12


「なるほど。鋭い推理ですね」

 犯人と言われた筈なのに、白峰はクスクスと笑い出した。

「まさか探偵役が犯人だったとはな。とんでもないどんでん返しだ」

 近藤は笑みを浮かべる事なく無表情でそう告げると、白峰の左腕を掴んだ。

「残念だが、ここまでだ。後は署で話を聞こう」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 湊は慌てて二人の間に入った。

「白峰さんが武田君を殺したと言うんですか? ありえません」

「だが彼の推理が正しいとすれば、図書館の中で傘を持っていた彼の存在が一番怪しいと思わないか?」

 近藤にそう言われて、湊は口をつぐんだ。

 確かに、図書館の中で傘を持っていたのは白峰だけだ。それをそのまま白峰の推理に当てはめたら、彼が犯人であるという事になってしまう。

「……ですが、それだけでは僕が犯人であると証明出来ませんね」

 未だに口元に笑みを浮かべながら白峰はそう言った。

「何だと?」

 近藤がいぶかしげに白峰を睨みつける。

「僕は確かにあの時、傘を持っていました。けれどそれは屋上から持ってきた物ではない」

「犯人なら誰だってそう言うだろ」

「一ノ瀬さんが犯人ではないと証明したのと同じ理屈ですよ。思い出してください。あの時、僕が取り出した傘は?」

 あっ、と声を上げたのは湊だった。

 刑事二人の視線がこちらに移ってくるのを自覚して、いたたまれない気持ちになる。

 そうだった。確かあの時差し出された傘は使だった。

 屋上から持って来た物なら、あの傘には水滴が付いている筈だ。

「……乾いたんじゃないのか?」

 ぴくぴくと頬を痙攣させながら、近藤は絞り出すように言った。

「確かに撥水性の高い傘ならそれもありえますが、僕が取り出したのはただのビニール傘です。知っての通り撥水性は高くない。つまりそんな短時間では乾きません。よって僕は屋上へは行ってない。あの傘は推理の為に、入り口の傘立てから拝借した物です」

「……窃盗だな」

「ちゃんとお返ししましたよ。拝借ですから」

「……だが、水滴を拭いたという可能性もあるだろ?」

「確かにそれもありえるかもしれませんね。しかし、もう一つ確実に否定出来ます。今話した通り、犯人は犯行後、武田さんのスパイクを履いている筈です。僕の靴はどうでしょうかね」

 白峰がわざとらしく靴を見せびらかす。

 それは誰が見ても一目瞭然で、野球部のスパイクなどではなく、白いスニーカーだった。

 ちっ、と大きく舌打ちして近藤は再び席についた。

「では、改めまして」と白峰が手を叩く。

 それだけで場の空気が変わる。完全に白峰がこの場を支配していた。

「というわけで、犯人は非常階段を使って逃げた、と考えられます。その際、周りの目を誤魔化すように武田さんの傘をさして、武田さんの持っていた三冊の本を抱えて、武田さんの靴を履いて図書館から離れていった。──さて、ここで一つ疑問が出てきませんか?」

 教師のような口調で白峰は皆に問いかけた。

 疑問? そんなもの今更出てくるものなのだろうか。

 湊も考えてみるが、何も出てこなかった。

「何が疑問なんだ?」

 早々に考えることを放棄した近藤が白峰に直接問う。

「……犯人が持ち去った三冊の本はちゃんと武田さんのロッカーの中にありました。変じゃありませんか?」

「何が変なんだ。別に普通の事だろう?」

「じゃあ少し言い方を変えます。──?」

 再び場が凍りついたように静まり返った。

 もはや声も上げられない。

 単純過ぎるが故に見落としていた。

 白峰は固まってしまった三人をそれぞれ一瞥すると、ホワイトボードの方へ振り返った。

「少し考えてみましょうか。犯人が何故武田さんのロッカーの場所を知っていたのか。可能性はいくつかあります。──例えば、野球部の誰かにロッカーの場所を訊いたという可能性。しかし、これはあまりにも無謀過ぎますね。その直後に武田さんが亡くなったと知れば、その人は確実に犯人を疑う筈ですから」

 ホワイトボードには『犯人は何故、武田さんのロッカーの場所を知っていたのか』とタイトルが書かれて、白峰はその横に『野球部に直接訊いた』と書き足しては、その下にバツを付けた。

「では、どうやって犯人は武田さんのロッカーの場所を知る事が出来たのか──? 直感で入れた場所がたまたま武田さんのロッカーだった? いえ、そんな偶然は信じ難いですね。そんな偶然に頼るくらいなら、図書館の本棚に戻す方が確実ですから。となると、犯人は前もって武田さんのロッカーの位置を知っていたと考えるべきでしょう」

「前もって?」

「そうです。それが犯人の第二の条件になるんです」

 得意げに白峰はそう言うと、ボードに『第二の条件』と書き足した。

──この行動が、既に犯人の条件を明らかにしていますね」

「えっ」

 湊は驚きの声を上げる。

 それだけで犯人が更に絞り込めると言うのか。

「しかし、それだけなら誰でも出来そうな気がしますけど」

 若林も困惑気味にそう言うと、

「誰でも? それは無理ですね」

 と白峰は否定した。

「どうしてそう言い切れるんですか?」

 若林が眉をひそめる。

 白峰はそんな若林の手帳を指差した。

「簡単ですよ。その時間、部室には誰かいた筈ですよね?」

「……あっ!」

 若林が慌ただしく手帳をめくり、手を止めた。

。それは裏も取れているのでしょう? その二人に気付かれずに部室に侵入し、ロッカーに物を入れるなんて無理だと思いませんか?」

 若林が青い顔で手帳に視線を落としていた。

「それでは、ロッカーに本を入れるなんて芸当は誰にも不可能じゃないか。君の推理は破綻したな」

 近藤は嫌味ったらしくそう言い放つと、白峰は小さく笑った。

「いえ、それが条件を満たせば出来てしまうんですよ。それが第二の条件です」

「……何だと?」

「さて、もう少しです。もう少しだけ考えてみてください」

 白峰がこの場にいる全員を見回してから静かに言った。

「犯人は武田さんを突き落とした後、武田さんのスパイクを履いて、三冊の本を抱え、武田さんの傘をさして部室へ向かいました。そして武田さんのロッカーに三冊の本を入れた。この流れで恐らく正しい筈です。しかし、部室には的場さんと顧問の先生が練習メニューについて話し合っていました。普通の人なら入った時点で気付かれて終わりです。──が、犯人はその二人の目を何食わぬ顔ですり抜けたのです。しかもその時、犯人は武田さんのスパイクを履いていたにも関わらず。不思議ですね。犯人は透明人間なのでしょうか?……いえ、そんな馬鹿げた話ではありません。もっと、単純で、合理的な答えがありました」

 白峰はそこで一旦区切ると、ホワイトボードにペンを走らせた。

「犯人は、日常的に武田さんのロッカーの場所を知り得る事が出来て、武田さんのスパイクを履いていても周りから特に気にされる事なく、的場さんと顧問の先生のいる部室に入っても何も言われない人物──当てはまるのはどういう人でしょうか?」

「……か」

 近藤が愕然とした面持ちで呟いた。

 白峰はそれに大きく頷く。

「そうです。野球部の人間なら、それが実行出来る」

 ボードの『第二の条件』の所に『』と書き足されていた。

 これで犯人を特定する為の二つの条件が出た。

「……もう賢明な皆さんならお気付きでしょう。この二つの条件に当てはまるのが一人だけいらっしゃいましたからね」

 白峰は淡々と結論を語り始める。

「──その人物は、屋上へ武田さんを呼び出して、図書館の中から屋上へ上がり、恐らくですが、口論となり、カッとなって武田さんの頭部を殴り気を失わせた。抵抗したような傷もこの時に出来たのでしょう。その後、靴を武田さんと履き替えて、屋上から突き落とすと、武田さんの持っていた傘と三冊の本を抱え非常階段から逃げた。そして部室の武田さんのロッカーの中に三冊の本を入れた後、雨に濡れた体を不自然に思わせない為に一芝居打つ事にしました。武田さんの死に動揺して、傘も持たずに遺体の側に駆け寄ったのです。これで衆人環視の中で堂々と雨に濡れる事が出来た──という事です。その人物は、自らと証言していました。この事から犯行はその人物によるものだと断言出来ます」

 キュッとペン先が滑る音が響いた。

 ホワイトボードにその人物の名前が書かれていく。

「──この人が、今回の事件の犯人です」

 黒いペンに蓋をして、白峰が長い推理の結論を提示した。

 誰も言葉を発しなかった。誰もがその答えに納得をしたからだろう。

 そのホワイトボードには、『佐々部大樹』という名前が、孤立するように左端の方に素っ気なく書かれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る