6
体育館のステージ上手側の袖幕の奥には小さな部屋があった。普段は体育科の準備室として使われているが、今回の学園祭ではステージ上で催し物を企画していた団体の控え室として使われているようだった。広くはない無機質な長方形の部屋にはコの字型に長机が並べられていて、その上に衣装やら小道具やらが散在している。そしてそのコの字の机に沿うように並べられたパイプ椅子には十三名ほどの学生が座っていた。誰もが不安げな表情で落ち着きなさそうに視線を宙に彷徨わせている。
湊は壁際にあった机との隙間に体を滑り込ませて、小さくなっていた。部外者である自分がこの場にいる事に気まずさを覚えて、出来るだけ存在感を消す為にこうやって縮こまっているわけだ。
コの字の中心には近藤と若林が立っているが、浮かべている表情は学生たちとあまり違いは無かった。強いてあげるとすれば不安の中に密かに怒りが込められているところだろうか。
「あの、何で僕ら集められたんでしょうか?」
男子学生の一人が声を発した。キノコの傘の部分をそのまま被ったような頭で度の強い黒縁の眼鏡をかけている。失礼かもしれないが、キノコ博士と紹介されても信じてしまう、そんな人だった。
近藤は渋い顔で軽い謝罪と待機を命じる。十三名の学生を集めるように言った本人は未だにこの部屋に現れなかった。「先に行っててください」と言って彼はまたしても勝手に動き回り近藤の怒りは既に限界値まで溜まってきている頃だろう。
「すみません、お待たせしました」
その時、扉が開いてようやく白峰が来た。部屋の中が微かにざわつく。こんな状況で突然見ず知らずの他人、しかも髪の毛が真っ白で顔半分が隠れた男が現れたら誰だって警戒する。
「どこで何をやってたんだ?」
低い声で近藤が問うが、白峰は微笑を返すだけで何も言わずにコの中心に歩いていく。
「お集まりいただきありがとうございます。そして初めまして。僕は白峰と言います」
白峰は淀みの無い口調で告げると、流れるような動作で礼をした。その姿はどこか気品に満ちていて育ちの良さが窺えた。だが、学生たちの警戒心は解かれなかった。皆が皆、懐疑的な目を彼に向けている。
白峰は顔を上げると、部屋の中にいる全員を見渡して得意げに言った。
「いずれ分かる事なので先に言いますが僕は警察の人間ではありません。ただの大学生です」
再び、ざわつきが部屋を支配した。湊の耳に届いたのは「何でそんな奴がここに来たの?」といった呟きだった。
「ただの大学生が僕たちに何の用ですか?」
渡邊克彦が代表して白峰に疑問をぶつける。白峰は微笑を口元に浮かべると軽く手を叩いた。
「あなた方に訊きたい事がありまして、集まっていただきました。察しの通り、今回の事件についてです」
「そんな事訊いてどうすんだよ。お前が解決するって事か?」
馬鹿にしたように鼻を鳴らして渡邊の右隣に座っていた男が声をあげた。金髪に染められた髪と足を組んで座るその様はいわゆる不良のようだ。服装を見る限り小人役の一人だろう。
「僕が知りたいからです。その結果、事件が解決するかもしれませんけど」
はぐらかすように白峰が答える。それでも学生たちは驚いたようにあちこちから声があがる。事件が解決するかもしれない、という言葉につられたのだろう。
「では、あまり時間もありませんから早速お話をお聞かせ願いたいです。一人ずつ外へ出てきてもらってもいいですか?」
「えっ、ちょっと待ってください」
学生たちの様子を気にすることなく白峰は扉を開けて出て行こうとするのを女子学生が止めた。
「ここで話すのは駄目なんですか?」
不安げに尋ねる女子学生に白峰は振り返って微笑んだ。
「皆さんが共犯だという可能性はありますからね。ここでは証言を合わせられてしまうので一人一人にお伺いしたいので、お手数ですがお願いしますね」
それだけ告げると白峰は部屋を出て行ってしまった。
そんな白峰の様子に湊は少しの違和感を感じた。いつもとなにか違うような、なんとなく焦っているような、そんな気がして湊も白峰の後を追って部屋を出た。
刑事たちに連れられて、最初に部屋の外へ出たのは劇の発案者である渡邊克彦だった。警戒心を露わにした表情で白峰を睨みつけている。
「渡邊さんでしたね。ではさっそく質問をさせていただきます」
白峰は全く気にする素振りを見せずに淡々と話を進めていく。
「まずは事件が起きた時、あなたは何をしていましたか?」
「……普通に舞台袖で待機してましたよ。すぐに出番だったので」
「それは上手ですか? それとも下手ですか?」
「下手です」
不服そうにしながらも渡邊は律儀に質問に答えていく。
「なるほど。では、事件が起きる前後で何か怪しい人影を見たりはしませんでしたか?」
白峰は軽く頷くと、自身の顎に手を添えて新たに質問する。
「いいえ。何も見てませんし何も聞こえませんでした」
渡邊は首を横に振ってそう答えた。白峰は一瞬、俯き考える素振りを見せてすぐに顔を上げた。
「何も聞こえなかった……本当ですか?」
「本当です。近くに脚本を書いた
いつのまにか、渡邊の表情から警戒の色は消えて、疑念だけが浮かび上がっていた。
「普段は板の上を歩くと体育館中に音が響くのに、今日は舞台袖にいても聞こえないなんて……」
頭を掻きながら渡邊がそう言った瞬間、白峰はハッとしたように息を飲んだ。それから少し前に出て渡邊に詰め寄る。
「普段は聞こえていたんですね?」
「はい。練習中はうるさいくらいでした」
「……雨の音は最初から使うと決まっていたんですか?」
「えっ?」
唐突に変わった白峰の質問に渡邊は怪訝そうに眉をひそめた。雨の音、というのは場面転換の時に流れていたあの音の事だろうか。
「おい、雨の音が何か関係あるのか?」
近藤が白峰に訊くが、彼は近藤の質問には答えずに渡邊をじっと見据えている。渡邊は僅かに白峰から目線を逸らしてぼやくように言った。
「あの雨の音は昨日、土屋に突然言われたんです。場面転換の時はあの雨の音を大音量で流したい、とか、マスクがどうのこうのって。意味分からなかったですけど」
「昨日ですか」
「ええ。しかもリハーサルを終えて帰る直前にですよ。勝手過ぎるって周りから非難されてましたけど彼は頑固でしたからね」
吐き捨てるような渡邊の口調から微かに呆れのようなものを感じた。土屋は嫌われていた、と言った彼自身もあまり好ましくは思っていなかったらしい。
「雨の音を使う、という事をあなた以外の人が知ったのは今日ですか?」
白峰が再び問いかける。あの雨の音がそんなに重要なのだろうか。
「そうですね。今日の劇の前に土屋が全員に言ったのが最初だと思います。そこで皆も知った筈です」
「なるほど。あ、ちなみにこのステージには人を吊るすワイヤーみたいなものはありますか?」
「え、一応ありますけど」
「操作はどこで出来ますか?」
「下手の袖にある操作盤です」
「では最後に一つ、ステージ上のセットは誰が動かすんですか?」
「基本的には手の空いている人ですね。後は人手がいるので、小人役が主に移動させてました」
「分かりました。ありがとうございます」
白峰はそう告げると、準備室の扉を手で指してクスリと笑った。
「それでは、次の方を呼んできてください」
「あなたって大学生? よければ私と付き合わない?」
次に部屋から出てきたのはウェーブのかかった明るい茶髪の女性だった。厚めの化粧に露出が目立つ服装。湊の抱いた印象は所謂ギャルだった。今も白峰の肩に手を置いて、左右に体を揺らしながら迫っている。個人的には苦手なタイプに分類されるだろう。それにしても少し白峰に近付き過ぎな気がするのだが。
「小人役の一人、
若林が引き攣った表情で手帳を見ながら紹介する。もしかしたら彼もあんな風に絡まれたのかもしれない。
「嬉しい申し出ですけどお断りしておきます」
白峰は夏希の申し出を軽くいなすと、彼女から少し離れて向き合った。
「神崎夏希さん。あなたにもいくつかお訊きしたい事があります」
「何? 今まで付き合った男の数でも何でも答えてあげるわ」
「土屋さんが殺害された時、あなたはどこにいましたか?」
冗談かどうか分からない夏希の発言を無視して白峰が問う。彼女はそれに対して少しつまらなそうに唇を尖らせると右手でステージの方を指差した。
「あそこに小人の小屋のセットがあるでしょ? そこにいた」
湊はふと劇の光景を思い出した。木造の簡素なデザインの小屋。扉は開閉するように作られていたが、そんな小屋も横から見たらただの板だった。少し拍子抜けである。
「その時何か物音を聞いたとかは?」
「全く。聞こえてたのは同じ小人役のこそこそした話し声だけ」
「他の小人役の人たちも近くにいたのですか?」
「いたわよ。七人全員で小屋の陰にしゃがんでたの」
「誰か動いたりとかはしませんでしたか?」
「いや、誰も動いていないと思うわ」
「そうですか……」
白峰は夏希の返答に少し難しい顔で俯くと、ぶつぶつと何かを呟く。それから顔を上げて言った。
「場面転換に雨の音を使うと知ったのはいつですか?」
「雨? あー土屋が絶対雨の方が良いって言ってたあれか」
夏希は間延びした口調で言うとすぐにうんざりしたように顔をしかめた。
「今朝いきなり変えるって言い出して、こっちは「はぁ?」って感じだったわ。マジでありえないって」
「やはり今朝知らされたんですね」
「そうよ! あいつ、本当に自分勝手な奴だったから」
子供のように地団駄を踏みながら夏希は文句を言った。ただ、その言葉にはどこが寂寥感が感じられた。
続いて外へ出て来たのは二人の男子学生だった。先ほど馬鹿にしたような声をあげた金髪の青年と、キノコ頭が似合う眼鏡の青年だった。二人とも不愉快そうに目を細めて白峰を睨みつけている。それに対して白峰は口元に緩く弧を描いて微笑んでみせた。
「小人役の
気付けば白峰は若林の手帳を手に持っていた。だから知らないはずの彼らの名前を平然と呼べたのか。
竹下と呼ばれた金髪の男は頭を掻きながら頷く。
「そうだよ。さっさと話終わらせろ」
「ではさっそく。事件が起きた時、あなた方はどこにいましたか?」
「どこって、あれの裏だよ」
竹下は夏希と同じように小屋のセットの方を指差して言った。木野も頷く。
「なるほど。それで何か見たり聞いたりはしませんでしたか?」
「何も見てないし聞いてないって何度も言ったろ」
同じ事を訊かれて苛立ったのだろう、やや声を荒くして竹下が答えた。白峰はそれを無視すると木野の方へ目線を移した。
「木野さんもですか?」
「え、は、はい。見てません、聞いてません」
突然話を振られて木野は動揺しながら何度も頷く。それから少し首を傾げて、
「ベニヤの上を誰かが歩いてたのは分かったんですけど、音が鳴らないなんて不思議ですよねぇ」
と独り言のように呟いた。その瞬間、白峰がピタリと固まった。
「……ベニヤの上を誰か歩いてたんですか?」
微かに低くなった声で白峰が問う。
「は、はい。ベニヤが振動するのは分かったから誰か動いてるな、と。多分土屋さんですけど」
「どれくらいの時間ですか?」
「時間? 雨の音が止むまで……だった気がしますけど」
木野の話を聞いて白峰は再び俯いてぶつぶつと何かを呟く。かろうじて聞き取れたのは「やっぱり」という確信を抱いたようなものだけだった。
「もういいだろ。早く解放してくれよ」
竹下が気味悪そうに白峰を見下しながらため息混じりに言う。
「最後に一つだけ、あなた方も雨の音を使うと聞かされたのは今朝ですか?」
俯いたまま、白峰は声を発した。先ほどから皆にしているこの質問には一体何の意味があるのか、湊には未だに分からない。
「そうだよ。それが何だ?」
「木野さんもですね?」
「は、はい。今日の朝、初めて聞きました」
「分かりました。ありがとうございます」
白峰はそれだけ言うと、一人ステージの方へと歩いて行ってしまった。竹下と木野ももう終わりと判断したのか、控え室に戻っていく。
「また勝手に……」
近藤が舌打ちしてステージの方へと向かう。その後を湊と若林も追った。
「近藤さん。ちょっとその小屋の後ろでしゃがんでもらってもいいですか?」
近藤が、小屋の前、ちょうど土屋辰巳が倒れていた位置に立つ白峰の元に歩み寄るのと同時に、白峰は近藤に対してそう言いつけた。途端に近藤は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「何のために」
「事実確認です」
「今必要なことか?」
「この結果次第で足音の謎が解けます」
「……何だと?」
流石の近藤もこれには顔を強張らせた。隣にいた若林はあまりの衝撃で手帳を落としていた。
足跡の謎が解ける? 今までの情報で本当に導き出せるのだろうか。
「分かったのか?誰が犯人なのか」
「それはまだです。ですが、どうやって殺害したのかは見えてきました。それの最終確認として、近藤さんには小屋の後ろでしゃがんで欲しいのです」
そう言われてしまえば近藤も協力せざるを得ないらしく、素直に小屋の裏側へと回りしゃがみ込んだ。
「これでいいのか」
「はい。では、若林さん。ステージの袖から僕の所まで歩いてきてもらっていいですか?」
笑顔で答えると、白峰は若林にもそう指示を飛ばす。若林も素直に従い舞台袖からゆっくりと歩いてくる。バン、と板を踏み鳴らす音が響き渡った。若林が白峰の元まで到達すると、白峰はくるりと小屋の方を振り返った。
「どうです? 振動は伝わりますか」
「ああ」
「なるほど」
白峰は満足そうに頷いてから小さく笑った。
「これでひとまずは犯行の方法が分かりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます