12


「えっ……」

 彼から告げられた条件に、湊は思わず絶句してしまった。まさか自分の名前が出てくるとは思いもしなかったからだ。何となく私が犯罪に関わっているのかもしれない、と言った不安が過る。いや、そんな事はない、と思う。

 近藤や若林から刺すような強い視線を感じる。若林さん、あなたはちゃんと前を向いてください。

「ずっと引っかかっていた事があるんです」

 白峰は混乱する私たちの事を気にする様子も無く話を続ける。

「どうしてあれだけの観客が見つめるステージの上で土屋さんを殺害する必要があったのか。普通ならもっとバレにくい場所を選ぶはずでしょう?」

「それについてはさっきも言ってただろう。雨の音が使われると知っていたから、ステージ上での犯行に及んだんだ。君自身がそう言ったんだろう」

 白峰の疑問に対して、近藤がため息混じりに返す。何を今更、同じ話を繰り返すな。そんな声が聞こえてきそうだ。

「確かにそうです。ですが、冷静に考えればおかしな点がいくつかあります」

 白峰は反論などお構いなしに、悠然とした態度を崩さなかった。

「おかしな点?」

「まずは、なぜ“雨の音”が使われたのか、という点です。単に足音を消すのであれば、雨の音である必要はない。劇にも合うもっと確実な音があったはずです。それなのに犯人は雨の音を使った。それは一体なぜ?」

「犯人って、雨の音を使うと言いだしたのは土屋辰巳だろ?」

「違います。犯人が土屋さんに雨の音を使わせたんです」

「……何だって?」

 近藤の声が裏返った。

「な、何でそう言い切れるんですか?」

 若林が問いかける。その指摘はもっともだ。どうして彼は犯人が雨の音を利用させたと断言出来るのか。

「簡単です。土屋さんが本番前日に変えると言いだしたからです」

 白峰は淀みなく答える。だが、こちらとしてはそれだけじゃ理解出来ない。

「もしも土屋さんがマスキング効果について知っていたのなら、もっと前から雨の音を使ってる筈です。それなのに雨の音を使うと言いだしたのは本番の前日、しかもリハーサルの後です。となると、誰かが土屋さんにマスキング効果について吹き込んだという可能性が一番高い」

「確かにそうかもしれませんね……」

「さて、次におかしいと感じたのは凶器のナイフをそのまま残したという点です。どうして犯人は凶器を持ち去らなかったのか」

 納得したように頷く若林を横目に、白峰は更に自説を展開していく。

「持ち去る時間が無かったんじゃないのか?」

 近藤が反論する。だが、白峰はゆっくり首を横に振った。

「土屋さんを複数回刺しているのだから、時間が無かったという事はないと思います。それなのに犯人はナイフを持ち去らなかった。何故なのでしょうか? それは持ち去る必要が無かった、現場に残しておく必要があったからです。つまり、犯人は意図的にナイフを残したのだと考えられます」

「な、何の為に?」

 湊が声を上げる。すると白峰はこちらを向いて、躊躇うような表情を浮かべた。

「……復讐だったんです。今回の事件は」

 それから白峰は悲痛な声で絞り出すように言った。

「えっ……」

「そう考えれば全ての辻褄が合うんです。ステージの上を殺害場所に選んだ理由も、雨の音を使わせた理由も、ナイフを残した理由も、復讐の為だと考えれば全て説明がつくのです」

「どういう意味なんだ?」

 近藤が助手席から後部座席の方まで体を乗り出して尋ねる。湊から視線を外して近藤の方へ向き直すと、白峰は静かに語りだした。

「……僕たちは大きな見落としをしていたんです。いや、本来なら最初から疑うべきだったんです。それなのに、今までの経験も相まって疑うべき点を見落としていた。過去最大の失態ですね」

「失態だと? 何の事だ」

 遺憾そうに眉をひそめて近藤が言う。確かに今まで行動を共にしてきた私にも、その失態が何なのかは全く想像がつかない。白峰さんは一体、何が失態だったと言うのだろうか。

「客観的に考えてください。そうすれば気付ける筈です。今回の事件の中で一番大きな違和感の正体に。ずっと見落としていたおかしな点に」

 いつになく強い口調だった。いつもどこか微かにでも感じていた柔和な雰囲気は、今の白峰からは感じられなかった。

「違和感? そんなものあったか?」

「い、いえ。思い当たる節は無いです」

 近藤と若林は揃って首を傾げる。そして湊も同じように頭を悩ませた。

 私は最初から最後まで現場にいたんだ。だから、私は彼の感じている違和感の正体に気付ける筈なのだ。だが、何度記憶を辿っても答えは出てこない。

「……では、僕から言いましょうか」

 白峰が耐えかねたように口を開いた。車内にいる皆が彼の言葉の続きを待つ。

「──?」

「……あっ」

 気の抜けた声が重なる。自分でさえも気にすることのなかった瑣末な疑問点。今まで彼と行動を共にしてきたからこそ気付く事の出来なかったその疑問点を彼は指摘した。

「かつて自分に襲いかかってきた相手が、強いトラウマを植えつけた相手が、憎しみを抱いてもおかしくはない相手が、自分の目の前で殺害される。普通に考えればこんな偶然はありえないと思いませんか?」

 白峰さんの言う事はもっともだと思う。その点に関しては自分でも少し疑問に抱いた。偶然が重なり過ぎていると感じた。だが、それに対して深く考えなかった。それは多分、心の何処かで安心してしまったからだ。土屋辰巳という男がいなくなったという事実に。

「今まで一ノ瀬さんと一緒に行動してたせいで、僕もこの点についてはほとんど何も気にしてませんでした。浅はかでしたね、反省します」

 白峰が俯き加減で、申し訳なさそうに呟く。それから小さく首を振り、顔を上げた。

「では、もう少し話を続けます。どうして一ノ瀬さんは殺害現場に偶然居合わせたのか? これについては本人から直接聞きましょう。一ノ瀬さん、あなたはどうして今日、あの殺害現場にいたのですか?」

 唐突に話を振られて湊は焦りながら答える。

「え、あ、えっと、それは、昨日、友人の真紀に誘われて、それで、たまたまチラシを見て、劇を観に行こうって言われて」

「はい。つまりはそういう事です」

 手を叩いて白峰は得意げに言った。

「え、どういう事ですか?」

 だが、こちらは全く思い当たらない。

「一ノ瀬さんは自らの意思であの劇を見に行ったのではありません。友人の佐野さんが先導していたのです。しかし、その佐野さんも誰かに政州大学の学園祭へ行ったらどうかと勧められたんです。これらの点を全て繋げると一つの線になります」

 白峰はそこで一息つく。それから真剣な声で答えを口にした。

「全ては、一ノ瀬さんをあの体育館へ招く為です。一ノ瀬さんの目の前で、土屋さんを殺害する事こそが、犯人の目的だったのです。雨の音を使った理由も、ナイフを残した理由も、そう考えれば全て説明がつきます。雨もナイフも、あの日の、一ノ瀬さんの記憶に残っている筈です。という事は、犯人は“一ノ瀬さんが過去に土屋さんに襲われた事実を知る人物である”と言えます」

 言葉を失う。

 そんな馬鹿な、と言えたら良かったのに。あまりの衝撃の大きさに、白峰の言葉の意味を理解するのに数十秒の時間を要した。確かに全てあの日の記憶の中に存在している。ノイズのように降り注ぐ雨も、あの人の胸元にチラついた鈍い光を纏うナイフも。だが、そんな人物に心当たりなんてない。

「い、一体誰が……」

 震える声で近藤が呟く。ちょうどそのタイミングで車が止まった。

「着きましたけど、本当にここで良かったのですか?」

 エンジンを切りながら若林が問いかける。白峰は緩く口元に笑みを浮かべると、後部座席の扉を開けた。

 白峰の目的地は古い木造のアパートだった。二階建てで、右端に錆だらけの階段が設置されている。こんな所に何の用があるというのか。

「もう一つ、話す事があります」

 階段を上りながら白峰は世間話をするように切り出した。

「佐野さんに学園祭へ行くよう勧めた人物は“眼帯”をしていたらしいのです。だから僕はその人物が犯人であると確信しました」

「何故だ?」

「第三の条件です。暗闇に目が慣れていた人物。眼帯があれば周りに疑念を抱かれる事なく目を慣れさせる事が可能でしょう?」

「なるほど、そういう事だったんですね」

 若林が手帳にメモしているうちに、白峰は立ち止まった。二階の一番左端の部屋。どうやらそこが目的の場所らしかった。

 扉を二回ほどノックする。するとすぐに扉は開き中から人が出てきた。その人の顔を見て、湊は目を大きく見開いた。

 少し明るめの茶髪、今時の容姿で、人に好かれそうな愛想のいい笑み。そして左目を隠す白い眼帯。湊の知る人物だった。

「初めまして白峰と言います。単刀直入で申し訳ないのですが、を殺害したのはあなたですね?」

 白峰が尋ねると、その人は大きく深呼吸をしてから言った。

「……その通りです」

 チラッとこちらに視線を向けて諦めたように笑うと、土屋龍介は億劫そうにその場に座り込んだ。


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