7


「犯行の方法が分かった……?」

 近藤が口をあんぐりと開けて固まった。そして、それは若林も湊も同じだった。今までの情報だけで導き出せるとは到底思えなかった。だが、白峰は自身の答えに自信を持っているらしく、大きく頷いた。

「はい。方法自体は単純なものです。条件さえ揃えば誰だって実行出来る」

 いつになく強い口調で白峰はそう言うと、踵を返してゆっくりと控え室のある上手側の袖へ歩いていく。湊は拍子抜けするのを自覚した。てっきり、今話してくれると思っていたのに、どうやら白峰はまだ語ろうとはしないらしい。

「待て! 何故分かった? どうやって犯人は土屋を殺したんだ?」

 たまらず近藤が白峰の背中へ向かって叫ぶ。すると白峰は足を止めて、顔だけこちらを振り向いて悪戯っ子のような笑みを口元に浮かべた。

「聞き込みが終わったらお話ししますよ」




「小人役の佐伯さえきはなさんと黒川くろかわあさみさんですね」

 劇関係者への聞き込みが再開されて、控え室から出てきた二人の女性に白峰は若林の手帳に視線を落としながら確認を取る。

 一人は小人役も適任と思える小柄な少女だった。セミロングの髪の毛が顔のラインに沿って伸びているので、ただでさえ小さい顔が余計に小さく見える。目はぱっちりとしていて同じ女性から見てもかなりの美少女だ。ただ少し内気なようで、白峰の確認におどおどとした様子で頷いているし、心なしか顔色も悪い。

 一方で、もう一人の黒川あさみという女性はかなり大人びた雰囲気を纏う人だった。竹のように真っ直ぐな身長は湊よりもずっと高く、白峰と同じくらいだった。タイトスカートから伸びる上品な脚が羨むくらい綺麗だ。

「あなた方にもお訊きしたいのですが、事件が起きた時、あなた方もあの小屋の板の裏にいたんですよね?」

「そうです。他の皆も一緒にいたから私たちには土屋くんは殺せませんよ」

 あさみが微笑を浮かべてそう返す。自分はやってないと絶対の自信があるのか、余裕のある様子だった。

「そうかもしれませんね」

 白峰はあしらうような相槌を打つと、

「事件が起きた時に何かを見たり聞いたりはしませんでしたか?」

 と、本題に入った。

「何かって言われても、場面転換の時は真っ暗になるかは何も見えませんよ。そして足音も聞いてません」

 あしらわれたのが不満だったのか、あさみの余裕の笑みは少し崩れて、切れ長の目が白峰を睨みつけていた。

「佐伯さんもですか?」

 目線を華の方へ動かして白峰が問いかける。華は俯き加減で、怯えているのか小さく震えていた。

「大丈夫です。あなたに何か被害が出る前に僕が犯人を捕まえます。だから安心してください」

 穏やかに、それでいて力強く白峰は言った。華が僅かに顔を上げて白峰の顔を見つめる。それから華は深呼吸を二、三度して、頷いた。

「……見ました」

「なんですって?」

 予想だにしなかった返答に若林が驚いたように声をあげた。近藤も同じような顔で華に詰め寄ろうとするが、それを白峰が左手で制した。そのまま華に質問を続ける。

「何を見たんです?」

「……私、すごい緊張しやすくて、今日も小屋の中にしゃがんでいるだけなのに観客の顔が見えると全然落ち着かなかったからずっと目を瞑ってたんです。それで場面転換の時に暗くなったから、少し目を開けたら、誰かがステージの上を二回横切ったんです。」

「それはどっちからですか?」

「上手側から出て来て、それですぐにまた上手へと戻っていったんです」

「……そうですか。では最後にもう一つ、今回の劇で眼帯を付けた衣装のキャラクターはいますか?」

「え? いませんけど」

「分かりました、ありがとうございました。どうぞお戻りください」

 やや声のトーンを落として言うと、そのまま白峰は二人を控え室へと返してしまった。そのまま俯いてぶつぶつと何かを呟きだした。彼の推理の時の癖みたいなものだ。もしかして、何か核心に迫ったのだろうか。

「なぜ勝手に戻す。まだ訊きたい事があったんだがな」

 近藤が憮然たる面持ちで白峰に詰め寄る。確かに刑事からしたら、佐伯華にはまだ訊きたい事が山積みだろう。最初に話を聞いた時にはステージ上を動く人物の話は出てこなかった。つまり、彼女はその真実を口にはしていなかったのだ。それなのに、なぜこのタイミングでそれを証言したのか。

「近藤さんが知りたいのは、なぜ最初に事情聴取をした時に佐伯さんが証言しなかったのか──という点ですよね」

 白峰が顔を上げて口を開いた。

「ああ、そうだ。あの時に証言をくれていたらもう少し捜査は早く進んでいたというのに」

 近藤が頭を掻きながら愚痴を吐き出す。確かに華の証言があれば、事件はもう少し解決へと近付いていたかもしれない、と湊も思ったが、白峰は首を横に振って、

「佐伯さんは証言しなかったんじゃありません。んです」

 と言った。

「証言出来なかった? どういう事だ」

「近藤さんたちが佐伯さんに事情聴取した時、彼女は一人でしたか?」

「いや、劇参加者は全員集めていたが……」

「つまり、そういう事です」

 白峰は得意げに結論づけたが、こちらとしてはいまいちピンと来ない。佐伯華が一人じゃなかったから証言をしなかったという事だろうか。

「どういう事ですか?」

 湊が訊くと、白峰はゆったりとした動きでこちらを振り向く。

「では少し考えてみましょうか。現時点で疑いが濃厚なのは、当然同じステージ上にいた劇の参加者です。もしも一ノ瀬さんがそのうちの一人だったとして、劇参加者が全員集まっている場で“誰かがステージ上を横切るのを見た”と証言しますか?」

 突然白峰が問いかけてくる。たじろぎながらも湊は目を閉じて思考に没頭してみた。

 今、この場には劇の参加者が全員集まっている。犯人はもしかしたらこの中にいるのかもしれない。そして私はステージ上を横切る誰かを見た。

 その状況を思い浮かべては反芻して湊はハッとした。

「……証言しません」

「どうして?」

「だって、

 私が言うと、白峰は満足そうに頷いた。刑事たちからも「あっ」という声が聞こえてくる。ようやく分かった。証言出来なかったという意味が。

「そうです。現時点では土屋辰巳さんを殺害した犯人は同じ劇参加者の中にいると考えられている。状況的にもその可能性が高いですからね。佐伯さんも同じように考えていたのでしょう。さて、そうすると劇参加者が全員集まっている場で証言するのはかなり危険です。なぜならのですから。もし見られたと犯人が知ったら、口封じを考えるかもしれない。だから佐伯さんは証言出来なかったんです」

 相変わらずの淀みない口調で彼は語る。近藤も今度は納得したように口を閉ざした。

「では、次の方をお呼びしましょうか」

 空気を変えるかのようにパンっと一回手を叩いて白峰が言う。まだ聴取は終わらないらしい。

「次は誰を呼ぶんだ?」

「ひとまず小人役の人たちはもう大丈夫です。次は渡邊さんと共に下手にいた脚本の朝倉さん、ナレーションの真鍋さん、そして音響の飯塚さんですかね」

 指で数を数えながら白峰は選抜された面々の名前を挙げた。








 控え室から出てきた三人は皆、不安げな表情を浮かべ、重い足を引きずるようにこちらへ歩いてきた。

「どうも。朝倉さんと真鍋さんと飯塚さんですね」

 白峰が一人一人の名前を確認していく。皆、躊躇いながら頷いた。

「な、何なんですか、あなたは」

 ナレーションを担当していた真鍋美帆みほが嫌そうに顔をしかめて言った。確かに真鍋たちからしたら白峰の存在は不気味であり、容易に信用も出来ないだろう。だが、それでもここまで嫌悪されているのを見るのは初めてだった。朝倉智樹ともきも飯塚修太郎しゆうたろうも同じように白峰に冷たい視線を向けている。

「僕はただの大学生です。別にあなた方に何かしようなんて事は微塵も思っていません。二、三点ほど訊きたい事があるだけです」

 向けられている嫌悪感を気にも留めずに白峰は言う。本当に気にしてないのか、我慢しているのか、はっきりとは分からないが、湊にはそれが“慣れ”のように思えた。

「まずあなた方三人は、事件が発生した時間、渡邊さんと一緒に下手の袖にいた。これは間違いないですね?」

「……はい」

 仕方なく真鍋美帆は頷いた。続けて朝倉と飯塚も頷いた。

「そうですか。一応確認ですが、誰か下手から動いた人はいませんでしたか?」

「いないです。え、もしかして私たちを疑ってるんですか?」

 美帆が心外だと言わんばかりに眉間にしわを寄せる。とても女性のする顔ではない。

「いいえ。僕の推理ではあなた方は白なんですけど、一応の確認です」

 白峰はあっさりとそう言い切った。湊がチラッと横を見れば「どうして白だと言い切れるんだ?」と近藤と若林の顔が物語っていた。多分、自分も同じ顔をしてると思うけれど。

「え、あ、そうなんですか」

 美帆も拍子抜けしたような相槌を打つ。むき出しだった敵意は勢いを失いかけていた。白峰は美帆から視線を外すと、その後ろにいる飯塚へと移した。

「飯塚さん。あなたは音響を担当していたんですよね?」

「は、はい」

 突然話を振られて慌てて飯塚が答える。なんとなく、そそっかしい人だと湊は認識した。

「雨の音について、事前に土屋さんから聞かされていましたか?」

「雨の音、ですか? いや、今朝突然ディスクを渡されて言われたんです。“場面転換には新しく入れた十番の音を流すから”って」

「それが雨の音だとは聞かなかった?」

「本番前に雨の音を使うって土屋が皆に言ってました。どうして雨の音なのかは教えてくれなかったですけど」

 飯塚の返答に白峰は何度か頷くと、軽くお礼を言って朝倉へ視線を向けた。

「朝倉さん。あなたは脚本を担当していたようですね。配役を決めたのもあなたですか?」

 朝倉は身をすくめながら小さく頷いて、すぐに首を横に振った。

「土屋くんの役だけは土屋くんが自分からやるって言って聞かなかったんですよ。でも土屋くん以外の人の配役を決めたのは僕です」

「なるほど。では、土屋さんが殺害されたシーン以外にも、彼がステージ上で一人になる場面ってありましたか?」

「無いです。後のシーンは誰かしら必ず一緒にいます」

 即答だった。脚本が全て頭の中に入っているのだろう。流石と言うべきか。

「そうですか。ついでにお訊きますが、このステージには人を吊るせるワイヤーが設置されているみたいですね。今回の劇でそのワイヤーを使う機会はありますか?」

「ワイヤー? 確かに設置されてますけど使いませんよ。今回の劇はあくまで白雪姫のオマージュなんですから」

「分かりました。ありがとうございます」

 白峰はそう言って三人に対する聴取を終わらせた。





 続いて外へ出て来たのはもじゃもじゃ頭の男だった。短い髭の生えた顎をさすりながら、ヘラヘラとした笑みを浮かべている。見た目で判断するのはあまり好ましくはないが、いかにも軽薄そうに見える。

「あなたは鏡役のしまさんですね?」

「そっすよ」

 白峰の確認に嶋健太けんたは軽く返事を返した。それから、

「ずっと訊きたかったんすけど、その前髪邪魔じゃないっすか? しかも白って、なかなかロックっすね」

 と笑いながら言った。

 湊は思わず身構えた。前髪の奥に潜む秘密に気付いていながらそれを未だに明かすことが出来ていない事に対する罪悪感のようなものが襲ってくる。

「人見知りですので」

 恐ろしく曖昧な返答をして、白峰は本題に移った。

「事件が起きた時、あなたは何処にいましたか?」

 白峰が訊くと、嶋は記憶を辿るように視線を彷徨わせて「あっ」と声をあげると再び白峰に視線を戻した。

「その時は控え室にいたっすね」

「控え室? どうしてです?」

「しばらく出番が無かったんで、控え室で休んでたんすよ。お姫様役の田代たしろと一緒に」

「間違いないですか?」

「なんなら田代にも訊いてみてくださいよ。同じ事言うと思うんで」

 白峰が難しい顔で微かに俯く。

「……雨の音について知ったのはいつです?」

 そのまま白峰は新たな質問を投げかけた。

「雨の音? あーなんか言ってたっすね。雨がどうとかって。今日の朝の事っすよ」

「あなたも今朝、聞いたんですね」

「そっすね」

 嶋は答えると、不意に湊の方を向いた。ジッとこちらを見つめて、何度か首を傾げている。

「な、何ですか?」

「いや、なんか……。あ、もしかして湊って名前だったりする?」

「えっ」

 心臓が止まるかと思った。私は名乗っていない。それなのに、どうして名前を言い当てられたのだろうか。

「やっぱり。土屋が何度か話してたんすよ。高校時代に追っかけてた女がいるって。あんたなんだ。土屋に襲われそうになったのって」

 じわりと、記憶の底から滲み出る黒い感情。それを抑えるように湊は服の裾を強く握りしめた。おそらくこの人に悪気は無いのだろう。それでも、私とっては迷惑でしかない。簡単に踏み込んで欲しくない話題だった。

 白峰が心底驚いたようにこちらを振り向いた。そういえば、刑事さん達には言ったが、彼には明かしていなかった。その刑事さん達は白峰の奥で硬い顔のまま固まっていた。

「……最低な野郎だよな。土屋って」

 唐突に、低い声で嶋が言った。真顔になって、ひしひしと怒りのようなものが伝わってくる。

「土屋さんの事は嫌いでしたか?」

 白峰が尋ねると嶋は「当たり前っすよ!」と声を荒げた。

「女の子襲うってクズ中のクズっすよ。しかもそういう話を俺らにもするんですよ、武勇伝みたいに得意げになって。こういう言い方すると刑事に疑われると思うんすけど、正直、死んで良かったって思いますよ」

 湊は少し嶋に対する評価を改めた。言い過ぎだとは思うけれど、この人は軽薄そうに見えて実はそうではないのかもしれない。

「土屋さんはよくそういう話をしていたんですか?」

 控えめな口調で白峰が訊く。嶋は憮然とした様子で頷いた。

「してたっす。『誰々と付き合った』とか『誰々とやった』とか平然と。自慢話か何かと勘違いしてるんすかね?」

 そう語る嶋の顔には嫌悪の色がはっきりと浮かんでいた。






 嶋が控え室へと戻り、入れ違いで女性が控え室から出てきた。着替える暇がなかったのか、未だに可愛らしいフリルのついたドレスの衣装に身を包んでいる。顔はものすごく小さくて、真紀に負けず劣らずの童顔だった。

「田代愛香あいかさんですね」

 白峰が訊くと、愛香は戸惑いがちに頷いた。

「早速ですが、田代さんは事件が起きた時、何処にいましたか?」

 他の皆と同じ質問から始める。愛香はちらっと背後の控え室に目を向けて答えた。

「そこの、控え室にいました」

「お一人で?」

「いえ、嶋くんも一緒に」

 嶋の証言と一致した。これでこの二人にもアリバイがあるという事になる。共犯でなければ、だが。

「途中で部屋を出たりとかはありませんでしたか?」

「無かったと思います」

「そうですか……」

 小さく唸って、白峰は顎に手を当てる。彼の頭の中でどれくらい推理が進んでいるのかは分からないが、壁にぶつかったのかもしれないというのは何となく理解出来た。

「雨の音について、あなたも今朝初めて聞きましたか?」

「雨の音……あ、はい、そうですね。今朝、土屋くんが確かそんな事言ってました」

「なぜ雨の音を使うのかとか聞きましたか?」

「……いえ。「後で分かる」と言って頑なに教えてくれませんでした」

「……なるほど。では、もう一つ。事件が起きた前後で誰かこの控え室の前を通りましたか?」

 湊は控え室の扉を見た。控え室の扉には上の方に小さな曇りガラスが付いており、極端に背の低い人でなければ、扉の前を通る時に人影が映るだろう。

 白峰の質問に愛香は目を瞑り、しばらく俯いた。それからばっと顔を上げて頷いた。

「通りました。人影が通ったと思います」

「それはどっちから通りました?」

 白峰の顔つきが僅かに変わる。

 少し怯えた様子で愛香は「左から右に。そのあと右から左に」と答えた。

「……二回通ったんですか?」

「は、はい。確か二回だった気がします」

「……そうですか。分かりました、ありがとうございます」

「もう、終わりですか?」

「ええ。充分です」

 口元に微笑を浮かべて白峰は軽く頭を下げるとくるりと踵を返して上手側の舞台袖から階段で下に降りていく。

「あ、おい、勝手に動くな」

 近藤が慌てた口調で声をかけるが白峰は聞こえていないようだった。

 湊も走って白峰の背中を追いかける。ちょうど白峰が体育館から出ようとしたところで追いついた。

「待ってください」

「一ノ瀬さん。どうかしましたか?」

「何か、分かったんですか?」

 湊が訊くと、白峰は困ったように口を曲げて頬を掻いた。

「いくつか分かった事はあります。ですが、犯人が誰なのかは見当もつきません」

「えっ?」

「犯人だと証明するいくつかの条件は分かったのですが、その全ての条件に当てはまる人がいないんです。完全に行き詰まりました」

 弱々しく白峰が言う。

「それよりも、犯行の方法を早く教えてもらいたいがな」

 後ろから声が聞こえた。近藤と若林も追いついたらしい。

「聞き込みは終わっただろ。なら約束どおり話してもらおうか」

「そういえばそうでしたね」

 やや億劫そうに白峰は呟くと、こちらを向いて推理を語り始めた。

「殺害方法については至ってシンプルです。何の小細工も無い。誰にだって実行の出来る方法です」

「なに?」

 近藤が眉をひそめる。確かさっきも白峰はそう言っていた。条件さえ揃えば誰だって実行出来ると。果たして本当にそんな事が可能なのか。

 白峰はステージの方に視線を向けながら、さも当然のように答えを出した。

「犯人は、


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