8


 白峰が弾き出した結論は予想通りの筈なのに、いざ言われてみれば鈍器で頭を殴られるような衝撃だった。

 武田君が自殺とは、信じられないし、信じたくもない。

 けれど、彼の推理は辻褄が合っている。

 本当にそうだったのではないか? と判断するには充分するほどに。

 頭では分かっているつもりなのだが、心の何処かでそれを否定している。

「……あくまで可能性の話です。まだ確信はありませんから」

 白峰がこちらを見ながらそう補足した。

 どうやら気を遣わせてしまっているようだ。それが尚更申し訳ない。

「分かってます……大丈夫です」

 湊ははっきりとした口調でそう言っておいた。

 恐らく彼は私の内面まで見透かしているかもしれない。

「武田は自殺だった──だとすれば抵抗したような傷は何だと言うんだ?」

 近藤が白峰に向かってそう訊いた。

「そうですね……。武田さんは野球部ですから、怪我は日常茶飯事なのだと考える他ありませんね」

「なるほどな。では、自殺の原因は何だ?」

 近藤の問いかけに白峰は困ったように笑うと一言、

「それを調べるのが警察の仕事じゃないですか?」

 と言った。

 近藤はしまった、と言うように悔しげに眉間にしわを寄せると、若林に視線を移した。

「行くぞ若林! ぐずぐずするな」

「え、俺に八つ当たりっすか」

「やかましい! クビにするぞ!」

「無茶苦茶じゃないですか……」

 さっさと出て行ってしまった近藤の後を項垂れながら若林が付いて行った。

 何と言うか、若林が不憫だ。

 若い刑事さんに同情すると、湊はへたりとその場に座り込んだ。

 情報量が多すぎて頭がついていかない。眩暈を起こしたようにクラクラとしていた。

「大丈夫ですか?」

 白峰がすっと手を差し出してきた。

 湊はその手を掴むことなく、自分で立ち上がった。そして笑顔を作って「大丈夫です」と言った。

 そんな湊の様子を見て、白峰は少し俯いた。

「すみません、あなたにこんな事は聞きたくないのですが……」

 申し訳なさそうに白峰はそう切り出す。

「もしも武田さんが自殺だった場合、その理由に心当たりはありませんか?」

 恐らく本人には何の意図も無いだろう。

 純粋に、真実を知りたいから訊いているのだろう。

 けれどその質問は湊の胸を抉るような、鋭利な牙を持っていた。

「……分かりません」

「そうですか」

「でも、もしかしたら私のせいかもしれません」

 えっ、と白峰が顔を上げる。

「私が彼の事をフリ続けたから、彼は自殺したのかなって……思います」

 白峰の推理を聞きながらずっと考えていた事。

 もしかしたら、武田の好意に応えなかったから彼は自殺してしまったのではないか。

 もしそうなら、一番初めに近藤刑事の言っていた通り、私が彼を殺したのではないだろうか。

 目頭が熱くなってきた。

 この事件は、私のせいで起こってしまった。

 そんな事を考えてしまう。

「そんな事ありません」

 静かに、それでいて強い口調で白峰が否定した。

「一ノ瀬さんは何も悪くないですよ」

 初めて名前を呼ばれた。

 不思議だ。彼は男性なのに、あまり恐怖心を抱かない。どうしてなのだろう。

 胸が温かくなり、瞳から涙が零れた。

 一度流れてしまえば、それは止まる事を知らずにどんどんと溢れ出てくる。

 湊はそのまま声を上げて子供のように泣きじゃくった。




「あの、ごめんなさい。みっともない姿をお見せして……」

 数分後、我に返った湊は顔を真っ赤にしてそう呟いた。

 冷静に考えてみれば、今日会ったばかりの男性の前で大泣きしてしまったのだ。

 死ぬほど恥ずかしいし、気まずい。

 穴があったら入りたいという気持ちがよく分かる。

「いえ。大丈夫ですよ」

 白峰も苦笑いでそう返してくれた。

 どうやら気まずい気持ちはお互い様らしい。

 とにかく、一度泣いて頭はスッキリした。

 湊は自分の頬を両手で叩くと、「よしっ」と気合を入れた。

「そう言えば、一つ思い出した事があるんです」

 湊はそう切り出した。

 泣いてる時にふと思い出した。

 武田が自殺ではないと断定した一番最初の根拠。

「武田君は今日、図書館で三冊の本を借りていたんです。これから自殺する人がそんな事しますか?」

「三冊の本?」

 白峰が表情を引き締めて訊き返してきた。

「はい。武田君が転落する十五分くらい前に、図書館で話して...。その時、赤と、緑と、黒の背表紙の本を抱えていたんです」

「その本を返却しに来たのではないですか?」

「いえ。受付の女性に尋ねたら今日貸し出したと言ってました。間違いありません」

 湊が言うと、白峰はぶつぶつと何かを呟いながら俯いた。

 時折「違う」や「そうじゃない」という声が聞こえる。

 やがて、白峰はゆっくりと顔を上げた。

「屋上へと行きましょう。それと、野球部の部室? というか拠点というか、野球部が集まる部屋が何処にあるか知りませんか?」

 白峰が早口でそう告げる。

 もしかしたら、三冊の本は何かのヒントになったのだろうか。

「何か分かったんですか?」

 期待を込めて湊は訊いたが白峰は首を横に振った。

「いえ。何も分からないから調べるんです」

「え? でも、今は警察が封鎖してるかもしれませんよ?」

「大丈夫ですよ」

 白峰はくすりと笑うと指を立てた。

「近藤さんの許可を得た、と言えば何とかなる筈です」

 さらっとそう言う白峰に、湊は引き攣った笑顔を返した。

 あぁ、この後が怖い。

 この先の展開を予知した湊には白峰の提案に素直に頷くことは出来なかった。





 図書館の屋上は案の定警察によって封鎖されていた。

 三階のAVコーナーを抜けた先にある螺旋階段を上ると屋上への入り口があるのだが、その前には仏頂面の警官が立っていた。

 屋内から屋上へ入れる入り口はここだけだ。

 後は屋外、武田が転落した花壇とは反対側に古びた鉄の非常階段があるだけだ。

 恐らくそっちも封鎖されているに違いない。

「ほら、やっぱり無理ですよ」

 小声で湊は囁いたが、白峰は何も言わずに警官の元へと向かう。

「……ん? 君も屋上に何か用かい? 駄目だよ。今封鎖してるんだ」

 仏頂面の警官は白峰を視覚に捉えると、意図が分かったのかすぐに拒否した。

 君も、という事は既に何人かの野次馬が押しかけていたようだ。

 これでは屋上へ上がるのは不可能だと諦めてもらいたいが。

「そこを何とか入れていただきたいのですが……」

 申し訳なさそうに白峰が頭を下げながら頼み込む。

 だが、仏頂面は崩れてはくれなかった。

「悪いが通す事は出来ないね」

「そうですか。近藤さんは良いと言ってくれたんですけどね」

「……近藤さんが?」

 ぼそりと呟いた白峰の言葉に仏頂面は微かに困惑の色を見せた。

 あぁ、あの人平然と嘘を吐いてるよ。

「ちょっと待っててくれるかい? 近藤さんに確認を取ってみるから……」

「そんな事よりも、重大な事がありますよ」

 仏頂面は少し悩んでから、安全策である近藤へ連絡を取ろうとしたが、それを白峰が阻止する。

 嘘がバレたらかなり面倒な事になるだろう。それこそ屋上へ入れてもらえなくなる。作戦は全く効果が無かったようだ。

「もしも僕を入れてくれたら、この事件は解決に大きく前進すると思いますよ?」

「……は?」

 今度こそ、仏頂面はその原型を忘れ、困惑を通り越し理解不能と表情を作り変えた。

「この件は自殺だよ。解決も何も」

「自殺で解決なら入れてくれても良いと思いますが、あなたはここを封鎖したまま。つまり完全に自殺と判断は出来ていない。と言う事はまだ未解決と言うことですね。でも安心してください。僕が入れば事件は解決目前まで辿り着けるはずです」

 早口でそう捲し立てると呆然と立ち尽くす警官をすり抜けて、白峰は屋上の扉を開けた。

 その瞬間、湿気を含んだ風が待ち望んでいたかのように一気に吹き込んでくる。

 一緒に舞い込んできた雨に降られて警官はハッとして取り押さえようとするが、既に白峰は屋上を歩き回っていた。

 人畜無害そうな印象のくせになかなか人を翻弄するタイプらしい。

 人は見かけによらないとはよく言ったものだ。

 湊は呆れたように笑って、開かれた屋上の扉を通り過ぎた。

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