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「ねぇ、やっぱり良くないんじゃない?」

 山井やまい健人けんとは前を歩く背中にそう投げかけた。

 歩くたびにギシギシと床が音を鳴らす。一度ジャンプすれば床が抜けるに違いない。

 そんな山井の不安を気にする事なく、前を歩く松本まつもと和樹かずきは「別に大丈夫だろ」と軽く笑った。

 襟足が無駄に長い茶髪を揺らしながらずんずんと校内を探索していく。

 山井達のいる木造の長方形の建物は既に廃校となった小学校の第二校舎だ。

 図工室だとか、家庭科室などの特別教室の為だけの校舎で、普段の授業などに使う普通教室などが入っている第一校舎の方は今イベントの真っ最中だ。

 山井や松本もそのイベントの参加者なのだが、イベントそっちのけでこの第二校舎へ侵入している。

 このイベントでは第二校舎は使われておらず、立ち入り禁止である事に間違いないのだが、禁止と言われるとそれを破りたくなるのが人間の性だとか言って人目を避けながら校舎の中へと入った。

「……あ、ここ家庭科室かな?」

 後ろから場違いなはしゃぎ声が聞こえて山井は眉をひそめる。

 山井の後ろには安藤あんどう香澄かすみがケラケラと笑いながらついてきていた。

 暑いからだろうが、肩や足を大胆に露出していて、日の光に当たり汗がキラキラと輝いている。どうにも目のやり場に困る。

 さらにその後ろには中川なかがわひろしがスマホをいじりながら歩いていた。あまり喋らない無愛想な男だ。口数も少ないし、話したこともあまりないので彼のことはよく分からない。スマホのケースには猫のイラストが入っているので多分猫が好きなのかもしれない。

さらに言えば、この暑い日にも関わらずその手には手袋を付けている。

 理由を訊くと、どうやらスマホに指紋を付けたくないらしい。潔癖症とは面倒なものだと内心で呟く。

 これがいつものメンバーだった。

 高校で同じクラスの三人。いつでもリーダーのように振る舞う松本とそれに面白がってついて行く香澄。そして何となく一緒にいる中川。

 何故自分がこの輪の中に入ったのか、よく覚えていない。

 ただ、気付いた時には既に今の関係性になっていた。

 そこでふと思い出した。

 そういえば最近、もう一人輪の中に入ってきた女の子がいたはずだ。

 その子は今日はいないのだろうか。

「ねぇー、本当にここに幽霊なんて出るの?」

 香澄がもう飽きたと言うような口調で松本の背に声をかける。

 そう、それがこの第二校舎へ忍び込む事になった原因だ。

「出るよ。廃校なんだから出ない方がおかしい」

 よく分からない持論を展開する松本に対して密かにため息を吐いた。

 どうしてこんなに馬鹿げた遊びに付き合わなければならないのか。

 心の内ではそう思うが、それを言葉に出す事は出来ない。昔からそう言う人間なのだ。

 反発したい気持ちはある。けれどそれを表に出す勇気が無い。

 だからいつも周りに流されながら生きてきた。

 今更になってそれを後悔する。

「……それにしても暑いな」

 呻くように松本が言った。

 言われてみれば、確かに暑い。時折吹く風が木の隙間を通り入ってくるが、それでもサウナにいるような蒸し暑さだ。しかしそれも当然の事だろう。

 廃校になった学校に冷房設備などが付いているわけがない。扇風機くらいは残っているかもしれないが、動くとは思えない。

 汗を拭いながら、山井達は一つ一つ教室の中を調べてまわる。

「おっ、ここは理科室か? なかなか雰囲気ありそうだな」

 一階の一番左端の教室の扉を開けると松本は嬉しそうに笑った。

 そこはいくつかの試験管やフラスコなどが置いてあった。

 教壇の方には埃まみれの人体模型も置いてある。理科室で間違いないだろう。

 だが明るい昼間では、どうにも怖くない。

「ねぇ。幽霊が出るか確かめるならさ、夜の方が良いんじゃないかな?」

 山井がそう言うと、松本が馬鹿にしたように笑いながら「分かってねぇな」と言った。

「夜に出るのは当たり前だろ? それじゃあつまんねぇんだよ。暗いと見間違いの可能性もあるしな。逆に昼間でも出るならそれが本物の幽霊だって証拠だ」

 また勝手な理屈を。

 山井は心の中でそう毒づいた。

 そもそもこの学校に幽霊がいるかどうかだって分からないくせに。

「……ここでも出ないか。んじゃ、二階に行くか」

 一通り理科室を見回した松本がつまらなそうにそう言って部屋を出た。

 理科室を出てすぐ左に行くと二階への階段はあった。ここがこの校舎の中に唯一ある階段だった。

 一段上がるごとにギィッと音が鳴る。それが四人分も響けば当たり前だが耳障りだ。

 そんな音に耐えながらも山井達は二階へと足を進める。

 二階に上がると目の前には扉が見えた。

 それは教室などの引き戸とは違っていて頑丈そうな外開きの扉だった。

「山井、そこ怪しい。開けてみろ」

 松本に言われて仕方なく開けてみると、むわっとした熱気が一気に襲ってきて、山井は顔をしかめた。

 そこには『運動会』と書かれた看板だったり、体育で使うようなマットだったりがごっちゃになって置いてあった。

 どうやら物置のようだ。

 中には窓は付いていないようでかなり暑い。仮にこの時期にこの場所に閉じ込められたならそれはもう絶望でしかない。

 山井が物置の扉を閉めると、既に松本達は先へ歩いて行っていた。

 苛立ちが募る。けれどそれを露わにすることはなかった。ここで一人で勝手に帰る勇気も無い。

 気付かれないように小さく舌打ちしてから山井は先を歩く背中を追いかけた。



 二階にあるのは倉庫を除けば四部屋だけだった。

 図書室と視聴覚室、間に男女のトイレを挟んで音楽室と図工室が片廊下型の間取りで並んでいる。

 松本は最初に図書室の扉を開けた。

 そこには当然と言うべきか、本は一冊も無く、ただ空っぽになった本棚が並んでいるだけだった。

「何も無いじゃん」

 香澄がそう吐き捨てる。

 中川もその後ろで小さくため息をついていた。

「ちっ、次だ」

 大きく舌打ちをして松本が図書室を出る。

 そのまま隣の視聴覚室の扉を乱雑に開けた。

 その際バキッと木材が割れるような音が聞こえた気がするのだが、大丈夫だろうか。

 視聴覚室も同じように何も無い空間だった。

 埃の被ったいくつかの机と椅子、そして古い型のテレビが置いてあるだけだ。

 松本が近くの机を蹴り飛ばした。

 これには流石に香澄もびくりも肩を震わせて、中川もスマホから顔を上げた。

 松本は何も言わずに視聴覚室から出て行った。

 山井達はしばらく呆然と立ち尽くす。

「ねぇ、本当にここに幽霊が出るの?」

 困惑したような顔で香澄が小声で訊いてきた。

 そんなこと言われたって分かるはずがない。

 そもそも何故幽霊がここに出ると思い込んでいるのかすら謎だった。

 どうして松本はあんなに幽霊が出ると信じているのだろうか。

 ──その時だった。

「うおわぁあああ!!??」

 突如として聞こえてきた悲鳴。

 間違いなく松本の声だった。

 急いで廊下に出ると、女子トイレの横にある教室の前で尻餅をついたように座り込む松本の姿があった。

 横顔しか見えないが、それでも口を震わせて、顔面も蒼白になっている。

 どうやらただ事ではないらしい。

「ま、松本どうしたの?」

 香澄が駆け寄りながら尋ねると、松本は部屋の方を指差した。

「ひ、ひと、人が……」

「人?」

 まさか幽霊が出たのか?

 山井は急いで駆け寄り、半開きの戸から部屋の中を覗き込んで、息を呑んだ。

 その部屋は音楽室だった。

 五線譜の入った独特の黒板、それに向き合うように並べられた椅子。

 部屋の端に古いグランドピアノが鎮座しているのだが、その足は重みに耐えられなかったのか、床板を突き抜けていた。

 そしてそのグランドピアノのすぐ近く、ちょうど部屋の中央辺りに位置するだろうか。

 その場所に一人の女の子が倒れていた。

 見覚えのある制服姿で、一見ではただ眠っているだけのようにも見える。

 だが、そうじゃない事はよく見れば分かった。

 少女の胸には、まるで墓標のように、ナイフの柄が立てられていた。そしてその柄には鮮やかな赤が滲んでいた。

「きゃあぁぁぁ!!」

 背後から耳をつんざく悲鳴が再び聞こえた。

 振り返ってみると香澄が顔を手で覆っていた。

 その様子を見た中川がピシャリと勢いよく音楽室の戸を閉めた。

 一体、何が起こったと言うのだ。

 ただ、肝試しをしていただけだ。それが、まさかこんな事件に出くわすなんて。

 瞬きをする度に、脳裏に今見た光景がチラつく。

 気を抜いたら胃から何かが逆流してきそうだ。

 すぐ近くにトイレがあって良かった、と他人事のように思った。水は流れないだろうけど。

「……あれ、友恵ともえだよね」

 どれくらい時間が経っただろうか。

 ギィッとどこかの木が音を鳴らしたのと同時に、香澄がそう言った。

 友恵こそ、最近輪の中に加わったという女の子で、木下きのした友恵。同じクラスで、あまり人と話さないような、少し地味めな子だった。

 そういえばきていた制服もうちの高校のと同じ物だった。

 そんな彼女がどうしてこんな所に。

「み、見間違いだろ……そんな訳ねぇって」

 松本が乾いた笑みを浮かべる。

「……いや、確かに、そうだった……かも」

 小さな声で中川が言った。

 今日、初めて彼が声を発した瞬間だった。

「お前まで……ならもう一度見てみろよ」

 松本がそう言ってもう一度引き戸を開けて、絶句した。

 そしてそれは山井も同じだった。

 確かにそこには女の子が倒れていた筈だった。

 胸にナイフが刺さり、だらしなく仰向けに倒れた筈なのに。

 そんな馬鹿な、ありえない。

 頭が混乱して、うまく情報が処理出来ない。

 目を疑うとは、まさにこの事だった。

 再び開かれた音楽室の中には、最初からそうであったかのように、ピアノと椅子があるだけだった。

 そこにはもう、胸をナイフで刺された少女の姿は影も形も残ってはいなかった──。

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