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「どういう事か説明してもらいたいんだが」

 政州大学の正門の前で待っていると、一台の車が目の前で停まった。それから助手席の窓が開いて不機嫌そうな近藤が冒頭の言葉を吐き出す。

「いきなり車を用意しろだなんて。警察はタクシーじゃないんだが」

「それについては申し訳ないと思ってますよ。しかし時間に余裕も無いので、まぁ許してください。ところで聞き込みの方は?」

「大した進展は無かったから、劇の参加者は一旦全員解放した」

「そうですか。分かりました」

 近藤の文句を流すように謝罪を口にした白峰はそのまま当然のように後部座席へと乗り込んだ。つられるように湊もその後を追って乗り込む。

「まぁ、細かい話は移動しながらにしましょう。若林さん、目的地は聞いてますね?」

 湊がドアを閉めると同時に白峰は運転席に座る若林に声をかける。

「は、はい。しかし、本当にあそこでいいのですか?」

「はい。多分、大丈夫です」

「……分かりました」

 納得してなさそうに若林が頷き、車が動き出す。一体どこへ向かうつもりなのか。

「それで、犯人が分かったというのは本当か?」

「はい。単純過ぎるが故に見落としていたものに気付けましたから」

 近藤の問いに自信ありげに答える白峰は窓の外へ視線を向けていた。

「誰が犯人だったんだ?」

 再び近藤が問いかけると、白峰は窓から視線をこちらへ戻して小さく笑う。

「そうですね。目的地に着くまではまだ時間がありますし、少しお話ししましょうか」

 こうして、白峰による事件の謎解きは車の中で始まった。





「まずは一から状況を整理していきましょう」

 白峰は一度、手を叩いてからそう切り出した。

「政州大学の体育館では学園祭の出し物として、学生たちによる劇が行われていました。事件が起きたのはその最中。二回目の場面転換の時、主役を演じていた土屋辰巳さんがステージの上で何者かにナイフで刺され亡くなりました。その時、体育館には劇を観に来た百人以上の観客、そして同じ劇に出演していた学生たちがいました。それだけの監視の中、犯人はステージ上に立つ土屋さんを殺害する事に成功したのです」

 そこで一旦区切ると、白峰は周囲を見渡すように目線を動かしていく。それから湊に焦点を合わせて、

「これが大まかな事件の流れで合っていますか?」

 と確認する。

「はい。その通りです」湊は頷く。

「では、次に犯行の手口について考えていきましょう。これは先ほどもお話ししましたが、土屋さんが殺されたのは劇中で、二回目の場面転換の時でした。ステージの上には汚れるのを防ぐ為のベニヤ板が敷かれていて、少しでも歩けば足音が響いてしまう状態。そんな状況にもかかわらず、犯人はステージ上の土屋さんを刺した。一体どうやって犯行を成し遂げたのか?」

「雨の音、だろ」

 近藤が耐えかねたように言うと、白峰は小さく笑った。

「そうです。今回の事件の鍵となるのはその雨の音です。

 場面転換の際には大きな雨の音が流れていました。雨の音を採用したのは土屋さんで、その意図は場面転換の時の足音を消すためであると考えられます。マスキング効果と言って、二つの音が同時に流れた時に一方の音がもう一方の音を搔き消す現象の事です。その効果を利用して、犯人は土屋さんを殺害した。ここまでは大丈夫ですか?」

 ここまでは既に彼から聞いた話だ。湊たちは頷く。

「さて、犯行方法も明らかになりましたので、次は犯人を絞り込んでいきましょう。現時点で犯行が可能だったと考えられるのは、同じ劇の参加者、そして体育館の中にいた観客の皆さんも容疑者だと言えるでしょうね。なので、百人以上の容疑者がいるわけです。これでは流石に多いので、十数人まで減らす事にします」

「そんな簡単に減らせるのか?」

 近藤が訊くと、白峰は得意げに「はい」と返した。

「簡単です。まずは土屋さんが刺されたナイフについて考えます。

 近藤さん、犯行に使われたナイフは何か特別な物だったりしましたか?」

「いや。どこにでも売ってるような普通のナイフだ」

 近藤が質問に答えると、白峰は満足そうに頷いた。

「そうですね。土屋さんを刺したナイフはどこにでも売ってるような何の変哲もない普通のナイフです。手に入れようと思えば誰にだって手に入れることは出来るでしょう。では、何故犯人はナイフを持っていたのでしょう?」

「そんなの、土屋辰巳を殺す為に決まってる」

「その通りです。土屋さんを殺害する為に、犯人は事前にそのナイフを隠し持っていた、と考えられます。つまり、犯人は突発的ではなく、計画的に土屋さんを殺害しようとしていた、という事になります。ですが、そう考えると今回の犯行は不自然だと思いませんか?」

 白峰の言葉に湊は首を傾げる。何がどう不自然なのだろうか。

「何か不自然なところがあるのか? 事前にナイフを持ち込んで、ステージの上の土屋を刺した。それだけだろう?」

 近藤が言うと、白峰は一つ指を立てた。

「どうしてステージの上なんですか?」

「何?」

「ステージの上は大勢の観客や劇に参加している学生の視線もあり見られる可能性が高い。更に言えば、ステージにはベニヤの板が敷かれていたんです。普通に考えればそこで犯行に及ぶのは考えにくい。予め殺害を予定していたのなら、もっと確実に殺せる場所を選ぶべきでしょう?」

 白峰の反論を近藤は小馬鹿にしたように鼻で笑う。

「それはさっき君自身が言っただろう。雨の音が足音を掻き消すマスキング効果を利用して犯行を行った、と。誰にも気付かれないと分かっていたからステージの上で犯行に及んだんだ」

「……ではお訊きしますが、使? 

 近藤の口から「あっ」と声が漏れて、その口は半開きのまま固まった。今思えば確かに変だ。どうして犯人は雨の音が使われると知っていたのだろうか。しかも、犯人は雨の音が足音を掻き消すという事も知っていたのだ。

「土屋さんが雨の音を使いたいと言ったのは本番の前日、リハーサルを終えた後のことです。劇の参加者だって当日の朝まで知らされていなかったのに、どうして犯人はそれを犯行に利用する事が出来たのか? 考えられる可能性はただ一つ、使です。更に言えば、犯人は二度目の場面展開の時に土屋さんが一人になる事を知っていたという事になりますね。これが犯人の第一の条件になりますね」

 白峰はそう言い切ると、ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出して、そこに『条件一、事前に雨の音が使われると知っていた人物』と書き、その横に小さく(劇全体の大まかな流れを知る人物)と注釈を付けてから、そのページを破って近藤に手渡した。

「さて、これで一つの条件が出ました。この条件に当てはまるのは、劇の参加者ですね。渡邊さんは前日に、そのほかの皆さんも今朝には聞かされていました。なので犯行は可能だったと思われます。そして雨の音の事なんて知る由も無い観客の人たちは全員、容疑者から外れます」

 白峰の言った通り、百人以上いた容疑者は、たった一つの条件によってたった十数人にまで減少した。だが、問題はここからである。残った十数人は皆、劇の参加者だ。白峰はつい先ほどまで、その参加者の中から犯人を見つける事に苦戦していたのだ。本当に解き明かす事が出来たのだろうか。

「では、次に行きましょう。第二の条件は、二つの証言によって明らかになっています」

 白峰はそう言うと、やや挑戦的に口元を緩めて近藤を見た。近藤は嫌そうに眉を顰めて、

「もったいぶらずに早く言ってくれ」

 と言った。

「分かりました、ではお教えましょうか。第二の条件を明らかにする二つの証言とは、佐伯さんと田代さんの証言です」

 湊は記憶を手繰り寄せる。小人役の佐伯さんとお姫様役の田代さん、ステージの上と控え室、別々の場所にいたこの二人に何か共通の証言はあっただろうか。

「その二人に何か共通点はあったか?」

 近藤が訊くと白峰は大きく頷いた。

「あります。それは人影を見た、という証言です」

 そういえば、と湊は思い出した。

 確かに二人とも、人影を見たと言っていた。佐伯華はステージの上を横切る影を、田代愛香は控え室の扉の前を通る人影を見たと言っていたのだ。

「それがどうしたんだ? それだけじゃ犯人の特定は出来ない」

「確かにそうです。ですが、犯人ではない人の特定は出来ます」

 近藤の言葉に白峰は得意げにそう返すと、再びメモ帳に何かを書き込み始めた。

「佐伯さんと田代さんの証言に共通しているのは人影を見た事だけではありません。もう一つ、手がかりがあるんですよ」

「何だと?」

 近藤が眉を吊り上げた。そして、先程から運転席に座る若林が、チラチラとこちらの様子を窺っている。出来れば前を見て安全運転を心掛けてほしいのだけれど。

「もう一つの手がかりとは、場所です」

 書き終えたのか、メモ帳に走らせていたペンを止めると、白峰は顔を上げて言った。

「場所?」

「はい。思い出してみてください。佐伯さんと田代さんが見た人影の動きを」

 近藤が少し考える素振りを見せる。そこで突如、横から声が割り込んできた。

「佐伯さんの証言では、人影は上手側から出て来て、そのあとすぐに上手へと帰って行った。そして、田代さんの証言は、控え室の扉の前を左から右に、そして右から左に、と二回通ったそうです」

 若林だった。彼が車内で喋ったのはこれが初ではないだろうか。若林の手には手帳が開かれていて、安全運転はどうしたんだと思ったら、車は赤信号で停止していた。

「その通りです」

 白峰が満足そうに頷く。

「では、その二つの証言で共通しているものは何でしょう?」

「共通しているものですか……あ、上手だ!」

 ハッとしたように目を見開いて若林が叫んだ。そのまま若林が後部座席の方を振り返るのと、後続の車にクラクションを鳴らされるのが同時だった。前を見ると、信号は青に変わっていた。若林は仕方なさそうに前に向き直り、車を発進させた。

「……話を続けましょうか」

 車内に流れる気まずい雰囲気を払拭するように若林が促す。白峰も苦笑いでそれに応えた。

「では改めまして。今、若林さんが言った通り佐伯さんと田代さんが証言した人影はどちらも上手の方で目撃されていました。佐伯さんは、上手側から人影が出て来て、上手へと帰って行ったと証言をして、田代さんは控え室の前を人影が二度通ったと言ってましたね。控え室があったのは上手の袖です。そして、この二つの証言によって人影の動きが明らかなります」

 白峰はそう言い切った。

「本当ですか?」

 前を向いたまま若林が問う。

「はい。二人の証言が同じ人影を対象にしての証言だとしたら辻褄が合います。田代さんが見た人影は左から右に、そしてその後、右から左へと歩いて行きました。そして佐伯さんが見たのは、上手からステージへ、その後にステージから上手へと戻って行った人影。ぴったり重なります」

 そう言われてみれば確かにそうだ。湊は感嘆の息を洩らす。色々な情報があり、混乱していた私とは違い、彼はその情報を一つ一つ組み合わせて黙々と解いていたのだ。相変わらずの推理力である。

「普通に考えれば、動いていた人影が犯人である可能性が高いです。そうなると、確実に犯人の候補から外せる人物が出てきます」

 白峰はメモ帳から二枚目の紙を破り近藤へと渡す。

「二つの証言から、犯人は上手側からステージへ進み、上手へと消えて行った。と言うことは、逆に下手にいた人たちは除外出来る。つまり、渡邊さんと飯塚さんと朝倉さんと真鍋さんは除外ですね」

 白峰はそこで一息ついた。近藤に渡ったメモ帳の切れ端には達筆な字で『条件二、上手側からステージへ移動出来た人物』と書かれていた。



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