5


「……暑い」

 その十分程前、湊は蚊の鳴くような声でそう呻いていた。

 朝のニュースによれば今日はかなりの猛暑日になるらしい。

 一応、校内の至る所に扇風機が設置してあったが、それだけではどうにも耐え難い。

 現に今も、その扇風機の前で涼んでいる最中だ。

「一ノ瀬さん。大丈夫ですか?」

 苦笑いを浮かべて、白峰が心配そうに声をかけてきた。

 どういうわけか、彼は汗一つ流す事なく涼しげな様子だ。

「何で白峰さんはそんなに涼しげなんですか……」

 恨みがましげにそう問いかけると、白峰は「何故でしょうね」とはぐらかすように言った。

 あの後、湊は白峰に謎解きを任されたが、数分考え込んでも分からなかったのですぐにバトンを彼に戻した。人には得意不得意があるのだ。

 という事で白峰に頼りきって謎解きを進めていってあっという間に彼は誘拐された子供を見つけた。

 子供の隠し場所は教室の天井裏だった。

 そしてそれに繋がるヒントを差し出していたのは、この扇風機だった。



 順調に暗号を解いていき、ようやく最後のヒントを見つけたのだが、これが少し手強かった。

 教室の机の中から見つかった最後のヒントにはこう書かれていた。

『よくここまで来たね。もう少しで答えに辿り着く事が出来るだろう──と言いたいところだが、生憎ここに子供の居場所を示すヒントは書かれていない。だが、安心してくれ。居場所を示すヒントなら今までのヒントの中に隠してある。それに気付ければ答えまでもう少しだ。……とはいえ、せっかくここまで来たんだ。ヒントに気付く為のヒントを与えようか。

 一つは、あり得ないはずのものを探す事。

 そしてもう一つは、悩んでしまったら一度、頭の回転を止めて落ち着いてみるのも手だよ。

 さぁ、それでは頑張ってくれたまえ』

 このヒントを見て、流石の白峰も止まった。

 ちなみに湊はこのヒントの前半部分で既に考えることを放棄している。つまり、白峰に頼るしかない。

「……意味分かりましたか?」

 期待を込めて湊が訊くと、白峰はゆっくり首を振った。

「いえ。分からなくなりました」

 そう言われて落胆したように湊は俯いた。

 そのせいで汗が頬を流れていく。

「暑いですしね。この暑さじゃ頭も働きませんよ……。いくら学校中に扇風機を配置しててもこの暑さを和らげるには力不足ですって」

 暑さに耐えきれなくなり、湊がそう愚痴を吐き出した時、白峰がハッとしたように顎に手を当てた。

 それからぶつぶつと何かを呟いて、ヒントの書かれた紙に視線を移す。

 数十秒して、彼は「うん」と小さく頷いた。

「ありがとうございます。一ノ瀬さんのおかげで謎は透明になりました」

「えっ⁉」

 そう微笑する白峰に湊は暑いのも忘れて大声を上げた。

「え、と、解けたんですか?」

 信じられない、といった表情を浮かべて湊は白峰に詰め寄る。

 しかも彼は「一ノ瀬さんのおかげで」と言った。

 私、何かしたのだろうか?

「はい」

 彼は自信ありげにはっきりとそう頷いて、一枚の紙を見せてきた。

 それは一番最初に受付の女性から受け取った概要の書かれた紙だった。

「ヒントは最初から書かれていたんです。僕たちはそれに気付けずに……いや、誘導されてここまで来てしまいましたが、実際はここまで来る必要は無かったんです。完全に騙されてました」

 苦笑いを浮かべて白峰はそう言ったが、湊には全然理解出来なかった。

 誘導された? 一体どういう事なのだろうか。

 頭に疑問符を浮かべている湊の様子を悟ったのか、白峰は再び解説を始めた。

「注目すべきは『ヒントは校内の至る所に隠されている』という一文です。まさにこれがヒントだったんですよ」

「えっ?」

 湊は首を傾げた。

 何の変哲もない文章だと思うが、その一文がどのようにヒントになり得るのか分からない。

「確かにこれだけでは後に繋がる文章のせいで気付ける人は少ないかもしれません。しかし、今見つけたヒントに書かれていた事と照らし合わせると意味合いが変わってくるのです」

「……“あり得ないはずのものを探す事。そしてもう一つは、悩んだら一度頭の回転を止めるのも手だよ”ってやつですか?」

「それです」

 白峰はそう言うと、不意に天井へ視線を移した。

 つられるように湊も視線を追う。いくつも蜘蛛の巣が張られた天井に何かあるのだろうか。

「──あり得ないはずのものを探せ。これが最大のヒントでした。……一ノ瀬さん、この学校は既に廃校になっていますよね? 概要にも廃校になった小学校と書いてあります。当然、電気なんてものが通っている筈がない。それなのにこの学校には動いているものがありますよね?」

 そこまで言われて湊もハッとした。

 そうだ、本来ならあり得ない筈なのだ。湊はゆっくりとそれに視線を移動させた。

 学校の至る所に設置されていて、羽根を回転させて風を発生させる事で体感温度を下げてくれる代物。そしてそれは電気が無ければ動かないものだ。

 湊がそれの名称を口に出すと白峰は満足そうに頷いた。

「そうです。こんなにもあからさまに存在感を放っていたのに気付けないなんて情けない限りですけど、電気が無いのに動いている扇風機ならヒントに当てはまります。そしてもう一つ」

 白峰はそこで切ると、扇風機に近付き何やら操作するとゆっくりと羽根の回転が止まった。

「……あっ」

 湊は思わず声を漏らした。

 動きの止まった五枚羽根の一つに黒いペンで『の』と書かれていた。

「悩んだら頭の回転を止める。これはつまり扇風機の電源を切って羽根の回転を止めるという意味です。そしてこれが隠し場所の答えになるのだと思います。至る所に隠されているという事は、いくつかの扇風機にも文字が隠れているのでしょう」

 ──凄い。

 湊は素直にそう思った。

 情報は少なかった筈なのに、短時間でここまで導いてしまうのか。

 そこからは早かった。

 扇風機を一つ一つ調べていき、行き着いた答えは『三年二組の教室の天井裏』だった。

 実際に調べてみると、そこには参加者全員用だと思うが、夥しい量の子供の人形が無造作に転がっているというなんとも恐ろしい光景が広がっていた。今日の夢に出てくるのは確定だろう。

 何はともあれ、その人形を抱えて受付まで行くと、「おめでとうございます!」と言われてありがたい事に杉竹春真の最新作『亡霊ぼうれい』のサイン本が貰えた。全て白峰のおかげである。



 そして再び校内へ戻ったのは、悩む参加者へヒントを与える為で、扇風機で涼みながら待機していたというわけだ。

 と言ってもほとんどの人にはもう既にヒントを伝えたし、ここに留まる必要も無いのだけれど。

「……そろそろお昼ですね」

 不意に白峰が言った。

 スマホで確認してみると、既に十二時を回っていた。

 どうりでお腹が空いたと思った。そしてこういうのは意識してしまうと余計に強くなるものだ。

「そうですね。流石にお腹空いてきました」

「では、どこかへ食べに行きますか?」

「行きましょう!」

 勢いよく返事をしてふと思う。

 あれ、これでは余計にデートになるのでは?

 そう考えた時、白峰の携帯が鳴った。

「はい、白峰です。……あぁこれはどうも一ヶ月振りですね。……はい……はい」

 白峰は軽快な口調で電話に出たが、徐々にその表情は険しいものに変わっていった。一ヶ月振りという事は、あの近藤と若林という名の刑事だろうか。

「……なるほど。他に何かおかしな事とかありませんか? ……そうですか。実際に見た方が良いかもしれませんね。……本当ですか? 分かりました、すぐにそちらへ向かいます。……はい、では後ほど」

 白峰はそう終止符を打つと通話を切り、申し訳なさそうにこちらを向いた。

「ごめんなさい。どうやらお昼ご飯はお預けですね」

「何か事件ですか?」

 湊が訊くと、白峰は微かに驚いた様子だった。

「よく分かりましたね」

「何となくですけどね」

「どうやら第二校舎の方で殺人事件があったようで……。僕は今からそっちへ行きますから、一ノ瀬さんは先に帰っていて大丈夫ですよ」

 第二校舎? という事はすぐそこで誰かが殺されたという事か。

 なんたる偶然、なんたる不幸。一ヶ月前の光景がフラッシュバックした。

 出来ればあんな現場にはもう赴きたくはないものだ。

「いえ、私も行きます」

 その筈なのに、口は全く逆の事を発していた。

 白峰は困惑したように「止めておいた方が良いと思いますけど」と言っていたが、湊は譲らなかった。



 結局、白峰から離れないというのを条件に第二校舎へと向かった。

 イベント用に少しだけ改修された第一校舎とは違い、第二校舎は何の手入れもされていないのか、今までいた校舎よりも更に酷くすたれていた。

 ところどころ床は抜けているし、柱も天井もボロボロだ。

 今、台風が来たら瞬く間に倒壊するに違いない。

 一歩一歩慎重に足を進めていき、一階左奥にある階段を上っていく。

 一段上がる度にメキメキと音が鳴る。怖い。

 悠然ゆうぜんと進む白峰の後を、落下するかもしれないという恐怖と戦いながら湊は付いていく。

 ようやく二階に辿り着けば、そこには大勢の警官がいた。

 こんな人数いて、床は抜けないだろうかと余計な心配をする。

「もう来たのか? ずいぶんと早い到着だな」

 そう声をかけられた。

 直後、階段のすぐそばにあった扉の奥から近藤と若林が出てきた。

 近藤は白峰を見て、その後ろにいる湊に視線を移すと僅かに眉をひそめる。

「君まで来たのか。デートの最中だったのかな?」

 鼻で笑いながら近藤が言うと、白峰は「たまたま近くのイベントに参加してたんですよ」と言った。

 確かにその通りなのだが、釈然としないのは何故なのだろう。

 近藤は「まぁいい」と諦めたように呟くと踵を返して歩き出した。

 白峰と湊もその後を追いかける。

 二つの部屋の前とトイレを通り過ぎて、近藤は足を止めた。

「ここが、おそらく殺害現場だ」

 淡々とした口調でそう言うと、教室の戸を引いた。

 木の扉はガタガタと音を立てて横にずれていく。

 中を覗くとそこはどうやら音楽室のようだった。

 埃まみれの黒板にはうっすらと五線譜が描かれている。

 大きなピアノもあったが、足が床を突き抜けて沈んでいた。

 若林がそこで今回起きた事件の内容を簡単に説明してくれた。

 四人の高校生が肝試しでこの第二校舎に忍び込んだ。そしてこの音楽室で女性の死体を見つけたのだが、その数分後この部屋から死体が消えて、更にその後階段近くの倉庫の中で発見された。

「窓の鍵は閉まっていた。扉の前には四人の高校生がいた。簡単に言えばこの部屋は密室だったんだ。犯人は一体どうやって侵入し、死体を消したのか。君にはその方法を考えてもらいたい」

 近藤が言うと、白峰は教室の中へと足を踏み入れた。

 部屋全体を軽く見回した後、その場にしゃがみ込んで、床の木を軽く叩く。

「……やはりそうですか」

 数秒後、彼は静かにそう言った。

「何か分かりましたか?」

 若林が尋ねると、白峰は立ち上がり、くるりとこちらを向いて笑った。

「はい。この密室から死体を消す方法が分かりました」

「何だと⁉」

 白峰の言葉に近藤が怒鳴るように言った。

 湊も目を見開いて絶句していた。

 まだ部屋を見ただけだ。それだけなのにもう分かってしまったと言うのか。

「一応確認ですが、このピアノ足が床を突き抜けていますよね? この真下の部屋の天井からも突き抜けてますか?」

 白峰がそう質問すると、若林は「いえ、突き抜けてなかったですね」と答えた。

 満足そうに白峰は頷く。

「と言うことは、死体の隠し場所は一つしかありません」

 そう言って、白峰は再びその場にしゃがみ込んだ。そして床の木に触れる。

「グランドピアノの足の高さは種類にもよりますが、だいたい七十センチメートルぐらいだと思われます。その足が床を突き抜けているにも関わらず、一階の天井まで達してないということは当然、という事になります」

 ギィッと音を鳴らしながら白峰は床板を一枚剥がした。

「つまりここが、死体の隠し場所です」

 不自然に空いた床の穴を指で指しながら、白峰は軽い口調でそう言い放った。

「床下か……」

 近藤が呆気にとられたような表情をしながら呟く。

「はい。多分、犯人も最初からこの中に隠れていたのでしょう。そして、死体が四人の高校生に見つかり急いで床下に隠して、隙をみて倉庫へと移動させた──というのが一番合理的な考え方だと思います。なのでこの床下を詳しく調べれば犯人は見つかると思います」

 白峰がそう言うと、近藤は顔をしかめながら軽く頭を下げた。

「流石だな。今回は助かったよ。だからもう帰っていいぞ」

 呼び出しておいて素っ気ない、と湊は思ったが、白峰は「そうですか。分かりました」と頷くと湊の手を取った。

 突然の事で「へっ?」と変な声が出た。

「では一ノ瀬さん。お昼、食べにでも行きましょうか」

 殺人現場に来ているのに、まるで普段の日常の中にいるかのように軽く笑いながら白峰はそう言って湊の手を引いて音楽室を後にした。

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