5


「久し振りだな……」

 駅前にある喫茶店『せせらぎ』の窓側の席に腰掛けていた俺は、目的の男の姿を確認するとそう声をかけた。男はこちらに気付くと微笑を浮かべて歩み寄ってくる。

「お久し振りです。相変わらずお元気そうで良かったです」

 柔和な口調でそう言いながら男は目の前の席に座った。

「すみません、コーヒーを一つ追加で」

 ちょうど近くを通った店員に声をかけると、店員の女性はやや面倒くさそうに「はい」と言って厨房の方へと歩いて行くのを見送ってから、俺は改めて目の前の男に視線を戻した。

「お前からの呼び出しとは珍しいな。何か用か?」

 俺がそう問いかけると男は少しだけ顔を俯かせた。長い前髪のせいで元々顔の上半分は隠れているのに俯いてしまったら、いよいよ男がどんな顔してるのかが全く分からなくなる。

「……最近になって、身の回りで二つの殺人事件が起きました」

 やがて男は静かにそう言った。

「あぁ、聞いている。大学での転落事件と廃校での密室殺人だったな。それがどうしたのか?」

「もしかしたら、あの人が動き出したんじゃないかって考えています」

 男の返答は予想通りのものだった。だが、それはいくらなんでも突飛すぎる発想だ。

「そうとは限らない。たまたま事件が続いただけだ」

 俺はそう否定したが、男は納得しているようには見えなかった。俺は小さく息を吐くと、男の肩を叩いた。

「……あれから何の進展も無い。そろそろ諦めたらどうだ?」

 男が顔を上げる。前髪の分け目から微かに瞳が見えた。

「……諦めるべきだというのは分かってます。でもここで諦めたら、今までが全て無駄になってしまうんです」

 運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、男は言った。彼の強い意志がその言葉から、その瞳から充分に伝わってきた。三年前のあの日からずっと変わらない、いや、あの日よりも強くなっている気がする。

「分かった。こっちでも引き続き調べておく」

 おそらくこちらが何を言っても彼は引かないだろう。

 説得を諦めた俺がそう言ったところで彼のスマホが振動した。どうやら電話がかかってきたらしい。

「もしもし……はい、はい……そうですか、分かりました。今からそちらへ向かいます」

 彼は通話を切ると、申し訳なさそうな顔でこちらを見た。

「すみませんが、少し用事が入りまして」

「そのようだな。では今日は解散にするとしよう」

「ありがとうございます」

 少し慌てたように席を立って彼は出口の方へ向かう途中で足を止めて、そのままこちらを振り返った。名前と同じく白い髪の毛がふわりと揺れて、全てを見透かすような透明な瞳がこちらを見つめる。

「今日は篠崎さんの奢りでいいんですよね?」

 それから彼は戯けるように笑ってそう言い放ったのだった。








 事件の関係者である私たちは未だに体育館に取り残されていた。すでに数時間が経過しているので、皆も流石に疲弊しているようだった。

 そんな時、唐突に体育館の扉が開けて入ってきた人物を見て湊は息を呑んだ。悠然とした様子で殺人事件が起きたこの体育館に入ってこれる人間は限られている。一般の人なら刑事に止められて中へ入ってくることは出来ない。しかし、今入ってきた人はこの事件の関係者ではない一般人だ。それなのに何故中まで入ってこれたのか? 答えは簡単だ。

「すまないな。呼び出して」

 近藤がその人に向かって軽く頭を下げた。一般の人が事件現場の中へ入ってこれる理由、それは中にいる刑事が呼び出したからである。刑事の許可があるのなら事件現場だろうと容易く入れるというわけだ。

 では、何故その人物は刑事の近藤に呼ばれたのか? こちらも答えは簡単である。その人は過去に二度も殺人事件を解決しているのだから。

 一ヶ月振りにその姿を見て、私は気まずさも感じたが、それよりも嬉しさの方が強かったらしい。湊はそくさくとその人の元へと駆け寄った。久し振りに会うその人から仄かにコーヒーのような匂いがした。

「白峰さん!」

 少し上ずった声で名前を呼ぶと、その人はこちらを振り向いた。穢れを知らない純白の髪の毛が顔の上半分を覆い隠しているので彼がどんな表情をしているのかは分からないが、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

「一ノ瀬さんもここにいるという事は、また事件に巻き込まれてしまったようですね」

 くすっと笑って白峰は言った。本人にそのつもりは無いのだろうが、その笑いの中に呆れのようなものが含まれていると感じて湊は少し肩をすぼめた。

「巻き込まれたくて巻き込まれたんじゃありません」

「分かってますよ」

 ムッとしたようにぼやくと白峰はなだめるようにそっと頭に手を置いた。近藤と若林がわずかに顔を強張らせる。多分さっきの話を思い出したからだろう。けれど怖くはない。むしろ少し安心するくらいだ。

 数秒ほどして白峰は頭から手を離して近藤たちの方へ向き直った。

「それでは、早速ですけど事件の話を聞かせてもらってもいいですか?」

 ピリッとした緊張感が漂う。近藤が若林を一瞥すると若林は頷いて手帳を開き、事件の概要と今現在での情報を詳細に説明した。




「足音が聞こえなかった……ですか」

 話を聞き終えて白峰は顎に手を当てながら静かにそう呟いた。今回の事件で一番不可解な点はそこである。犯人はベニヤ板が敷かれているステージの上を足音を立てる事なく歩き土屋辰巳を殺害したのだ。普通に考えればありえないと言えるだろう。ワイヤーが何かで吊られていたのならばまだ可能性はあるが、その場合は観客の誰も気付かなかったというのは少々信じがたい。もしも土屋が自殺だとすれば、足音の問題は解決する。だが、土屋の体には複数の刺し傷があったと言う。そうなると自殺というのも考えにくい。

 聞いているだけで頭が痛くなるような事件だと思った。

「観客全員が嘘をついている可能性もあるがな」

「それは無いと思います。もし観客全員がグルなんだとしたら、そんな怪しまれるような証言はせずに『自殺するのを見た』とでも言った方が効果的ですから」

 近藤の意見をばっさり切り捨てると、白峰は考えるように少し俯いて目を閉じた。時折ぶつぶつと何かを呟いている。推理している時の彼の仕草だ。

 やがて、白峰はゆっくりと顔を上げた。

「劇の関係者に話を聞きたいのですが」

「何故だ?」

「気になる事があるからです。足音の謎が解けるかもしれません」

「何だと⁉」

 近藤が大声で叫んだので、集められていた観客たちが一斉に近藤に視線を向けた。だが、そんな事は今は気にならなかった。それほど白峰の発言は衝撃的だった。

「もう解けたんですか?」

 若林が白峰に詰め寄った。湊は驚きで開いた口が塞がらなかった。いくらなんでも早すぎる。まだ事件の大まかな流れを聞いただけだというのに。

「まだ確信はありません。いくつかの可能性を思い浮かべているだけですから」

 やや謙遜して白峰が言うが、本当はとっくに確信を持っているのでは、と言う気がする。

「……んー」

 近藤は渋い顔をしていた。一般人である白峰に事件の関係者と話をさせるのを迷っているようだった。だがそれも当然の事のように思う。ただの大学生が現場をうろうろして、事件の関係者と話をするなんて。だが、それでも彼の頭脳を信用した近藤は「分かった」と了承した。

「あまり勝手な行動はするなよ」

 そう釘を刺す近藤に微笑で「分かってますよ」と返して白峰はふらりとステージの方へと歩いて行った。上手側と下手側にそれぞれ扉があり、そこから舞台袖に上がれるらしい。白峰は上手側の扉を開けると当然のように中へ入っていき、そのままステージの上へと上がりベニヤ板を踏みつけて音を鳴らす。それから満足そうに呟いた。

「確かになかなか大きな音が鳴りますね」

「……勝手に動くな!」

 一拍遅れて近藤の怒声が飛んだ。

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