13


 湊が白峰と再び顔を合わせたのは事件から三日後の事だった。

 その日はちょうど梅雨明けを宣言され、茹だるような暑さが容赦なく学生に襲いかかってくる。

 その暑さから逃れるべく訪れた図書館に彼はいた。

 二階の一番奥の席に一人、静かに文庫本を開いていた。

「あっ、白峰さん」

 湊はその姿に声をかけると、ゆっくりと白峰は顔を上げた。

 白い髪の毛が相変わらず顔の上半分を隠してしまっている。

「あぁ、一ノ瀬さん。奇遇ですね」

 白峰は微笑を浮かべて、軽く頭を下げた。

 湊は白峰の元へと駆け寄る。

「こんな所で何してるんですか?」

 湊がそう尋ねると、白峰は可笑しそうにクスッと笑う。

「これが本を読んでいる以外に見えるのなら教えて欲しいですね」

「ですよね」

 我ながら浅はかな質問だったと反省する。

「そういえば、事件の方はどうなったんですかね?」

 湊は白峰の隣の席に座ると、別の質問を投げかけた。

「佐々部さんは素直に自供しているらしいですよ。動機は武田さんが野球部を辞めようとしていたらしくて、それを引き留めようとして言い合いになって……という事らしいです」

 僅かに顔を俯かせて白峰は言った。

 何とも言えない事件の真相に、湊も顔をしかめた。

 殺す気は無かった──と言ってしまえばそれで全て完結してしまう。

 だが、それで良いのだろうか。殺された方はいったい何を思うのだろう。

 やりきれないな、と湊はぼんやり思った。

「……って、どうしてそれを知ってるんです?」

 普通に流していたが、よくよく考えればおかしい。

 どうして彼は佐々部君の犯行動機などを知っているのだろうか。

「若林さんがご丁寧に連絡をくれたんです。何度もお礼を言われました」

「あぁ、なるほど」

 あの若い刑事はなかなか良い人なのかもしれない。

 そこで湊は一つ忘れている事を思い出した。

「あの、ありがとうございました。無理言って、事件解決していただいて」

 まだお礼を告げていなかった。元はと言えば私からお願いした事なのに、あまりにも失礼だ。

「別に気にしなくていいですよ。自分の為に解決した部分もありますから」

 軽く笑う彼の前髪が揺れる。

 ふと、屋上で見た彼の顔を思い出した。

 少女漫画の中に出てくる王子様のような、恐ろしいほど整った顔。

 けれど、それは大して気にはならなかった。

 それよりも、湊には気になる所があったのだ。

 あの時は事件の事が忙しくなり、後回しにしていたけど、今なら訊く事が出来る。

「……あ、あの、白峰さん」

 湊は控えめに口を開いた。

「何ですか?」

 白峰は顔を上げて、こちらを向いた。

「……えっと、その、た、武田君の持ってた三冊の本って一体どんな本だったんでしょうね?」

 口から出てきたのは全く別の質問だった。

 湊は後悔する。あぁ、私の意気地なし。

「あれ? お気付きではなかったのですか?」

 湊の葛藤かつとうを知らない白峰は意外そうに声を上げた。

「え? 白峰さんには分かるんですか?武田君の持ってた三冊の本が何なのか」

「はい。てっきり一ノ瀬さんも分かっていると思っていたのですが」

 そう言いながら、白峰は語り出す。

「本を特定するのは簡単でした。まずは三冊の本の特徴です。赤、緑、黒の三色の背表紙の本だった。これは間違いないですよね?」

「え、あっはい」

「さて、それがどんな本だったのか、僕はあなたの話を聞いてそれが何なのか分かりました」

「えっ⁉」

 私の話を聞いて? えーっと、白峰さんにどんな話をしたっけ?

 記憶を辿ってみるが、思い当たる節は無い。

「確かこの大学にはがありましたよね?」

「……あっ」

 湊はハッとした。

 そうだ。どうして今まで気付かなかったのか。

 あんなカラフルな背表紙の本なんて滅多にある物じゃない。そんな本はこの大学でしか存在しない。

 湊はチラッと一階の本棚に目を移した。

 受付カウンターのすぐ横に『凛海文芸大賞』という棚があった。

 そこにはジャンル別に赤や青などの多種の色の背表紙が並んでいた。

 白峰が頷く。

「そう、この大学内でのみ発行される文集です。あの文集は学生の書いた小説の中で優秀な作品がまとめられていますね。そして僕は気付きました。一ノ瀬さん、あなたの作品が載ったのはどのジャンルでしたっけ?」

 先日投げかけられたのと同じ質問に湊は戸惑う。

「えっと、ファンタジーとミステリー、あとホラー……」

 不意に湊は言葉を切った。

 ようやく、あの三冊の本の謎が解けたからだった。

。それがあの文集のジャンルの色分けです。つまり、武田さんは一ノ瀬さんの作品を読もうとしていたんだと思います」

 白峰は優しい口調でそう言った。

 今思い返してみれば、武田君は私が課題の小説を書いていると言うと、『それ文芸大賞に載るのか?』と言っていた。

 つまり、それ以外の作品がいくつか載っている事を知っていたのだ。

「そう、だったんだ」

 湊は武田の笑顔を思い出して泣きそうになった。

「湊ー! 此処にいたのかぁー!」

 不意に甲高い声が耳を突き抜けてきた。

 視線を向ければ、図書館の利用客の視線を独り占めしながらこちらに駆け寄ってくる真紀の姿があった。

「では、僕はこれで」

 白峰は流れるような動作で席を立ち上がると、近くの本棚に文庫本を戻し、離れていく。

「あ、あの!」

「あ、そうだ」

 引き留めようと声を出したのと同時に白峰は足を止めて、こちらに戻ってきた。

 そして一枚の紙を手渡された。

「それには僕の携帯の番号と、住んでる場所が書いてあります。また何かあれば、気軽にお声かけください。では」

 一方的に言い放つと、今度こそ白峰は踵を返し、図書館から出て行った。

 それと入れ違うように真紀が側に到達する。

「あれ?今の人ってあの探偵さん? あ、お邪魔だった?」

 どうやら真紀にも白峰の姿は認知されていたようで、悪戯な笑みを浮かべていた。

「そんなんじゃないよ。たまたま会っただけ」

 うんざりといった様子で湊は受け流すと、渡された紙に視線を落とした。

 そこには携帯電話の番号と思われる数字と一緒に『凛海荘 107号室』と書かれていた。

 凛海荘というのはこの大学の学生が多く住む男子寮である。

 湊は白峰の出て行った図書館の入り口に視線を移した。

「湊? 早くサークル行こうよ」

「あ……うん」

 急かすような真紀の声に湊は上の空で返した。

 ──彼に訊けなかった一つの疑問。あれは見間違いだったのだろうか。

 あの時、屋上で初めて見た彼の瞳。

 白峰の両目は、水晶のように透き通った透明の瞳だった。

 あの人は、いったい何者なんだろう。

 そんな思考をかき消すかのように外からは夏の始まりを告げる蝉の声が響いていた。

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