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 事件が解決してから三日が過ぎた。

 八月から置き去りにされていた夏の暑さも少しずつだが和らいでいき、ようやく秋と呼ぶに相応しい季節となった。けれど、そんな季節の移り変わりなど関係無しに、私の心は未だに立ち止まったままだった。

 白峰さんによって、そして先ほど刑事達から明らかにされた事件の背景には、知りたくなかった真実もいくつもあった。

 まず、今回の事件は私の為の復讐として土屋龍介が画策したものだった。彼の双子の兄、辰巳に襲われたあの日を断片的にでも思い出させるように、トリックに雨の音を使い、遺体にナイフを突き立てて残した。凶器に使われたナイフは辰巳の持ち物だったらしい。大学の学園祭で劇の主役を演じると知り、私の前で殺害する事を思いついたそうだ。

 私は大きく息を吸って、そのまま吐き出す。少しでも気持ちを落ち着ける為だ。それから目の前にある扉をノックした。

「はい……あれ? 一ノ瀬さん、何かご用ですか?」

 すぐに目の前の扉は開かれて中からラフな姿の白峰さんが出てきた。今回はアポ無しだからだろう、彼の声には驚きが滲んでいた。

「少し、白峰さんに聞きたい事があったんです」

 彼の推理の中で一つだけ引っかかった部分があった。そして、彼がそこに触れなかったのは、多分それは知らないままの方がいい事実だからだろう。だが、私は逃げてはいけない。今回の事件とちゃんと向き合わなければならないのだ。

 私が何を問い質しに来たのか察したのだろう。白峰さんは躊躇うように俯いた後、静かな声で「分かりました」と了承して、中へ入るように促した。それに従い部屋の中へと上がる。扉が閉まっても、私達はそのままお互いに座らずに立ったまま向き合った。

「土屋くんが双子の兄だったという事は、弟のあの人も私と同じ高校の生徒だったんですよね?」

 前置きも無しに私は言った。白峰さんが小さく息を呑む。

「もしも私に気を遣って黙っているつもりならやめてください。今回の事件は私のせいで起きたんです。ちゃんと真実を知る必要があります」

 まくし立てるように私は更に続ける。こうでもしないと優しい彼は真実を口にしてくれないと思ったからだ。

「……良いんですか? 一ノ瀬さんにとっては辛い真実かもしれませんよ?」

 顔を背けながら白峰さんが尋ねてくる。けれど私の心はもう決まっている。

「お願いします」

「……分かりました。それじゃあ全て明らかにします」

 諦めたように白峰さんはそう言った。






「まず、一ノ瀬さんの予想通り、弟の龍介さんも兄の辰巳さんと同じ高校にいました。しかし、クラスは違っていたようです」

 昔話をするかのように白峰さんはゆったりとした口調で語り出した。同時に時間の流れもゆっくりになったように錯覚するのだから何とも不思議だ。

「二人はあまり仲が良くなかったらしくて、お互いに双子の兄弟である事を周りに知られたくなかったようです。なので二人が兄弟である事を知る人は高校にはいなかった。だから、一ノ瀬さんが気付かなかったのも無理はないですね。さて、そんな二人でしたが、やはり双子なのですね。高校二年生の時に同じ女子生徒を好きになった──」

 思わず唇を噛み締めた。胸が締め付けられるように痛む。おそらく、ぼんやりと見えてきた真実のせいだろう。

「先手を打ったのは辰巳さんの方でした。学校内でその人を見かけるとすぐに話しかけに行きました。辰巳さんは整った顔立ちですから女子から人気があったのでしょう。だから自分が話しかければすぐに好意を持たれると考えていたのかもしれません。しかし、その女子生徒は振り向かなかった。その事を知った龍介さんも、行動に移します。兄とは違う方法で」

 ここで白峰さんは一旦区切った。それから深呼吸をしてから改めて言葉を繋いだ。

「──自分の気持ちを手紙にしたためて、その人に送る事にしたのです。毎朝、その人の下駄箱に」

 あぁ、やっぱりそういう事だったのか。

 土屋くんが双子だったと知って、もしかしたらそうだったのかもしれない、と心のどこかで思い始めていた。けれど、直接告げられると頭を鈍器で殴られるような衝撃があった。私は立っていられずに、近くのベッドに腰掛けた。

「……結論から言えば、一ノ瀬さんのストーカーは弟の龍介さんの方だったと思われます。冷静に考えれば、事件の前日に偶然出会うというのも出来すぎてるように思えます。よって、本当は龍介さんはもっと前から一ノ瀬さんの事を知っていて、ずっと機会を窺っていたのではないか、と思い至りました」

 これが僕の推理の全てです。白峰さんはそう結論づけた。彼が言うのだから多分その通りなのだろう。そうなると、今回の事件はやはり自分のせいで起こってしまったのだ。

「……私のせいで、あの人は復讐なんて馬鹿な事を」

 ボソッと呟く。微かに白峰さんの表情が強張ったように見えた。本当に微かにだったから見間違いかもしれない。

「一ノ瀬さんのせいではありません」

 白峰さんが言った。静かだが、反論を許さない強さがあった。

「辰巳さんも龍介さんも道を間違えたんです。それに、他人の為に罪を犯す人なんてこの世界にはいません。誰もが私利私欲の為に罪を犯すんです。口で何と言おうがそれは変わらない。だから、一ノ瀬さんは悪くないですよ」

 ゆっくり、恐れるように震える彼の手が頭に乗せられた。じわりと染み込んでくる彼の体温は男性に恐怖心を抱いている筈の自分にも、微睡みにも似た心地よさをもたらしてくれる。更に痛みも悲しみも全て掬い取ってくれるのだから彼の手は魔法のようだ。

 そこでふと思う。彼は一体何抱えているのだろう。あの前髪に隠された透明な瞳は、一体何なのだろうか。

 知りたいとは思うけど、無理に聞き出したくない。簡単な気持ちで聞いてはいけないような気がしているからだ。

 だから私は一つ決意をした。

「……私決めました。次に書く小説はミステリーにします。そして主人公は白峰さんをモデルにします」

 突然の私の宣言に、白峰さんは珍しく戸惑いの表情を見せた。それが何だか面白くてクスッと笑ってしまった。

「僕なんかモデルにしてもつまらないですよ」

 苦笑いで白峰さんが言う。

「それでも書きます。書きたいんです」

 夏の終わりの小さな私の決意。

 誰かの為じゃない。自分の為だけに書きたい、あなたの物語を。私を救ってくれたあなたの事を、もっと知りたいから。

 今はまだあなたの心に踏み込む事は出来ないけれど、いつかあなたの全てを知れる日が来ると信じて、一歩ずつ歩み寄っていこうと思う。地道だけど、きっとこれが一番の近道だから。

「……それじゃあ、お願いします」

 やがて彼は諦めたようにそう言った。その時に彼が見せた表情は私が初めて見るものだった。

 口元には確かに笑みが浮かんでいる。だが、それを覆い尽くすほどの深い哀しみのようなものを感じたのだ。前髪に隠れていて本当は彼がどんな顔をしてるのか分からないが、どこか痛々しくて、泣いているようにも見えたのだ。


 彼の抱えている痛みに、苦しみに、この時の私はまだ気付けていなかった──。

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