘してくるつもりなのだろうけど、それは心外だ。
「野菜なら、野菜一月これ一本でとっているぞ。チョックラBBもあるからな。栄養関係で文句を言われる筋合いはないっ」
いやいや、と幽霊は影を濃くしながら腰に手を当てて……顔が近い。ラノベでよく見かける『女の子の香り』ってこんなだったのか、って思ったけど、そもそも幽霊に匂いってあるのかと疑問に思う。もしかしたら、女の子の不思議パワーでどんな空気も素敵エアーに変えてくれるのかも知れない。
プラシーボなアレだ。
「いやいや、そーいうのはあくまで補助的なものだよ。というか、君は見た目細いのに……もしかして、ずっと冷凍のパスタじゃないよね」
「あぁ、もちのろんだ。たこ焼きとかポテトとか、あとラーメンとかも食べている…………冷凍だけど」
「どうして自慢げなのか、気になるところなんだけど。冷蔵庫ちょっと見させてもらうわよ」
僕の返事を待たずに、幽霊はそのまま冷蔵庫を開けた。もうこれは完全ディスられルートですね、おめでとう。
実のところ、この部屋に他人を入れたことないので。ディスられたことはないし、一人暮らしを始めるとき一度だけ来た両親は、逆に冷凍パスタ類を冷凍庫にプレゼントしていったので……はぁ、うちの家族って。
「う~ん、たんぱく質が足りないよ。肉食べよ、お肉。身体に必要なのはそれ。ついでに、痩せられるし。さぁ、さぁさぁ」
「えっちょ、まっ」
いちいち距離が近い。ちょっくら無防備すぎやしないだろうか。
繰り返すと言葉が安っぽくなるけれど、彼女のことはどうしても美少女と形容したくて。
そんな美少女に接近されたら、大抵の男子は惚れるだろう。
ほら、心臓の音がバクバクで……恋とか関係なくても、男子ってやつはこの距離に弱い。
「ねっ。聞いてるの……?」
幽霊だから無防備でもいいのかもしれないけれど。この感じは生前からな気がする。……彼氏とかいたんだろうか。そんなこと、聞くわけないけど、さ。
ふと、気になったが幽霊って、
「なぁ、幽霊ってメシ食べるのか」
気になった部分だ。幽霊と言ったら、壁を通り抜けたり、物理攻撃無効だったり、人を驚かしたり、それこそ『うらめしや~』のイメージだ。
「ここ数日ずっと食べていなかったけど、お腹すいた~ってことはないからなぁ。ちょっと試してみたいかも」
パスタの皿を幽霊に渡すと、少し迷っているようだった。聞くとどうやら、幽霊になってから初めて食べることにビビっている訳じゃなく、この冷凍パスタがお気に召さないらしい。
「はぁぁ。メシ冷めるから、食べるなら食べるって。はっきりして下せぇ、幽霊さんよ」
次は卵でも買っておいてね、と呟いて幽霊はパスタをひと巻き食べた。あぁ、フォーク。……あれ、もしかしたらあのフォーク使って食べたら、あっあの間接技っすよね。
「久しぶりにパスタ食べたけど、意外とおいしいかも……じゃっ、はい」
はい(スマイル特大)、じゃないよ……パスタに刺さったフォークに意識が吸い寄せられる。
――さて、どうしてくれようか。
だんだんと、謎がつくテンションでいると。時間切れになってしまった。さすがに挙動不審過ぎた。
幽霊はフォークを台所で洗って戻ってきた……壁をすり抜けて。
「はいっ……ごめんね。私のだ液付きなんてイヤだよね。気が付かなかったよ」
「(いや、別に問題ないってか、そのままでもよかたのに……)」
「はふぇっ!?」
「いやいやいやいや違うんですよ。君がなんて聞き取ったのか、存じないですがね……そうだ、さっき壁をすり抜けたよな。物は持てるのに、壁はすり抜けられるのか」
物体をすり抜けられるのなら、物体に触れられないはずだ。彼女に一度触れられ、触れた。幽霊という存在が物体をすり抜けるのならば、今までの出来事がすべて矛盾する。
目の前の幽霊は、身体を浮かせたまま首と手をひねって、
「こう『自分がすり抜けたいって思ったものをすり抜けられる』みたい、な」
「むちゃくちゃなトンデモじゃないか」
「私に言われても困るって、そんなの」
「それもそうだな……ごめん」
トンデモだが、目の前で起こってるんだから受け入れないと。世の中すべて科学で証明でき、この幽霊も証明できるなんて無粋なことを僕は言わない。
科学で証明できるって言いたいなら、世の中のすべてを科学で証明できると科学的に証明して欲しいもんだっての。単に現代の科学で議論されていないだけかもしれないってのに。
幽霊の存在を証明できたら、ノーベル賞とれるかもしれない、って思ったら興味が湧いてきた。……いや、ノーベル賞は言い過ぎかもだけど。
「なぁ、幽霊はどうやって僕の家に来たんだ。さっきの『ここ数日食べてなかった』って、幽霊になってから数日経ってたということだろ。このタイミングで来たのが偶然だとして、今まで人の家に上がりまくっていたことなのか」
不法侵入ですね、はい。そもそも違法うんぬんの前に住んでいる人にバレなかったのだろうか。今の状況みたいに。
「急に吸い寄せられたというか、何というか。いろいろな人の家を覗いたけど、それは幽霊なんだから許してよ。水を得た魚的状態なんだもん」
「『目の前にロリがいたからペロペロしちゃいました』って理論も通るぞ、それ」
――いや、無理か。
「通る訳ないでしょうが!」
やっぱり幽霊は即否定して、ちょっと声の調子を落として続けた。
「……この前は高校生くらいの男の子の部屋覗いちゃって、すごく後悔したんだから。許してよね……いろいろ見ちゃったし……」
「…………」
「…………」
微妙に反応に困る話題は控えてほしいんだが……
というか、自分も顔赤くするなら言わなかったら良かったんじゃないのか。たぶん今、そういう後悔しているんだと思うけれど。
「あっえぇっと。幽霊だからか、誰も私のことに気づかないっていうか。見えていないっぽいんだよねー。私って結構、影の濃い目の人だったから新鮮な気持ちっていうか……あれ、影薄かった系女子だったっけ、あれれ」
「僕には見えているんだけど。どういう現象なんだろうか」
もともと僕は霊感が強いこともなく。両親が寺などで働いていることもなく。
『幽霊 見える 症状』とググっても、直接この原因を説明してくれる情報は見当たらなかった。当たり前でしょうね、はい。
目の前の幽霊をどうして僕が、僕だけが見ることができるのだろうか……幽霊、ゆうれい……あっ、そうだ!
「そういえば、君の名前を聞いていなかった。幽霊幽霊と連呼して、無粋ですまない、ごめんなさい」
「う~ん」
「あぁ、僕は……」
こういう時、ペンネームを答えるべきか、本名か。
まぁ、すでに作品を読んでもらったいし……いや、本当に読んだかはさておき。
素直に両方言えばいいか。
「僕は、登戸タカシ。察しの通りペンネームだ。本名は飯島高志っていう」
聞いた側が先に自己紹介するのは、マナーというか、ベターな展開だと思ったんだけど。
幽霊はこめかみに指をあてながら、思い出そうとしている様子。しぼりだした記憶は、どうやら『スカ』だったようで。
「ごめん、いろいろと思い出せない……自分がどんな仕事をしていたとか趣味はなんだったとか……自分が何で死んだのかも。いろいろと記憶が抜け落ちているみたい」
「そうなのか」
「でも、」
幽霊はプリンター横に置いた僕の小説に手を起き、そこに目を向けた。どこか温かい目をしている彼女を見つめていると……短い髪の毛をふわっと揺らしながら、僕と目を合わせ、言った。
「小説を読むのも書くのも好きだったみたい。これは直感的にそう思った」
彼女の太陽をいっぱいに受けた果汁が弾けた。
幽霊のくせに瑞々しいぜ。農家の優しそうなおっちゃんとおばちゃんの表情が何となく、浮かぶ感じだ。
そして、
――この日から、独りきりだった僕の創作活動に、無駄に元気な幽霊が加わることになったのであった。
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