8.新人作家とクズの読者

「ねぇ思うんだけど、さ」


 夕方、卵スープに口をつけていると、幽霊が切り出した。

 少し飲みにくい感……だんだんと卵の濃度が高まってきている気がする。うまいけど。


「なんだ?」

「せんせーは、作品の出版停止まで持ち出されたのに、どうして改稿を受け入れなかったのかなーって。そもそも、改稿を受け入れないのは……はっきり言って、なんで? 本出したくないの?」


 その話か。『俺オレ』のゴーストライトついでに、何でもかんでも話すもんじゃなかったか……まぁ、いい。


「幽霊、お前は……心無い読者のせいで消えた作品があることを知っているか」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 僕が小学生のころだ。

 読んでいた作品がある。その作品は、webにあった。個人ブログの作品だった。

 小説なんて、学校の夏休みで出された指定作品を読む程度だった僕が初めて課題以外で読んだ作品で。今思えば、文法も人称もめちゃくちゃな作品だったかも知れない。


 特に小説の知識もなく、書いたこともない僕だったから、純粋に楽しめたんだったのかな。

 その小説と出会ったのは本当にたまたまで、課題図書を適当に検索していた時に見つけたんだっけか。


――その小説が、読者のせいで消えた作品ってこと?


 あぁ、そうだ。

 読者といっても、僕のほかに何人の人が読んでいたのかは分かんないけど、作者がよく「pvが少ない」とか嘆いていたから、少なかったんだろうな。

 アクセスカウンタを見ても、全然回っている印象はなかったし。


――『ノベノベ』とか『くろう』とかの小説投稿サイトだと、pvとか★の数とか分かるし、比較対象があるからね。


 そうだな。僕の場合、web小説はその作品だけしか読んでいなかったから特に、だな。

 ただ、作者は読まれないとは言いながら作品の更新は続けていた。書き溜めじゃなく、書いては更新のスタイルだった。


 毎週、金曜日の二十時。

 サイトにアクセスするのが楽しみだった。行く意義を見出せない学校に通う中、それが唯一の楽しみというか。土日なんてどうでも良くて、金曜日さえあれば良かった。


――定期更新っていいよね。安定して書かないといけないから大変そうだけど、読む側からしたら、エタったのか心配しなくていいし。


 そう言うってことは、web小説でエタりはザラにあるってことか。

 作者にさえ、『親』にさえ愛されない作品がただ死んでいく世界か。これだからweb小説は。

 すべて駆逐するべきだよ、読者ごと。作者ごと。


――せんせーって、本当。webを嫌っているよね。


 ……まぁ言えているかもしれないな。何となくワープロも好きになれなくて、手書きで創作をしているし。


――それは関係ないんじゃ……


 まぁ、気分の問題だよ。

 ある日、風呂に入った後、家族で使っているパソコンの前で二十時をずっと待っていた。パソコンで別の作品を調べて、その間読んでいてもよかったのかもしれないが、その作品を待つことしか頭になかったな。


――意外と一途なんだ。今じゃ観さんの小説に惚れているみたいだし、変わってないね。せんせー、かわいいとこあるじゃん。


 言ってろ、勝手に……

 サイトは更新されたが、休載の知らせだった。


 本編は次の金曜日に更新された。だけど、その三週間後にまた休載の知らせが来た。

 その連絡の二週間後に更新が……

 だんだんと休載の期間は伸びていって、連絡の更新もなくなって。ついには、そのサイトは丸ごと無くなってしまった。


――うん、…………


 サイトがなくなる前に、作者は『疲れてしまいました。「またいつか」、そう思うことだけは許してください』と書き残していた。

 たった一文で、僕にはまったく意味が分からなかった。

 『疲れた』って、作品を更新する体力がなくなったとか、リアルの仕事が大変になったとか。そんな風に思っていた。

 作者が社会人なのかどうか、知らないけど。


――今は、その意味が。


 あぁ、分かる……批判だった。クソみてぇな読者が裏にいたんだ。そのせいだったって、後で分かった。


 『アドバイス』って皮をかぶった批判だったから、余計にたちが悪かった。


 誤字の指摘、言葉の使いまわしの指摘……そして、ストーリーにまで口出ししてやがった。作者の人格を傷つけるようなことも書いてあった。


 そいつは、結局、自分が悪いとも思っていないんだろう。

 コメントをしていたのは大学生らしかったが、あぁも『編集者モドキ行為』を平然とやってのける奴が大学にいていいのかよ、ってな。


 あぁ、サイトが消えるまでに時間がそこそこあってな。何かヒントがないだろうか、と探していときに見つけてな。

 そんで、作者が筆を折ってしまったのは、そいつのせいだろうと。そいつが、そのクズが、作者の『聖じん』を苦しめたんだと……っ


――、どうしたの……?


 そんときはまだ、小学生だった僕がそいつに反論っていうか、立ち向かう度胸はなくてな。

 ふつー小学生なら、無鉄砲キメて殴りかかるもんかも知れないが、僕はおませさんで……学校でも浮いていた。


 僕にできることって何だろうか、考えて考えて。

 『聖じん』さんに感想を送ることにしたんだ。

 僕がその小説を好きな気持ちをありったけ書いた。

 辞書も引いた。

 自分の少ない語彙力をカバーするために新しい言葉を探すとかじゃなくて、自分の言葉を調べた。


――知っているのに辞書を使うって。


 自分の親が少し嫌味っぽい人だから、日本語は受け取り方で意味が変わることを知っていた。

 純粋にほめたつもりでも、嫌味と取られることもある。日本人ってホントネガティブな生き物だ。


 『この戦闘シーンの主人公のセリフが最高にカッコよかったです』を、『セリフ最高に……』とするだけで、『そのセリフ以外はクソだった』に早変わりする。

 ……まぁ、いろいろ考えて文章を送ったんだ。僕が『作者』に送った感想ってあれが最初で最後だと思う。

 感想を送った次の日、サイトは消えた。

 きれいさっぱり、跡形もなく。


――そんな出来事があったのね。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 冷たくなった卵スープを飲み干すと、少ししょっぱく感じた。


「その後、本屋で見つけた小説にハマった。作者は、『観』っていうらしく、そいつの本を読み漁った。物語で頭をいっぱいにして、あの事件を忘れたかったのかも知れない……って、んだけどな」


――あぁ、そうか。


「僕が担当編集の言葉を聞かないのも、あの事件のせいかも知れない。だって、僕は作者を……聖じんさんを救えなかった。見殺しにした。作品ごと作者ごと」

「君のせいじゃない。君のせいじゃ……」


 幽霊はさっきから、を両手で押さえながら、僕の話を聞いてくれていた。その表情はどこか苦しそうな印象だ。


「いいや、僕のせいだ。僕のせいにしておいてくれ。それに……そうしないと、僕が分からなくなる」


 さっきからバカみたいに、心臓が動く。乱れまくりで、一度口を閉じてしまうと、声を出すタイミングが掴めなくなる。


「……自分の小説は自分のもの。批判を、的外れなアドバイスを……読者の声を聞いてはいけない。作品のことを一番分かっているのは作者なんだ。誰も口を出しちゃいけない世界なんだ。僕はそう思っているし、思い続けたい。だって、そうしないと……」


――聖じんさんに送った言葉がウソになる。


 僕は作家としてデビューして、読者の声を聴かない作家として生きていくんだ。

 そのことで、誰かを救えるなら。を否定することを正当化できるならば。



 僕は、ゴーストライターにだってなってやる。



 ◆ ◆ ◆ ◆


「ありがとうございました」


 ナゲットを買った。特に何かを買いに来た訳じゃなく、立ち寄ったコンビニ。

 普段は焼きプリンとかポテチを買うんだが、たぶん幽霊の影響で最近は甘いものを食べなくなったな。甘いものというか、お菓子全般。


 幽霊は米を炊かないし、僕が炊くと「炭水化物は創作の敵よ」と言ってきたので、米も食べてないな。

 基本卵を食いまくってるので、意外と食費はリーズナブルで助かっている。二人分だが、幽霊そんな食べないし。

 幽霊は僕以外の人間には見えないようなので、買い物は僕の担当ではあるのだけど。


「一人にしてくれ、か……」


 幽霊は僕の話を一通り聞いたあと、「何かを思い出しそう」とか言っていた。

 死亡した時のショックのせいか、記憶の大半を失っている幽霊だ。

 いろいろと、思うところがあるんだろう。


 近くの公園のブランコが揺れていた。

 そこにいたのは中学生だろうか。まるで、点検員かのようにブランコに触ったり、乗っかったりしては、スマホでポチポチと。

 僕もスマホでポチポチし返そうと思ったが、スマホは部屋に忘れ、というか幽霊が「貸して」って言ったんで貸してる。

 そう思ったら、地面を踏みしてはポチポチ。目を瞑ってはポチポチ。


――中二かな。いいえ、厨二のほうでしょうか。


 そうしていると、目があった。いや、そこそこ距離あるから本当にあったか分かんないけど、顔を向かい合わせ……たと思いきや、ポチポチポチポチ……。


「…………帰ろ」


 無駄にトラブルとか起こしても面倒くさそうなので、放置してそのまま家に帰る。時間も潰したし。


――あそこの家だったっけな……


 家に帰る道すがら、この前自殺があったらしい家の前を通った。もう事件があってからしばらくたっていたので、警察官はいない。

 何となく、嫌な冷たい風が吹き、身体がゾワリとした。


 チリンチリン、と家のカギに取り付けた鈴の音が響かないようにそっと、ドアを開ける。

 幽霊は壁をすり抜けられるので、僕が家を出るときはいつものようにカギをしめているのだ。


 ドアを開けると同時、


――僕の身体をすり抜ける何かがあった。


「っ…………」


 幽霊だった。彼女は僕に気づいたのか、アパートの通路を飛び越したところで浮遊したまま振り向いた。


 一瞬。


 数秒。


「おい。どうしたんだ、何かあったの……」

「……探……い…く……い」


 聞いたことのない声だ。彼女の明るいハキハキした声とは大違いで、今にも消えてしまいそうな。

 それに……


「お前、泣いているじゃないか! どうしたんだ。何があった! 僕のいない間に何が! 何か思い出したってことか!」


 思わず、大きな声が出ていた。近所のドアから覗いてくる人がいそうだ。


「あの……その」

「僕なら話を聞く。うんと聞く。じっくり黙って君の話を聞いてやる……だから、……何もわからないまま、どこかへ行かないでくれ!」


 下を向いたままの顔を一度だけ持ち上げ、幽霊は、


「ごめん、探さないで」

「だから……」

「だから、探さないでって言っているの!」


 そう僕に別れを告げ、どこかへ去って行ってしまった。


 こんな時、どうすればいいのか。

 結局、僕はあの頃と同じ。変わってなんかいないのかもしれない。


 そう家の中に入ると、点けっぱなしのPCの画面が目に入った。

 びっしりと文字で埋め尽くされたウィンドウがいくつもある。

 見たことはないが、

 人の暗い部分が浮き出た、僕がクズと形容した奴らがそこに溢れ……そして、

 横にポツンと置かれた、スマホがそのすべてのつじつまを合わせた。


 僕は変わっていない。こんなのを見て、彼女を放っておけるほどできた人間じゃない。


――変わらないって決めたんだ。


 変わらないまま、あの時の僕のまま誰かを救いたい。

 そう思うと同時に、走り出した。


「幽霊! 幽霊、どこに行った!?」


 返事はない。ただの暗闇に声は吸い込まれながら、響く。


――どこにいる? どこに向かった?


 幽霊って、どれくらい早いんだ? どこまで行けるんだ?

 分からない。予想なんてできやしない。

 僕は知らないんだ。知らなかったんだ。

 彼女のことを……彼女が『俺オレ』の作者だったってことも。


「三崎っ! お願いだ。消えないでくれ!」


 彼女が、美人サキサキだということも。

 彼女の本名が、唯野ゆいの三崎だってことも。


「お願いだ、お願い……だ」


 彼女が、地下chで叩かれていたことも。

 ネットに彼女の個人情報がさらされていたことも。


 彼女のTwetterのDMや返信に大量の『脅迫』が来ていたことも。


「……っクッソ。どうすりゃいいんだよ!」


 ここ数日で、彼女は僕の大切な人の一人になっていたことも。


「どうすれば……何がいけなかったんだよ……」


 知らなかった。何もかも。全然。


 この胸に黒いモヤが広がっていくような。

 名前が定義されていない感情が僕を締め付ける。


「あっあぁぁ、ぁぁぁぁぁっ」



 行き場のないエネルギーが、叫びに変わった。


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