11
目的地へ着く前に終わらせたいのか、白峰はいつもよりも少し早いテンポで二つの条件が明らかにした。ここまでかかった時間はおよそ十分くらいだろうか。それくらいの時間で、百名を超えていた容疑者は九名ほどにまで絞られている。だが、ここから更に絞り込む為の情報はあるのだろうか。少なくとも私には皆目見当もつかない。
「では、続いて第三の条件について考えていきましょう」
白峰は変わらず淡々と話を進めていく。
「第三の条件についても、先ほどの証言の中にヒントは隠されています。佐伯華さんの証言の中に」
白峰が言うと、近藤はあからさまに顔をしかめた。
「まだ何かあったか? 犯人らしき人物を目撃したという事だけじゃないのか?」
「そこが重要なんですよ」
近藤が疑問を口にすると、被せるように白峰は手を叩いた。
華がステージ上で犯人らしき人影が動くのを見た。それは確かに重要な事だ。だが、そこから導き出されたのは犯人は上手からステージへ移動出来た人物という事実だった筈だ。その他に何か明らかになる条件はあるのだろうか。
白峰は小さく息を吐いてから、再び推理を語り出す。
「佐伯さんはステージの上で犯人の人影を見たんです。そしてその時は場面転換の時でした。その状況の中で、どうして佐伯さんは人影を見る事が出来たのでしょう?」
「特に不思議な事ではないだろう。たまたまステージに目を向けて、人影を視界に捉えたんだ」
怪訝そうに近藤は言うが、白峰は首を横に振った。
「そんな事出来ますかね?」
「……なに?」
「思い出してください。佐伯さんが人影を見たのは場面転換の時なんですよ? 普通なら人影を見る事なんて出来なかった筈なんです」
湊はそこでハッとした。確かに、普通であればステージの上で人影を見るのは難しかったと思う。何故なら──
「場面転換の際、ステージの上は照明が落とされます。つまり、ステージ上は真っ暗だった筈なのです。そんな状況の中でどうやって人影を見れるのでしょう?」
湊の辿り着いた答えを白峰がその口で吐き出した。反論の為に開いたであろう近藤の口は、中途半端な状態で固まって動かなくなった。
「あの体育館の窓は、劇の最中には黒いカーテンによって閉め切られていて、外の光は全く入ってこなかった。その上でステージの照明が消えてしまえば、体育館は真っ暗になった筈です。だからこそ、観客の皆さんも犯行の瞬間を捉える事が出来なかったのですから。では、どうして佐伯さんは暗闇の中で犯人らしき人影を見る事が出来たのか? これが第三の条件を明らかにする鍵になります」
白峰は一旦そこで話を切った。それから、近藤と湊にそれぞれ答えを促すように口元に挑戦的な笑みを浮かべてみせた。
「……どうしてって、普通に目を凝らして見たんじゃないですか?」
運転している若林もしっかり耳だけで話を聞いていたらしい。こちらを見ずに自説を展開するが、白峰は小さく否定した。
「それは無いでしょう。もしそうなら、佐伯さんは最初からそのタイミングで人が通る、つまり殺人が起きると知っていたという事になります。あまり考えられないですよね」
「……そうですね」
何度か頷いて若林は自説を取り下げた。すると今度は近藤が口を開いた。
「いや、犯人と共犯だったならどうだ? そうすればどのタイミングで人が通るか分かるだろう?」
「なるほど。確かにそうですね。その可能性は否定しません」
やや意外そうに白峰は言ってから、「ですが」と続けた。
「その場合、佐伯さんはどうして人影を見たと証言したのでしょう?」
「どうしてって、別の犯人をでっち上げる為じゃないのか?」
「なるほど。しかし、そうなると疑われるのは佐伯さんと同じく人影を見たという田代さんになりますね。その二人だけが同じ人影を見ているのですから、その二人が共犯である可能性は高くなる。仮に、田代さんの証言が事実だとしても、佐伯さんから容疑が外れるとは限らない。つまり、別の犯人をでっち上げるという偽装はほぼ失敗という事になる。マスキング効果まで利用する犯人としては少し考えられない凡ミスですね。それなら最初から「何も見てない」と言った方が安全だった筈です」
「……そうかもしれないな」
近藤の意見も簡単に否定されてしまった。白峰はゆっくりとこちらに顔を向けた。順番的には次は私という事になる。だが、今の二つの説を否定された後では何も浮かんでこない。その他に考えられる可能性なんて私には到底思いつかないのだ。多分、私の表情から答えが出てこないと察したのだろう。白峰は微かに笑うと軽く手を叩いた。
「では少し考え方を変えていきましょう。ステージの上で、どうして“佐伯さんが人影を見れたのか”ではなくて、どうして“佐伯さんだけが人影を見れたのか”」
──確かに、冷静に考えてみれば不思議だ。
湊は今まで気付かなかったその事実に驚きを隠せなかった。そして、それを当たり前のように指摘する彼に慄きにも似た感情を抱いた。
どうして華にだけ人影が見えたのか。彼女の周りには他にも六人いた筈なのに。どうして彼女だけ人影を認識する事が出来たのだろうか。
「……佐伯華が、犯人だからじゃないのか?」
絞り出すように近藤は言うが、白峰は首を振った。
「その可能性はありますが、まだ断定するには早いですね。ひとまず、佐伯さんが人影を見れた理由を説明しましょう。佐伯さんだけが暗闇の中で動く人影を認識出来た理由は簡単です。彼女だけが行なっていた一つの行動があったからです」
頭に疑問符が浮かぶ。
華だけが行なった行動? そんなものあっただろうか。
「何かあったか?」
「えぇ。それはこれですよ」
近藤の問いに白峰は頷いてそう返したが、白峰は何もしなかった。しばらく沈黙が車内を満たす。やがて白峰は「あっ」と声を漏らした。
「すみません。僕がやっても分からないですよね」
照れたように白峰は笑い、両手で目の辺りを覆い隠した。
「僕は今、目を閉じたんです」
「目を閉じた?」
「あぁっ!」
若林が大きな声で叫んだ。限界まで瞼を開いて、前を見据えていた。側から見たらちょっと危ういかもしれない。
「若林さんは気付いたみたいですね。そうです。佐伯さんも目を閉じていたんです。観客の顔が見えると緊張すると言ってずっと。そして照明が消える場面転換の時に目を開けた。するとどうでしょう。瞼でずっと光を遮り、暗闇に慣れたその瞳は暗闇の中でも動く人影を捉える事が出来たのです。これが第三の条件です」
再びメモ帳にペンを走らせてそのページを破る。そこには、『条件三、暗闇に目が慣れていた人物』と書かれていた。
瞬く間に犯人を特定する三つの条件が提示された。
「ここまでが、つい先ほどまで僕が辿り着いていた三つの条件です。ですが、これだけではどうしても犯人を特定出来ませんでした」
不意に視線を足元へと落とし、嘆くような口調で白峰は言った。
「どれかの条件に当てはまったとしても、他の条件で除外される。何度考え直しても出てくる答えは変わらなかった。僕は完全に行き詰ってしまいました」
湊は困惑したように眉を下げた。犯人が分かったのではなかったのだろうか。近藤や若林も懐疑的な視線を彼に送る。しばらく沈黙が続き、近藤が何か言おうと口を開きかけたところで、「ですが」と白峰は言葉を繋いだ。
「一ノ瀬さんの話を聞いて、僕はふと気付いたのです。根本的な見落としをしていた、という事に」
「見落とし?」
私の話に何か変なところがあったのか、と不安を抱きながら湊が訊くと、白峰は大きく頷いた。
「はい。条件は三つではなかった。もう一つ、四つ目の条件が存在していたのです。そして、その条件を合わせると、全てに当てはまる人物が一人だけ現れるんです。つまりはその人が犯人という事です」
ようやく顔を上げた彼は、今度こそ言い切った。
「第四の条件? それは一体……」
湊が呟くと、白峰はゆったりとした動きでこちらへ顔を動かした。前髪の隙間からうっすらと彼の透明な瞳が見え隠れしている。真っ直ぐと射抜くような視線に湊は少したじろいだ。
「第四の条件……それはあなたですよ、一ノ瀬湊さん」
視線を外す事なく、白峰は静かに言った。
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