3


 警察が到着すると、辺りは一気に騒然となった。

 花壇の周りを囲う様に黄色いテープが貼られ、突き放されたような疎外感が胸の内に広がる。

 倒れている武田の周りを十人ほどの刑事が囲い、色々と辺りを調べては時々怒号のようなものが飛ぶ。

 まるでテレビドラマの撮影でも見ているかと思うほど、非現実的な光景だった。

 胃の方から何かがせり上がってくるのを自覚して湊はゆっくりとその場を離れて、図書館の方へと戻った。

 これ以上、あの光景を見続けるのは辛い。

 おぼつかない足取りで図書館の入り口まで行くと、そこには真紀が立っていた。真紀は湊の存在に気付くとすぐに駆け寄ってくる。

「湊!……大丈夫?」

「大丈夫って、何が?」

 真紀が心配そうな顔で湊の肩に手を置いた。その手が温かくて、思わず湊は真紀に抱きついた。

 見た目以上に華奢な体なんだよなぁ、と毎回思う。辛い時、人とハグする事によってそれが和らぐと聞いた事があるが、それは本当なんだと実感した。

 真紀の体温が、じわりと体内に染み込んでくる。それがとても心地良かった。

 いきなりの行動に真紀は少し困惑した様子だったが、すぐにポンポンと頭を叩いてきた。

「辛いよね。好きな人が急にあんな事になったらねぇ」

「……別に好きだった訳じゃないよ。どうしてそうなるの」

「あれ違ったっけ? まぁいいや。とにかく、この真紀様が癒してやるぜぇ」

「……真紀様、苦しいです」

「あ、ごめんごめん」

 何故だか、真紀と一緒に居ると心が安らぐ。悩んでいるのが馬鹿馬鹿しいと思うくらい、良くも悪くも彼女は楽観的なのだ。 いつでも笑っているし、ムードメーカーな彼女がいるだけで周りの雰囲気は格段に明るくなる。まるで太陽みたいな子だ。

「……ありがとう。少し楽になった」

 湊はそう言って真紀から離れる。彼女のおかげで幾分か元気になった。

 突然の出来事のせいで取り乱していたが、よくよく考えれば不自然な所があった筈だ。湊は冷静に今回の事を考え直すことにした。無理やりにでも冷静にならなければ、自分を保てそうになかった。

 今日、私たちが武田と会ったのは確か十時半頃だったと思う。そして、武田が落ちたのはそれから約十五分程後の話だ。つまり、たった十五分の間に何かが起きたという訳だ。

 もし、仮に今回の事が自殺なのだとしたら、時間は特に意味は無い。だが、彼と出会った時はそんな様子は感じられなかった。

 湊はハッとして、図書館の中へ入り、受付の席に座っている女性に歩み寄った。

「すみません。さっき、野球部の武田君が本を三冊抱えていたんですけど、あれは今日貸し出したんですか? それとも返却でしたか?」

 単刀直入にそう訊くと、受付の女性は怪訝そうに眉をひそめた。まぁ、当然の反応だと思う。他人の貸し出し履歴を訊くだなんて不審者と変わらない。

「……武田さんですね? 確かに今日三冊の本を借りていますが、それが何か?」

 猜疑心を露わにしながらも受付の女性は教えてくれた。

「いえ、ありがとうございます。助かりました」

 詳しい事はどうせすぐに分かるだろう。湊はお礼だけ告げてその場を離れた。

 そのまま二階へ上がり、先ほど自分達が居た机に向かう。机の上には原稿用紙や本が乱雑に置かれたままだった。そういえば咄嗟に飛び出してたから、片付けるのを忘れていた。

「あの質問って何の意味があったの?」

 後をついてきた真紀は席につくと同時にそう訊いてきた。

「武田君が自殺か他殺かを判断する為の質問」

 湊は指を立てて、声を潜めながら言った。真紀の表情が驚愕に変わる。

「え、そんな事分かるの? あんな質問で?」

「うん。確実にそうだと断言は出来ないけど多分他殺だと思う」

「どうして?」

「武田君が抱えていた三冊の本だよ。あれは今日、武田君が借りた物だった。これから死ぬって人が本なんて借りるかな?」

「あぁ、なるほどー。湊すごいね! 探偵みたい!」

 真紀が大袈裟に手を叩く。

 ――推理小説が好きで良かったかも。

 むず痒い気持ちになりながら、内心で湊はそう呟く。

「……でも誰かが殺したんだとしたら誰が?」

 真紀は唸りながら顎に手を当てた。

 そう、問題はそこなのだ。犯人がいるのだとすれば、それは一体誰なのだろうか。

 気になる事は他にもある。倒れていた武田は靴を履いていなかった。この雨の中で靴を脱ぐ機会などある筈がない。

 それに三冊の本も持っていなかった。

 それらは一体どこへ行ってしまったのか。分からない事だらけで頭が混乱する。

 その時だった。

「すみません」

 どこかから声をかけられた。少ししゃがれた、威圧するような声だった。

 視線を声の方に移すと、そこにはスーツに身を包んだ男達が立っていた。手前には三十代くらいの角刈り頭の強面の男がいて、その後ろには二十代くらいの若い青年が立っている。

 大学内では見かけたことが無い。この人達は誰だろう。

「突然すみませんな。あなたが一ノ瀬湊さんでよろしいですか?」

 強面の男が愛想よくそう訊いてきた。

 何故私の名前を知っているのだろうか。

 警戒心を働かせて、湊は頷いた。

「……はい、そうですけど」

「実は我々、こういう者なんですがね」

 そう言って強面の男は懐から何かを出して、こちらに見せてきた。

 それを見た瞬間に、湊は絶句した。

 男が取り出したのは黒い革の手帳だった。近藤こんどう義晴よしはると名前が書いてあり、その上には警部補と書かれている。さらにその上に貼られている顔写真なんて見なくても分かる。この人は警察の人だ。

「……私に何かご用ですか?」

 湊は毅然とした態度で近藤という刑事に問いかけた。

 ここで臆した態度を取ると変に疑いがかけられる。

 近藤は相変わらず愛想よくこちらを見つめている。

「いやね、今日この大学内で転落死した武田さんの事で是非あなたに聞きたいことがありましてね」

 口調は丁寧だが、細められたその目には獲物を狙うような鋭さがあった。

「亡くなった武田さんとは仲が良かったらしいですね」

「そこまで仲が良いという訳ではなかったと思いますけど」

「またまた。彼はあなたに好意を抱いていたのでは?」

「好意を向けられる=仲が良いという考え方は少し浅はかではないですか?」

「ふむ、確かにそうですな」

 近藤が愉快そうに笑う。何がそんなにおかしいのだろう。

「つまり、あなたは武田さんから向けられる好意を快く思っていなかった──という事ですね?」

 確かめるように近藤が訊いてくる。

 この人の目的は何だろう。そんな事を訊いてどうするつもりだろうか。

「……まぁ少しだけ、困ってました」

 湊がそう答えると、近藤はニヤリと口元を歪めた。

「一ノ瀬湊さん。少し署で話を聞かせてもらえませんかね……?」

「えっ?」

 近藤の言葉に湊は固まってしまった。

 一瞬、何を言われてるのか分からなくなってしまう。

「我々はあなたが武田さん殺害の犯人だと考えているんですよ──一ノ瀬湊さん?」

 それを気にする事なく、近藤は畳み掛けるようにそう言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る