9
謎解きを終えて体育館には僅かばかりの沈黙が訪れた。湊はただポツリとその場に立ち尽くしたまま、余韻にも似た気だるさを感じていた。
まさか、あの雨の音にそんな効果があったなんて思いもしなかった。いや、それよりも真っ先にそこに着目した彼が凄いのか。とにかくこれで行き詰まっていた警察の捜査も一歩進むだろう。
しかし、犯行の方法の謎を見事解いた彼は近くの壁に寄りかかり何やら難しい顔で俯いていた。その理由については明らかになっている。
──犯人は一体誰なのか。彼はまだ、その答えを見つけられていないらしい。
「白峰さん。気分転換に少し外に出ませんか?」
湊は思い切ってそう提案した。いつまでもこの体育館の中にいては気が滅入ってしまいそうだ。近藤刑事も帰っていいと言っていたし大丈夫だろう。
白峰はやや億劫そうに顔を上げると、やがてうっすら笑みを浮かべて頷いた。
「そうですね。頭の中を整理したいし、少し歩きましょうか」
壁に預けていた体重を戻しながら白峰はそう言った。
ずっとカーテンに仕切られた体育館の中にいたからか、外に出ると太陽の光に目が眩んだ。そこまで長い時間は経ってないはずだが、随分と久し振りに光を浴びた気分になる。やはり陽の光とは良いもので鬱積していたものがすっと晴れていくような気がした。
湊たちは何となく本館の方へと歩いていく。来た時は聞こえていた学生たちの騒がしい声は今では全く聞こえずに閑散としていた。あんな事件が起きたのだから、流石に学園祭は中止になったのだろう。本館へ続く道に並んだ屋台や簡易ステージなどは片付けられる事なくそのまま残っている。けれど人の姿はどこにも見えない。まるで自分達だけがこの世界に取り残されてしまったかのような空虚感が胸に突き刺さった。
「……一ノ瀬さん」
不意に白峰が名前を呼んだ。視線を向けると彼は少し俯き加減でその表情ははっきり見えない。
「何ですか?」
湊が聞き返すと白峰は躊躇う素振りを見せながら顔を上げた。
「先ほど嶋さんが言っていた……その、襲われそうになったって」
あぁ、その事か。
苦笑いを浮かべて湊は頷いた。
「はい。高校生の時ですけど」
「……何があったか教えてもらってもいいですか?」
それが事件解決の為なのか、それとも個人的な興味なのかは定かではないが、控えめな口調で白峰が訊いてきた。言ってしまえばあまり語りたくない事だが、湊は明るく笑ってみせた。
「……いいですよ。少し長くなるかもしれないですけど」
そう前置きすると白峰は「ちゃんと聞きます」と優しく笑った。何故だかそれを見てホッとする。
「……あれは高校の卒業式の日の出来事でした──」
目を閉じて、湊は過去の出来事、そして今日この大学へ訪れるに至るまでの流れの詳細を語り始めた。
「……そうでしたか」
話を聞かせ終えると、白峰は沈痛な面持ちで呟いた。それから深々と頭を下げる。
「すみません。そんな過去を抱えているとは知らずに、僕は……」
「いや、いいんです! 気にしないで頭を上げてください」
彼が頭を下げる理由なんて存在しないはずだ。湊は慌ててそう返すと、白峰は仕方なくと言った感じで頭を上げた。
「そんな事より、犯人は一体誰なんでしょうか?」
このまま重苦しい雰囲気を保たれるのは、きっかけを作ったこちらとしてはあまり好ましくないので、湊は強引に話を変えた。
白峰もその意図を汲み取ってくれたのか、表情を変えて話を合わせてくれた。
「現時点ではまだ何とも言えませんね。犯行の方法もその他のいくつかの条件も明らかにはなっているのに、それら全てに当てはまる人が存在しないのです。もしかしたらまだ条件が足りないのかもしれません」
少し顔を伏せてポツポツと彼は話す。確かに今回の事件には不可解な点が多すぎる。まずは容疑者である劇の参加者全員、事件が起きた時刻は一人ではなかった。必ず誰かと一緒にいたのだ。単独犯の仕業だとすればこの時点でほぼ不可能という事になる。もしも複数犯だとすれば犯行は可能になるが、今度は容疑者を絞り込む事が難しい。
先ほど彼の提示した犯行方法は誰にでも実行が可能なものだった。あの時ステージの近くにいた人物なら誰だって土屋辰巳を殺す事が出来たのだから。
単純に見えてかなり複雑な事件のように思えた。
「もしかしたら外部の人の犯行かも」
ふと頭に浮かんだものを湊は呟く。劇の参加者の中にいないのだとしたら、もしかしたら観客の中にいたのかもしれない。
突発的なものにしてはなかなか良い考えだと思ったが白峰は首を振った。
「それは無いと思います。今回の犯行の鍵は“雨の音が足音を消す”という事を事前に知っている必要があるんです。でなければ、あらかじめナイフを用意しておくなんて出来ないし、そもそもステージ上で殺害するなんて方法は選ばない筈だからです」
なるほど、と思った。確かにその通りだ。雨の音の効果を知らなければ、あの大きな音の鳴るベニヤ板の上での犯行は選ばない。当然だ、音を立てればバレる危険が高くなるし、何より観客が多い。いくらなんでもリスクが高いだろう。しかし、そう考えると更に謎が増える。
「あれ? でも劇の参加者の皆さんも雨の音の効果は聞かされていなかったんですよね?」
湊が訊くと白峰は大きく頷いた。
「そうです。土屋さんは雨の音を使う事にこだわっていましたがその効果については公言しなかった。誰かが嘘をついているという可能性もゼロではありませんが、土屋さんから今朝、参加者全員の前で雨の音を使いたいと言ったそうです。十人近い人の証言もあるし、それは確かな事なのでしょう。彼はマスキング効果について劇の参加者には語らなかったのです。一人を除いて」
ピリッと張り詰めた緊張感が頬を撫でる。一人を除いて、と言うことは、その一人は犯人である可能性が高い。でも、一体誰が。
「……渡邊さんです」
白峰は湊の思考を先回りしたように答えを出した。
「渡邊さんだけはマスキング効果について断片的にでも土屋さんから聞かされていたはずです。なぜなら彼は土屋さんから“マスクがどうのこうの”という話を聞いているから。その点だけで考えれば犯人は渡邊さん以外にはありえない」
そう断言する白峰の表情はなぜか暗かった。
「ですが、その他の条件には当てはまらない。よって渡邊さんは犯人ではない。他の劇参加者たちもそんな感じで誰一人犯人とは言えないのです」
正直お手上げです、と白峰は苦笑した。
重苦しい沈黙が訪れる。会話も目的も無いままただ大学内を歩き回る。時折、遠くで学生たちの声が聞こえてきて、少しだけ安堵した。
「私も一つ、訊いていいですか?」
沈黙が辛かったからなのかどうかは自分でも分からないが、気付いた時にはそう声を発していた。
「どうぞ」と白峰が促してくる。
「白峰さんって高校生の時、どんな感じでした?」
我ながら浅はかな質問だと思った。白峰も苦笑いを浮かべる。
「高校生の時は……静かでしたね」
それでも彼はきちんと答えてくれた。
「静か?」
「はい。あまり他人と関わらなかったですね。休み時間もずっと本を読んでたし、部活動もしてなかったので」
湊の頭の中で、教室の片隅で読書をする白峰の姿がすぐに浮かびあがる。けれど、廊下とかを駆け回る姿は全く想像出来ない。
「確かにそんな感じしますね」
「そうですか?」
湊が同意を示せば、白峰は困ったように笑った。その表情がなぜだかとても哀しげに見えた。
「あ、電話来てる……」
どれくらい歩いていただろうか。ふとスマホを取り出すと画面には不在着信の通知が届いていた。どうやら真紀から電話が数分前に来ていたらしい。
「折り返してもいいですか?」一言、白峰に伝えて湊は真紀へ電話をかけると、ワンコールで繋がった。
『もしもし湊〜? 今どこにいるの?』
真紀の声は喧騒に包まれていて少し聞き取りづらかった。多分、外にいるのだろう。
「まだ大学にいるよ。真紀は?」
『マジか。私もう駅にいるんだよねぇ』
「あ、そうなの? じゃあ私ももう少ししたらそっち向かうね」
『りょーかい。あ、そうそう。そっちで眼帯の人に会った?』
唐突に変わった話題に湊は首を傾げる。眼帯の人? 一体何の話だろうか。
「そんな人に会ってないけど……誰の事?」
『え? 昨日、私に政州大学で学園祭があるって教えてくれた男の人なんだけど、なんか湊の事知ってるっぽかったからてっきり知り合いなのかと思って。今日の学園祭に来るって言ってたし』
眼帯をした知り合いなんていただろうか。記憶を辿ってみて、そもそも男の友達がいないことに気付いた。
「眼帯云々よりも、そもそも男友達がいないよ」
『あーそっか。んーじゃあ湊のファンかもねー。モテモテですなぁ』
「……もしかして喧嘩売ってる?」
『何で⁉』
全くこの子は。
大きなため息を零すと、湊は「じゃあそっちに向かうから」と告げて通話を終えた。
「お待たせしました」と白峰の元に戻ると、白峰は顎に手を当てて俯いていた。ぼそぼそと何かを呟いているのも聞こえてくるが何を言っているのかはっきりとは聞き取れない。唯一聞き取れたのはうわごとのように呟かれていた「……違う……違う」という言葉だけだった。
「何か分かったんですか?」
湊が声をかけるが、白峰は推理に集中して聞こえていないのか無反応だった。やがて白峰はふらっと辺りを歩き回り始めた。俯いてぼそぼそと何かを呟きながら歩き回る姿は、側から見たらヤバイ人に映るかもしれない。
「白峰さん? 大丈夫ですか?」
「足りない……何か……あとひと押し」
やはり聞こえてない。だが、このままの白峰を放置しておくわけにもいかない。真紀には悪いがもう少し待っててもらおう。
「白峰さんっ!」
湊が声を張り上げてもう一度名前を呼ぶと、彼は弾かれたように顔を上げた。それからしばらくこちらをじっとこちらを見つめる。少しだけ乱れた前髪の隙間からうっすらと透明な瞳が見えた。焦点はこちらを向いてはおらず、その瞳はどこか遠くを見据えていた。
「白峰さん……大丈夫ですか?」
改めて声をかける。そうするとゆっくり彼の瞳がこちらを捉え始めた。
「……一ノ瀬さん」
乾いた声で白峰が名前を呼ぶ。
「どうかしましたか?」
「一つだけ確認させてください。一ノ瀬さんは今日、佐野さんに誘われてここへ来ましたか?」
「はい、そうですけど……」
「あ、すみません。もう一つだけ、佐野さんは誰かに言われてここへ来ましたか?」
「え? は、はい。眼帯の人に言われたって」
「……そうですか」
白峰は顎に手を添えて何度か確かめるようにぶつぶつと呟いてから小さく頷く。
「……透明になった」
「えっ?」
「もう一つあったんだ。そして、あの人なら全ての条件に当てはまる」
噛みしめるように白峰が呟く。
透明になった? と言うことは全て分かったという事か? でも、どうして急に?
意味を上手く汲み取れずに混乱する湊を置いて、白峰は携帯電話を取り出してどこかに電話をかける。
「近藤さん。犯人が分かりました」
電話が繋がった直後、開口一番に白峰はそう言い切った。電話の向こうで呆気にとられる近藤の顔が思い浮かぶ。
「それで、近藤さんに頼みたい事があります」
続けて白峰は切羽詰まったようにそう口にした。
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