6


「それはもうデートじゃん」

 目の前に座っていた真紀は呆れたようにそう言った。

「……やっぱり?」

「当たり前だよ! 男女が二人で出かけて、一緒にイベントに参加して、ご飯食べたんでしょ? これをデートと言わずして何と言えばいいのさ!」

 ガンと机を叩きながら真紀が言うので、湊は肩を竦めるしかなかった。

 湊たちは今、大学内の食堂にいた。

 今はちょうどテスト期間なので、食堂を利用している学生は極端に少なく、真紀の騒ぎを気にかける者は見当たらなかった。

 それでも大声で叫べば迷惑だし、そもそもデートだなんて大声で言うな。

「うぅ、私が意味不明な数式に精神破壊されている時に湊は楽しんでいたなんて」

 今度はいじけたように真紀はテーブルに指を這わせていた。

「それは真紀がちゃんと授業を受けてないからでしょ? いつも寝てるから」

「睡眠学習だよ!」

「学習出来てないから、意味不明なんじゃないかな」

 湊がそう返すと、真紀はうあぁぁ、と奇声を発して突っ伏した。あと少し横にずれていればカレーライスに突撃するところだった。

「勉強なんて大嫌いだ〜」

「そんなんで大丈夫なの?」

 不意に横から声が入ってきた。

 透明感があり、美しいと思える声。

 声の方を向くと、一人の女性がトレーを持ってこちらに歩いて来ていた。

 同性から見ても美人だと思える端正な顔立ち、凛とした表情を浮かべていて、歩くたびにポニーテールが揺れる。

「ひかり!」

 真紀が顔を上げてそう呼びかけた。

 彼女の名前は、瀧本たきもとひかり。真紀や湊と同い年で、同じ軽音サークルに属していてバンドを組んでいる仲間である。

 しっかり者であり、この凛々しい姿と、人を魅了する歌声は大学内でもかなりの人気を誇っているが、その人気の一端はときどき顔を覗かせるひかりの天然な部分によるギャップ萌えなんだとか。

 ちなみにバンド名は『Crescent Moon』で、「カッコいい単語使いたい」などの意見が上がり(主に真紀の意見だが)ひかりが考えたものだ。ひかりがボーカル、湊はギターの担当で真紀はベースだ。

 メンバーは他にあと一人いるのだが、今日はいないようだ。

「さてはテストで失敗したのね?」

 ひかりは真紀の横の席に座ると、ニヤリと笑ってそう言った。

「な、何故分かったのですか……」

 真紀が愕然とした面持ちでそう答える。むしろ何故分からないと思ったのか。

「勉強なんて大嫌いだ〜って聞こえたから」

 ひかりは軽い口調でそう返し、うどんを啜った。

 普段なら温かいのだが、この時期のうどんはざるうどんに変わっていて、暑さを乗り切る為にはなかなか役に立つ。味もまあまあ美味しいし、安いからお得である。

 逆に言えば、目の前でカレーライスを食べている真紀は鉄人なのかもしれない。

 ちなみに湊が食べているのは、自作のお弁当である。

「真紀、もうすぐライブあるのよ? 追試で出られないなんてやめてよね」

 ひかりが真面目な口調でそう言ったが、その口調の中に微かに諦めが含まれているのが湊には分かった。

「大丈夫! その時は追試をサボるから!」

「サボっちゃダメに決まってるでしょ」

「じゃあどうしろと⁉」

「勉強しなさいよ!」

 まるで親子の会話だ。

 クスッと湊が笑うと、真紀がこちらを見てムッとしたように頬を膨らませると、ひかりの方へ向き直った。

「ひかり。実はね、湊に彼氏が出来たの!」

「は?」

 待て、その話題は良くない。実に良くない。

 慌てて訂正しようと身を乗り出す瞬間、ガタッと大きな音が隣から聞こえた。

 気付けばひかりが隣に移動していた。

「その話、詳しく知りたい」

 あぁ、始まった。

 湊はがっくりと項垂れた。

 普段は凛としているひかりだが、そんな彼女にも好きな事はある。それは恋バナだ。

 しかも自分の事ではなくて、他人の恋バナにものすごい興味を抱くのだ。

「いや、あの、誤解だよ! 彼氏なんて出来てないって」

「デートしたんでしょ」

「……真紀、もう勉強教えてあげないから」

「そんな殺生な!」

「デートしたの⁉ ねぇねぇ、どんな感じだったの?」

「いや、だからデートじゃなくて……」

「あれはデートだよ! 間違いないって」

「真紀は少し静かにしてなさい!」

 湊はあたふたとしながら、訂正と牽制を繰り返していく。

 結局、理解してもらうのに十五分もの時間をかける事となった。




 なんとかひかりの誤解を解いて、解散した時には既に午後二時を回ろうとしていた。

 涼しかった食堂を出てしまえば、強烈な暑さが待ち構えていた。あちらこちらから聞こえる騒々しい蝉の鳴き声が余計に体感温度を上昇させる。

 帰路につく体は大学を出る前なのに既にかなり疲弊している。どうして昼食にあれほど体力を使わなければならなかったのか。

 更にこの暑さ、ああ耐え難い。

 項垂れてゾンビのようになりながら歩いていると、ふと前方に見知った顔を見つけた。そして同時に不思議に思った。

「近藤さん! 若林さん!」

 見知った顔にそう呼びかけると、刑事二人は安堵した様子でこちらに駆け寄ってきた。相変わらずのスーツ姿だった。

「よかった。まだいたんですね」

 若林がそう言った。安心したような顔で、頬を汗が流れていく。この時期のスーツはかなり暑いだろう。

「私に何か用ですか? あ、また容疑者ですか?」

 湊がそう皮肉をぶつけると、近藤の顔が苦虫を噛み潰したかのように歪んだ。

 以前、殺人事件の容疑者と疑われたので、ささやかなお返しだ。

「冗談にしてはなかなか痛い所を突くね。まぁ君に直接用がある訳ではなくて、彼の居場所を教えて欲しいんだが」

 近藤が大きく息を吐いてそう言った。

 彼、という事は白峰の事だと思うが、何故私を訪ねてきたのか理解出来ない。

「若林さんなら直接連絡出来るんじゃないんですか?」

 湊が言うと、若林は困ったように頷いた。

「そうなんですけど、連絡したら、『すみません。今テスト期間で勉強しているんです。お手数ですが、僕の部屋までお越しください。場所なら一ノ瀬さんが知っていますから』と」

「なるほど」

 気付かぬ間にパスされていたみたいだ。

 まぁ白峰さんからそう言われているなら仕方ない。

「分かりました。ご案内します」

 湊はそう言って、彼の住む学生寮へと向かった。

 大学の正門を出て、左へとまっすぐ進めばすぐに男子学生寮の凛海荘が見えてくる。

 海をイメージしているのか、淡い水色に青くさざなみのような模様が入っている外観の建物。

 四階建てのその寮は一見では普通のアパートのようにも見える。

「ここの107号室が白峰さんの部屋です」

 湊はそう説明して、入口のガラス扉を抜けてエントランスに出た。

「ちょっと、何してんだい」

 唐突に声をかけられて湊は驚いた。

 視線を彷徨わせると、エントランスの壁に付けられた小さな窓からおばあさんが怪訝そうにこちらを睨みつけているのに気付いた。

 おそらく、管理人の人だろう。

「ここは女の子立ち入り禁止だよ」

「すみません。実はこういうものでして」

 近藤が愛想よく管理人さんの前に出て、手帳を見せつけるとあからさまに困惑したように目を見張った。

「え、何かあったんです?」

「いえいえ。ここに住む白峰という青年とは少し面識がありましてね、お話がしたいと言ったらこの子が案内をしてくれたんですよ。今回だけは大目に見てもらえませんかね?」

 流石と言うべきか、見事な変わり身だ。

 管理人さんも「そう言う事なら」と納得してくれた。

 その後に小さく「他の寮生には出来るだけ見つからないようにね」と忠告された。

 湊は頷いて、迷う事なく白峰の部屋へと向かった。

 107号室の扉の前に立ち、深呼吸をしてノックする。

「白峰さん? 一ノ瀬です」

 そう声をかけると、すぐに扉が開いて白峰が顔を出した。

「こんなところまでご足労いただきありがとうございます。狭いですけど上がってください」

 白峰は丁寧な口調でそう言った。




 普段は二人きりだったので気にならなかったが、大人の男性が二人追加されると、流石にこの部屋は狭いように感じる。

 白峰はクローゼットから座布団を二枚出して床に置いた。刑事二人はそこに座り込む。

 白峰は部屋の隅にある机から椅子を引いて向かい合うように座った。

 行き場の無くなった湊は、とりあえず邪魔にならないようにベッドの上に避難するしかなかった。

「男子大学生にしては質素な部屋だな」

 近藤が部屋を見回しながらそうぼやいた。

 部屋の主人は苦笑を浮かべて「特に趣味が無いんですよ」と言った。

「それで、電話でおっしゃっていた重大な事実とは?」

 無駄話は終わりというように、白峰が問いかけた。

 重大な事実? そんな話になっていたのか。

「若林。説明してやれ」

 近藤が振り、若林が手帳を開いた。

「昨日あの後、白峰さんの言った通り改めて音楽室と床下を徹底的に調べてみました。まずは音楽室の床板から血液反応が出ました。どうやら床に広がっていた血はタオルか何かで拭き取られていたようですが、それだけでは反応は消せませんからね。位置も四人の高校生の証言と一致するので被害者である木下友恵さんが殺されたのはあの音楽室で間違いないでしょう。ですが、問題は床下でして」

「何かあったんですか?」

 白峰が少し前かがみになる。

 若林は難題にぶち当たったような表情をしていた。

「遺体を消失させるには、あの床下は絶好の隠し場所だと我々も思いました。それであの床下を徹底的に調べたのですが、被害者の毛髪や指紋は確かに床下から出てきました。……しかし、血液反応は一切出てこなかったんです。それに犯人のものと思われる毛髪なども、全く出てきませんでした」

「えっ⁉」

 湊は思わず声を上げた。

 そんな、まさかそんな事がありえるのだろうか。

 白峰に視線を向けると、彼は口元に手を当てて、白い髪の毛の奥に隠れた表情は分からないが、かなり困惑しているように見えた。

 ここへきて、白峰の推理が外れるなんて。

「俺も死体を隠す場所は床下しか無いと思ったが、どうやら犯人はもっと別の方法で死体を密室から消したらしいな」

 近藤も、両手を広げてため息混じりにそう言う。

「……そうですか」

 低い声で白峰はそう呟くと、ガリッと頭を掻いて俯いた。そのまま部屋の中を沈黙が支配していく。

 しばらくして、白峰が顔を上げた。

「もう一度、現場に行きたいのですが」

 もしかしたら何か閃いたのだろうか。

 白峰が言うと、近藤は「最初からそのつもりだ」と得意げに言った。

 そして刑事二人と白峰はぞろぞろと部屋を出る準備を始める。

 湊がぼーっとその様子を眺めていると、白峰から声をかけられて、何かを手渡された。

 見てみるとそれはシンプルな鍵だった。

「僕たちはこれからまたあの第二校舎へと向かいます。それまでこの部屋は好きに使っていていいですよ。今帰ると暑いですからね。もし帰る時は部屋の鍵を閉めて、管理人さんに預けておいてください。では」

 早口で白峰はそう言って、刑事と共に部屋を出て行った。

 静けさが辺りを包んで、なんとなく寂しくなった。

「好きに使っていいと言われても」

 他人の部屋で好き勝手出来るような性格ではない。

 白峰にも申し訳ないし、すぐに帰ろう。

 湊はそう思い帰ろうとしたところで、ふと本棚に目を奪われた。

 そこにはいろんな本がずらっと並んでいた。

 そしてその一部に釘付けになる。

「あっ! 杉竹春真の『悪意』がある! この前もらった『亡霊』も……うわ! 『空虚くうきょ』もだ!」

 大好きな作家の本が並んでいて湊は喜んだ。

 そして、小さくガッツポーズを作る。

『悪意』と『亡霊』は長編で、『空虚』は短編集だ。

「白峰さん、好きに使っていいって言ってたし、少し読ませてもらおう」

 うんうん、と何度も自分言い聞かせて、湊は『悪意』を本棚から抜いた。その瞬間、本の隙間から一枚の紙が落ちた。

「……ん? あちゃ、ごめんなさい白峰さん」

 湊はうわっと思いながら落ちた紙を拾い上げた。

 どうやらそれは古い新聞記事の切り抜きたやつのようだ。日付を確認すると、それは三年前の日付だった。

「三年前……」

 脳裏をよぎる光景。ノイズのような雨音が耳の奥で響いた。

 湊は頭を振って、無理やり脳裏にこびりついた光景を振り払う。そして湊は疑問を抱いた。

 何でそんな昔の新聞がここにあるのだろう──。

「……えっ」

 改めて新聞に目を向けて、湊は言葉を失った。

 手から新聞が落ちる。けれどそんな事を気にする余裕は無かった。

 その新聞には一つの事件について書かれていた。

 そしてその事件は、湊を絶句させるには充分すぎるものだった──。

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