4


「嘘だろ──」

 松本がそう声を発するまでにかかった時間はおよそ五分ほどだった。

 それほどまでに衝撃的だったのだ。

 普通に考えればありえない事が起こったのだから。

 友恵の遺体を見つけてから、山井達は音楽室の前から動かなかった。

 その際、誰かが部屋に出入りしたなんて事はない。自分達以外に誰かがいる気配すら無い。

 そんな状況にも関わらず、その誰かは遺体を部屋から消失させてしまったのだ。

 山井は音楽室の中の様子を観察した。

 際簡素な造りの音楽室は正方形をしていて、この入口の引き戸以外に扉らしきものは見受けられない。

 引き戸とちょうど向かい合う壁には窓が設けられていたが、どれも開いていない。

 山井は恐る恐る部屋の中へ入り、窓の鍵を確認した。

 鍵はどの窓もかけられていて、そもそも鍵は錆びていて、山井の力では開ける事が出来なかった。

 そもそもここは二階だ。窓から逃げたとは考えられない。

「どういう事なんだ……」

 ありえない。まさか本当に幽霊だったとでもいうのか。

 いや、そんな筈ない。幽霊なんているわけないんだから。

 何とか自分にそう言い聞かせる。

「……あれは幽霊だ、そうに違いねぇ」

 隣で、噛みしめるように松本が呟いた。

 口元には微かに笑みを浮かべている。

「お前ら、あれは木下じゃねぇ。幽霊だ。俺達はとうとう幽霊に遭遇しちまったんだ!」

 音楽室の扉を閉めて、松本は両手を広げながら振り返った。

 中川と香澄は怪訝そうな顔でそれを見つめていた。

「本当に?」

「当たり前だ。そうじゃなきゃ消える訳がない。俺達はずっとここにいただろ?俺ら以外に誰もいないんだ。あれが死体だったなら消せる筈が無い」

「それは、そうだけど」

 香澄は納得していない様子だった。

 中川は相変わらずスマホに視線を落としている。

 小刻みに指が動いているので、ツイッターか何かに投稿でもしているのだろう。

「そうと分かれば、捜索再開だ。今度はその姿を確実に写真に収めてやるぜ」

 松本は興奮してるようで、スマホを片手にニヤニヤと笑っていた。

 よくこの状況で笑っていられるな、と山井は不快になる。

 山井がそんな事を思っているとは一ミリも思っていないだろう松本は高らかに言った。

「俺と中川で、二階を改めて捜索する。山井と安藤は一階をもう一度調べてみろ。もしかしたら下にもいるかもしれねぇ」

「え、俺が上かよ」

「えー、また捜索するの?」

 二人から不満の声が上がったが、松本は「うるさい」と一蹴する。

「ほら、さっさと行けよ。時間がもったいねぇ」

 そう言って松本がしっしっ、と手で払う。

 うんざりとしながらも、山井は階段の方へと向かう。

「あ、ちょ、待ってよ」

 慌てたように香澄が追いかけてきた。

 階段の手前で追いつかれて、首に手が回された。

「置いてかないでよ」

 耳元で囁くように言われて、顔が熱くなるのが分かった。

 山井は香澄の事が少し苦手だった。

 彼女は誰に対しても思わせぶりな態度をとる。男女関わらずにボディータッチの頻度はかなりのものだ。

 先月はその被害者四人から告白されたらしい。そして全部お断りだ。無惨にも散っていった四人にはお気の毒と言うしかない。

 そして何よりも質が悪いのは香澄は全てを理解した上でその態度をとっていると言う事だ。

 こうすれば相手が自分を意識する。それを分かった上で行動に移しているのだから、悪質である。

 山井は首に回された手を解くと、階段を下りていく。

「……あれ、本当に幽霊なのかな?」

 一階に下りて、階段近くの理科室に再び足を踏み入れようとした時、香澄がそう呟いた。

 あんな騒動の後じゃ、部屋にある何もかもが不気味に見えてしょうがない。

 そう思いながらも山井は先ほど見た光景を脳裏に浮かべた。

 確かに、幽霊かどうかと問われればそうじゃないような気がする。

 だがそれも個人の主観でしかない。

 幽霊じゃないと思いたい気持ちがそうさせているのかもしれない。

「絶対、あれは友恵だったって」

 香澄は言い聞かせるように更にそう言う。

「木下だったらそれはそれで問題じゃないかな。だってあれはまるで──」

 誰かに殺されたみたいでしょ。

 そう言いかけて、山井は口を噤んだ。まだそうと決まった訳じゃない。

「まるで──何?」

 香澄がわざとらしく首を傾げた。

 そんな事、言わなくてもわかるだろう。

「……何でもないよ」

 小さくため息を吐いて、山井は理科室を出た。

 一階にある部屋の数は二階と同じ四部屋。

 今出た理科室、その隣にはパソコン室があり、トイレを挟んで家庭科室と特別活動室が並んでいる。

 山井はパソコン室の戸を開けた。

 ボロボロのカーテンで閉め切られたその部屋は昼間だというのに薄暗かった。

 パソコンが並んでいたであろう木の机はほとんど腐っているようで、少しでも体重をかけたら崩れてしまいそうだった。

 一通り中を見て回るが、特に変な所もない。ただの廃校の一室という感じだ。

 不意にシャツの裾が引っ張られた。

 振り向くと、香澄がぎゅっと裾を握りしめていた。

 あぁ、またか、と辟易する。

 だがいちいちそれを口にするのも面倒だ、と山井は無視することにした。

 パソコン室を後にして、今度は家庭科室の戸を開けた。

 埃まみれの黒板と教壇。それと向かい合うように六つほど分かれて置いてあるコンロと一体になった机。

 ふと山井は天井を見上げた。

 ちょうどこの部屋の真上が音楽室だ。

 そのせいで、何の変哲も無いはずの天井の木の木目だったり、シミだったりが人の顔に見えたりして困る。

 昔はこの部屋にはご飯の匂いなどが漂っていたのだろうか、なんてどうでもいい事を考えて現実逃避したくなるほどに。

 その時、ギシッと木の軋む音が上から聞こえた。

 背後からひっ、と小さな悲鳴が上がる。

「な、何? 今の音……」

「さ、さぁ。よく分からないよ」

 いちいち怖がる演技がわざとらしい。

 冷めた口調で返す山井に香澄は不服そうに眉をひそめた。

「つまらない」

 ぼそりと呟かれる。

「つまらないって……」

「もういい。次の部屋行こ」

 服の裾から手を離し、香澄はさっさと部屋を出て行った。訳が分からない。

 山井も部屋を出ようとした時、ポケットの中のスマホが震えた。

 確認してみると、十一時十六分に松本からのメッセージが届いていた。

『幽霊見たかも!』

 メッセージはその一言だけだった。本当かどうかは分からないけれど、ひとまず『すごいね!』とだけ返しておいた。

 その隣、一階最後の部屋である特別活動室は、言ってしまえば何も無かった。

 黒板があるだけで、それ以外の物は何も無い空虚な部屋だった。

「何も無かったね。戻ろうか」

 山井は香澄に向けてそう言う。

 ゆっくりと頷く彼女は、何故だか少し名残惜しそうな顔をしていた。だが、それは一瞬の事で香澄はすぐに不機嫌そうにして、部屋を出て行った。

「……自分勝手な人だな」

 一人残された山井はそう吐き捨てた。

 部屋を出ると既に香澄の姿は無かった。

 先に二階へと戻ったのだろうか。

 自分も戻るか、と一歩足を踏み出して山井はピタリと止まった。

 待てよ。今なら、帰れるのではないか?

 そう思ったが、すぐにその考えを棄却した。

 あの死体の正体をはっきりとさせたい。

 あれが幽霊だったとは思えない。

 自分で否定したが、あの少女の着ていた制服は確かにうちの高校のものだった。

 やはりあれは木下友恵なのだろうか。

 いや、そんな筈がない。何かの間違いだ。

 自らにそう言い聞かせる。

「きゃあぁぁぁ!!」

 その時、階段の上から悲鳴が聞こえた。

「またか」

 山井は面倒くさそうにそう呟いて階段の方へと向かう。

「お、おい! 木下!」

 続けてそんな声が聞こえてきた。松本の声だった。

 え、木下だって? そんな馬鹿な。

 山井は一気に駆け出した。

 階段の軋む音もほとんど無視して、駆け上がっていく。

 階段を上り終えるとすぐ皆の姿を見つけた。

 彼らは、階段近くの倉庫の前で立ち尽くしていた。

 倉庫? そこには何も無かっただろう?

 そう思いながらも開いた扉から中を窺って山井は愕然とした。

 涙を流しながら香澄がぎゅっと抱きついてきたのが分かる。けれどそれに対して何も思わなかった。

 いや、正確にはそんな事を気にしていられる余裕が無かった。

 目の前で起きた出来事はそれ以上に衝撃的だった。


 サウナのように、熱気に包まれたこの校舎、そして窓一つないこの倉庫の中。

 そこからは腐った木の匂いとともに、むせ返るような匂い

 それは明らかに血の匂いだった。

 先ほどまで何も無かった倉庫の中に、音楽室から突然姿を消した少女の死体が、乱雑に積み込まれたマットにもたれて、まるで部屋の隅で座っている大きなぬいぐるみのように、項垂れていた。





 近藤と若林が現場に訪れたのは、通報から二十分ほどが経った時の事だった。

 強い日差しに目を細めながら、近藤はゆっくりと顔を上げる。

「こんな廃校で死体が出てくるなんてな。夏とは嫌なもんだ」

 心底嫌そうに近藤は呟いた。

 目の前にそびえ立つのはもうほとんど壊れかけの木造の校舎だ。

 近くにある大きめの方の校舎からは時折声が聞こえてくる。

 どうやら今、そっち側ではイベントが行われているらしい。

 廃校を使うなんて物好きもいるもんだな、と内心でうんざりすると、近藤は校舎の中へと足を踏み入れた。

 長方形の長い辺のちょうど真ん中に位置する入り口は、かなりボロボロだった。

 扉に少しでも触れれば、木クズが零れる。

 ぶつかりでもしたら速攻で粉々になる気がする。

 中も同じようにボロく、近藤が歩くたびにギシギシと校舎全体が軋む。

 まさか、こんな校舎とともに心中する気は無い。

「若林。気をつけろよ」

 部下に対してそう忠告する。

 若林は間延びした返事を返してきた。

 一フロアには、中央から左右に二部屋ずつ並んでいて、階段があるのは右の奥、理科室のすぐ側だった。

 慎重に足を運んで、階段を上っていく。

 おいおい、この階段大丈夫か? メキメキいってるんだが。

 そんな不安を煽るような音に悩まされながらも階段を上り終えて、問題の倉庫へと近づく。

「うっ……」

 後ろから呻くような若林の声が聞こえた。

 だが、その気持ちは分からなくもない。

 倉庫の中は予想以上に酷い有様だった。

 もはや廃棄物の山と化したその部屋には、数人の鑑識の人間がいて、かなり蒸している。

 更に、マットの黴びた匂いも、木の匂いも、そして血の匂いが混ざり合って何とも言えない状況を作っていた。

 窓のない空間にこれはあまりにもキツイ。

 ハンカチで口元を押さえながら近藤は中へと入っていく。

 少女の死体は倉庫の入口付近にあった。

 高校の制服だろうか。白いシャツは無残にも一部が赤黒く変色していた。

 左胸をナイフで一突きと言ったところか。

 胸から血はスカートの方まで流れているようだ。

「状況は」

 近藤は一番近くにいた鑑識の男に声をかけた。

「死亡推定時刻は三十分から一時間ほど前です。遺体のすぐそばに生徒手帳が落ちていました。おそらくこの少女のものだと思われますね。指紋や毛髪などは今調べてるところですが、多分犯人に繋がりそうなものは出てこないと思います」

 玉のような汗を額に浮かべながら、鑑識の男が言った。

 生徒手帳には“木下友恵”と書かれていた。これが少女の名前か。

「第一発見者の方々は隣の部屋に待機させているそうです」

 若林がそう言う。

「方々って事は一人じゃないって事か」

「そうみたいですね。四人だそうで」

 近藤は微かに顔をしかめると、待機場所となっている部屋の戸を開けた。

 部屋には暗い顔をした四人がじっと椅子に座っていた。

「やぁ、皆さんどうも。近藤と言います。こいつは若林だ」

 軽く挨拶を交わして、近藤はさっさと本題に入った。

「では皆さんに遺体発見時のお話をお聞きしたいので、一人ずつ隣の部屋へ来てもらってもよろしいですか?」

「何でです? この部屋でもいいでしょ」

 一人の男が不満そうに声を上げた。

 襟足の長い茶髪の男だった。いかにも不良ですと言いたげの顔つき。

「そうですが、例えばここにいる皆さんの共犯という可能性もありますからね。一人ずつ分けてお話を聞かせてもらいたいのですが」

 少し目を細めて近藤が言うと、四人の表情が変わった。

「では、まずは一番端の君から」

 そう言って近藤は一番左端に座っていた男を指名した。


 ────────────────────


 山井と名乗った男はいかにも気弱そうな男だった。

 怯えているのか、先程から目は合わないし、やたらとそわそわしている。

「ではあなたの話を聞かせてもらえるかな?」

 若林が優しくそう尋ねると、山井はゆっくりと口を開いた。

「……最初に、松本、さっきの茶髪の男がここへ肝試しに行こうって言って。僕はあまり乗り気じゃなかったけど、断れなくて仕方なくここへ来たんです。それで、二階の音楽室で最初にあの死体を、見つけたんです!」

「何ですって?」

 近藤が声を上げた。

 音楽室だと? ではあの倉庫で見つかった遺体は誰かに動かされたと言うのか?

 にわかに信じがたいが、一応最後まで話を聞こう。

「それで、一旦戸を閉めて、十分くらいかな、もう一度戸を開けたら、死体が、消えていて」

「……」

 信じられない、と言った様子で近藤は若林と顔を見合わせる。

「……死体が消えた? それは間違いない事ですか?」

「え、は、はい。確かに消えました。その時僕たちは部屋の前で立ち竦んでいました。誰も部屋の中には入っていません」

 山井は真剣だった。嘘をついているようには見えない。

「ま、窓から誰かが侵入したという事は考えられないかな?」

 慌てたように若林が尋ねる。しかし山井は首を横に振った。

「窓の鍵、錆付いていて簡単には開かないんです。僕たちが確認した時は閉まってました」

「……」

 再び刑事二人は顔を見合わせた。

 なんて事だ。まさか、そんな筈がない。

 そう否定したかったのだが、しばらく言葉が出てこなかった。

「そ、その後は……?」

 ようやく絞り出したように近藤が訊いた。

「その後、松本が幽霊捜索だとか言って、僕ともう一人、女の子の香澄は一階を。松本と残った中川は二階を担当してました。一階の四部屋を改めて見ても特に変わったところも無くて、数十分間ほど歩いてから、二階へ帰ろうとしたら悲鳴が聞こえて、それで倉庫に……」

 若林が証言を手帳にまとめる。

 つまり、一階にいたこの子ともう一人の香澄という少女には犯行は不可能という事か。

「では、最後に一つ。木下友恵さんという方をご存知ですか?」

 今回発見された遺体の子の名前だ。

 その名前を聞くなり、山井は目を大きく見開いてから俯いた。

「……知ってます。僕たちのグループのメンバーの一人ですから」

「そうか、ありがとう。では君は先ほどの部屋に戻っていい。次はその香澄という少女を呼んできてくれるかな?」

 そう言う近藤の顔は明らかに納得いってないと言っているようだった。




「言っておきますけど、私犯人じゃありませんから」

 部屋に入ってくるのと同時に香澄という少女はそう言い切った。

 肩の辺りまで伸びた癖のある髪の毛。肩や足を大胆に披露している。今時の女子はこんなにも開放的なのか、と若林は一種のショックを受ける。

「別にあなたが犯人と疑ってるわけじゃないですよ、今はね。ただ、遺体を発見するまでの状況を教えていただきたいと思いまして」

 微かに猜疑心をチラつかせながら、近藤は優しい口調で尋ねた。

「状況って言われても……。あの時はパニックになってて、曖昧なところもあるんですけど」

「それで構いませんので、覚えてる限りを話してください」

 そう言うと、香澄は頬に指を当てながらポツリと語り出した。

「松本が肝試し行こうって言いだして、何となく面白そうだったからついてきました。一階から一つ一つ部屋を回って行って、二階の音楽室で友恵の死体を見つけました。そして、その後友恵は……」

「音楽室から消えたんですね?」

 若林が後を引き取ると香澄は小さく頷いた。

 ここまでは山井の言っていたことと同じだ。

「それでその後は?」

 近藤が訊くと、香澄は少し俯く。微かに体は震えていた。

「それで、もう一回部屋を回ることになって、私と山井で一階を見て回っていたんです。そこでちょっと山井の態度が気に入らなくて、先に二階へ戻ったんです。そしたら閉まってた筈の倉庫の扉が少しだけ開いてて、中を覗いたら……友恵が……」

「なるほど」

 と言う事は、第一発見者はこの子という事か。

 若林は手帳に香澄の名前を書いて、丸で囲った。

「それで、木下友恵さんとはどのようなご関係ですか?」

「……友達ですかね。話すようになったのは結構最近の事なんですけど、物静かな子だったけど良い子だったんですよ。意外とノリも良かったし」

 懐かしむように香澄はそう言った。けれどすぐに泣きそうな表情に変わった。

「友恵は……誰かに殺されたんですか?」

「それは、これから調べますから」

「必ず犯人捕まえてください!」

 香澄が頭を下げる。

 近藤は淡々とした口調で一言、「最善を尽くします」と言った。






 次に部屋に入ってきた中川という男は、かなり無愛想な男だった。

 魂が抜けたような無表情だが、その目は品定めでもするかのように、じっとこちらを見つめてきて、時折指の爪を噛んでいる。かなり不気味だ。

「それではあなたにも遺体を発見した時の事を訊きたいのですが」

 若林は苦笑いを浮かべながらそう尋ねると、中川は視線をどこかへと逸らしてしまった。

「別に……肝試ししていて、音楽室を覗いたら死体があったんですよ。それで数分の間にそれが消えて、また数十分経った後にあの倉庫に移動していた。他に人がいたとは思えないですし、不可解な事件ですね」

 素っ気なく中川がそう言う。

 近藤が微かにこめかみの辺りをピクピクさせていた。

 どうやら近藤の嫌いなタイプの男らしい。

「では、木下友恵さんについて何か知ってる事はありませんかね? ……例えば、誰かに恨まれてたとか」

 近藤の質問に中川の顔が不快そうに歪んだ。

「友恵は誰かに恨まれるような事はしてなかったですよ。物静かで、一人で隅っこにいるような奴でしたから」

「そうですか」

 これは香澄の証言とも一致する。

 どうやら被害者の少女はあまり人と関わらないようなタイプの女の子だったのかもしれない。

 生徒手帳の顔写真を見た感じでもどこか根暗そうな雰囲気を纏っていた。

「あなたは二階にいたんですよね? 誰か怪しい人物とか見ませんでしたか?」

 若林が訊くと、中川は小さく首を振った。

「見てません。俺たち以外には誰もいなかったと思いますよ。……まぁ、目に見えない何かがいる可能性は否定しませんけど」

 そこまで言って、不意に中川は口元に手を当てた。

「何か思い出しましたか?」

「そういえば、二週間くらい前から友恵はストーカーに悩まされていたんです。もしかしたらそいつが友恵を殺したんじゃ」

「ストーカー?」

 近藤の目つきが鋭くなる。これは有力な情報だ。

「そうです。友恵、誰かに付きまとわれていたらしいんです。俺は友恵の周りにそんな奴見かけた事ないですけど」

 中川が悔しそうに拳を握る。

 もしかしたら、被害者の少女と深い仲だったのかもしれない。

 それなら最初の魂が抜けたような無表情にも納得がいく。

 最愛の人を奪われたのならそうなるのも仕方ないのかもしれない。

「なるほど。その辺についても詳しく調べるとしよう」

「……友恵を殺した奴、絶対に捕まえてください」

 中川が低い声で言った。そこからは犯人に対する強い怒りが滲んでいた。

「約束する」

 近藤も自信ありげにそう答えた。






「……どうしてこんな事に」

 最後の一人、松本はひどく落胆した様子で部屋に入ってきた。

 松本は見た目は確かに不良っぽいのだが、顔つきはなかなかの男前だった。

 程よく焼けた肌も、鍛えられた肉体も、男らしさが溢れている。

「嘆く気持ちも分かるが、今はこちらに集中してもらいたい。一刻も早く犯人を捕まえるためにはね」

 近藤がため息まじりにそう言う。

 松本は力なく頷いてから、その時の状況を語り出す。

「元々は木下の提案だったんすよ。この廃校で肝試ししようって言ったのは。けど、今日になって来れないって言ったから仕方なく四人でやりました。一階を一部屋ずつ見て回って、階段上って最初に倉庫を開けました。その時は何も無かったんす。それで少しイライラして乱暴に音楽室の戸を開けたら、木下が。まさか、殺されてるなんて」

「来れないと連絡が来たのはいつ頃ですか?」

「俺たちが学校忍び込む前だから、十時くらいっすかね」

 ふむ、と声を出しながら手帳に書き込んでいく。

「それで遺体を発見して、どうしたんです?」

 近藤がそう訊く。

「あまりにもそれが衝撃的でしばらく教室の前から動けなかったんです。それから部屋の中から聞こえたギィッって音で我に返って、あれは見間違いだったんじゃないかって思って再び戸を開けたら、そこには何も無かったんす」

「ギィッって音が鳴ったんですか?」

 これは初めて聞くことだ。他の三人は聞いてなかったのだろうか。

「は、はい。確かにそんな音がしたと思います」

 松本は弱く頷いた。

「それで、その後は?」

「あぁ、えっと、突然姿が消えたから、俺は幽霊だったんだと思って山井と安藤には一階を探してもらって俺と中川で二階を探しました。まぁどの部屋探しても見つからなかったんですけど、その後、安藤の悲鳴が聞こえて駆けつけたら倉庫に、木下が」

 ここでも証言の矛盾は無し。どうやら四人とも嘘はついていないらしい。

「……何か怪しい人影を見たとかはないですかね?」

 若林は何気なくそう訊くと、松本はハッとしたように目を見開いた。

「見ました。廊下を歩く女の幽霊を」

「本当ですか⁉」

 刑事二人は揃って声を上げた。

 彼の見た人影が幽霊かどうかは知らないが、犯人という可能性も否定出来ない。

「どんな人物だった?」

「その時はちょうど女子トイレを調べてて、何も無いと諦めて外へ出ようとした時に、一人の女の人が廊下を歩いていたんですよ。なんかマントみたいな薄汚れた布を頭から被ってて顔は全然分かんないんすけど、それが階段の方へ向かって歩いてました」

「顔が分からないのに、何で女だって分かったんだい?」

 若林が疑問をぶつけると、松本は照れくさそうに頬を掻いた。

「そりゃ、あれっすよ。その女の人、胸がでかかったんで……」


 ────────────────────


「本当に誰かが遺体を消したんでしょうか?」

 四人の話を聞き終えて、若林は独り言のようにそう呟くと近藤が「当たり前だろ」と言った。

「実際に遺体が見つかったんだ。誰かが意図的に動かしたとしか考えられない」

「けれど教室の前にはあの四人がいた訳ですし、しかもその四人の目をかいくぐって離れた倉庫まで遺体を動かせますかね?」

「どうやって密室から遺体を消したかは分からないが、遺体を倉庫へと移動させた方法は分かった」

「え、それ本当ですか⁉」

 近藤の何気ない一言に若林は驚いた。

 まさかこんな短時間で分かったというのか。

「松本が言っていただろう? マントみたいな布を頭から被った女がいたって」

「え、えぇ」

「その女は何でこんなところで布を被ってたんだ? 考えられる事はただ一つ。その布の役割が遺体を隠す事だったからだ」

「え……」

 若林の頭の中で推理が組み立てられていく。

「つまり、犯人は遺体をおんぶして、それを布で隠しながら歩いたんだ。そこを松本は見た。どうだ、完璧な推理じゃないか?」

 なるほど。確かに筋は通っている。

 ──待てよ。という事は。

「あの四人の中に一人だけ女がいただろう? そいつが犯人だと考えれば自然だ」

 近藤は得意げにそう言った。




「……」

 数分後、近藤は険しい顔をして黙り込んでいた。

 結果から言えば近藤の推理は、外れていた。

 遺体は左胸から出血していた。遺体をおんぶしたという事は、その犯人の背にも血が付着している筈だが、香澄の背中にはそれらしい痕は残ってはいなかった。

 一応、高校生全員にルミノール試験を試したが、四人の体からは血液反応は出なかったのだ。これで、ふりだしだ。

「……行き詰まりましたね」

 若林は恐れながらもそう言った。

 すると、近藤はギロッと睨みつけるようにこちらに視線を向けた。だが、すぐにその視線はふいっと外された。

「若林。一人、意見を聞きたい奴がいるんだが……」

 唐突に近藤が言った。

「え?」

「今回は事件とは関係無いが、意見を聞くくらいなら大丈夫だろう。例え捜査状況を明かしたとしても口が堅そうだしな」

「あ、あの、近藤さん? 何を言ってるんすか?」

 推理が外れて何かおかしくなったのか、と心配になる。だが、近藤は何度も自分に言い聞かせるように頷いた。

「そうだ。事件の解決は早い方がいい。この際、少しでも可能性があるのなら賭けてみるべきかもしれない」

 そう言って近藤がこちらを指差した。

「若林、お前はあの男の連絡先は知ってるよな?」

 そこでようやく近藤が誰の事を言っているのか理解した。

 一ヶ月前にとある大学で起きた事件を解決へと導いた大学生の事を言っているのだ。

「知ってますけど……どうするんですか?」

「呼び出してくれ」

「えぇ⁉ 良いんですか?」

「早くしろ」

「……分かりました」

 若林が頷くと、近藤はさらに顔を険しくさせて、大きなため息を吐き出した。

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