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「本当に分かったのか?」

 信じられない様子で近藤が言う。

 湊も同じような気持ちだった。話を聞く限りでは到底犯人に結びつきそうにもなかったのだが。

「一つ一つの根拠は脆弱かもしれませんが、それを繋ぎ合わせると一つの答えが出てきます。恐らくそれが真実ですよ」

 白峰がそう言うのと同時に部屋の戸が開かれて、先ほど話を聞いた四人の高校生が再び姿を現した。

 もう終わったと思ったのだろう。四人とも不安げな表情を浮かべていた。

「まだ何かあるんすか?」

 松本がため息混じりにそう言った。

 白峰はクスリと笑って頷いた。

「はい。皆さんにもこの事件の真相をお話しします。知りたいでしょう? 目の前で起きた不可解な現象の答えを」

「えっ……」

 山井が目を見開く。

「わ、分かったんですか?」

「えぇ。誰が木下さんを殺害したのか──も分かりました」

 白峰の言葉に四人は目の色を変えた。

 疑心と期待が入り混じった曖昧な視線が白峰に集まっている。

 白峰は悠然とした動きで五線譜の入った黒板の前に移動する。

 近藤と若林と湊は少し壁の方に寄り、四人の高校生たちは授業を受けるように黒板の正面に向き合うように置かれた椅子に座った。

「……まずは一から確認しましょう。皆さんは事件のあった日、この第二校舎には肝試しをしに訪れた。一階から順番に色々部屋を調べて回り、二階へと移動して松本さんが最初に音楽室で木下さんの遺体を発見した。これが大体十一時前の出来事です。それから十分ほど経って音楽室から遺体は消え失せた。そしてその後階段近くの倉庫から木下さんの遺体は発見された──これが今回の事件の大まかな流れであってますか?」

 白峰はこの部屋にいる全員を見回しながらそう問いかけた。

 代表して松本が頷いた。

「間違いねぇ」

「そうですか。では、一つ一つ解き明かしていきましょうか」

 白峰はそう言って、チョークを手に取り黒板に文字を書き出した。

 さすがに廃校の黒板とチョークでは綺麗な白い字は書けないようだったが、それでも読むだけなら充分だ。

『密室から死体が消えた謎』

 五線譜の上にはそんな文字が浮かび上がっていた。





「ではまずは密室から死体が消えた理由について考えていきましょう」

 軽く手を叩いて白峰は黒板の前からゆっくりと歩き回る。

 その様子は本当に授業中の教師のように見える。こんな先生だったら、みんな好きになってただろうな、と現実逃避じみた事が湊の頭の中を過る。

「松本さんが音楽室の戸を開けた時、確かにこの部屋で木下さんは倒れていました。それは皆さんも目撃していますし、確かな事だと思います。窓には鍵がかかっており、その鍵は錆付いていて簡単には開けられません。そして出入り口の扉の前には皆さんがいたのですから、状況的にはこの部屋は密室だったのです。この音楽室には、見て分かる通り人を隠すようなスペースはありません」

 そう言われて、一同は改めて部屋の中を見回した。

 五線譜の黒板、それに向かい合うように置かれた数個の椅子、足が床を突き抜けたグランドピアノ。この音楽室にあるのはそれだけだ。白峰の言う通り、人を隠せるようなものは何も無い。少なくとも床の上には。

「しかし、木下さんはこの部屋から姿を消した。一体どこへ消えたのでしょうか?」

 再び白峰が問いかける。

 しかし、皆は首をひねるしかない。それが分かったら誰も苦労はしないだろう。

「……僕は最初にこの部屋に入った時、気付いたことがあります。多分皆さんもお気付きだと思いますが、ピアノの足が床を突き抜けています。ですが、この部屋の真下、つまり家庭科室の天井にはピアノの足は突き抜けていなかったのです。これはどういうことでしょうか?」

「どういうことなんです?」

 山井が尋ねる。

「簡単です。つまり、この床の下にはそれだけの空間があるという事です。……人を隠すには充分すぎる空間が」

 白峰はその場でしゃがみ込んで、床板を一枚剥がした。その瞬間、ギィッという音が部屋に響く。

「この音……」

 松本が何かに気付いたように声を上げる。

 白峰もその反応に満足そうに頷いた。

「そうです。これが松本さんが聞いた音です。つまり、犯人は木下さんの遺体を一時的にこの床下へ隠したのです。それが密室から死体が消えた理由です」

「待て」

 近藤が手を挙げて割り込んだ。床下を覗き込んでいた白峰は顔を上げて近藤の方を向く。

「床下には木下友恵の血痕は全く残ってなかったんだぞ? ルミノール反応も出なかった。それに犯人のものと思われるものも何も無かった。髪の毛一本すら無かったんだ。床下に隠したならありえないだろう?」

「それについては一旦置いておきましょう。ひとまず仮説です」

 白峰は近藤にそう返して、もう一度床下へ視線を戻した。

「犯人はこの床下へ木下さんを隠しました。皆さんが犯人の姿を見てないのなら、当然この犯人も一緒に床下へ隠れたはずです。……ですが、この場合いくつか矛盾点が出てきます」

 白峰は立ち上がり、黒板の前に戻っていった。

「まずは今近藤さんが言った通り、一緒に床下へ隠れたのなら少なくとも一本は犯人の毛髪などが落ちているはずです。しかし。人の髪の毛は一日に何本も抜けます。それなのにその髪の毛を一本も残さずに床下に隠れるなんて不可能だと思いませんか?」

「……確かにそうですね」

 若林が同意を示す。

「しかし、逆を言えば髪の毛や指紋の残っていた木下さんは床下に隠されたという可能性は比較的高いと思います。ですが、この場合もう一つ問題点があるのです」

「……血痕だな」

 近藤が言い、白峰は満足げに頷いた。

「そうです。木下さんの倒れていた床板には拭き取られていましたが、ルミノール反応が出ました。それなのに、床下からは一切出てこなかったんです。これは不思議ですね、床下に隠す時には既に血は流れてなかったのでしょうか? いいえ、たとえその時点で出血が止まっていたとしても、すでに血のついた部分が触れていればそこにルミノール反応が出るはずなのです。全く出てこないのはおかしい。僕は完全に行き詰まってしまいました」

「何だよ。やっぱ解けてねぇのかよ」

 松本が吐き捨てるように言った。他の人も落胆したように顔を伏せた。

 諦めのような空気が部屋の中に広がっていく。

 それを見て白峰は苦笑いを浮かべた。

「まぁもう少し聞いててください。……密室から死体が消えた謎について行き詰まった僕は、次に“何故死体が消えたか”ではなくて“誰が死体を消したか”を考えました。まずは外部からの侵入者が犯人である可能性。しかし、これはすぐに不可能だと思いました。音楽室の出入り口には皆さんがいたし、窓は鍵がかかっていました。仮に鍵がかかってなかったとしても、この部屋は二階です。窓から証拠を何も残さずに入るのは困難でしょう。つまり、誰にも気付かれずに音楽室に侵入出来たとは思えません。

 なので、僕が次に考えたのは皆さんが共犯だったという可能性です」

「なっ⁉」

 白峰が提示した可能性に四人の高校生たちは動揺した。

 それはそうだろう。いきなり犯人だと疑われれば誰だって驚く。

「待てよ! 俺たちはやってねぇぞ!」

「そうよ。犯人じゃないって何度も言ってるでしょ」

 松本と香澄が怒鳴るように否定した。

 白峰はそれをまるで聞こえていないかのように無視して口を開いた。

「皆さんが共犯だった場合、密室から死体が消えた謎も解けます。全員で架空の犯人を作り上げて、みんなで協力して死体を隠されたように細工を施して、それを密室から死体が消えた事にすればいいだけ。つまり密室から死体が消えるなんて事は最初から無かったという事になります。……ですが、これもやはり間違いです」

「えっ?」

 湊が思わず声を上げる。

 今の推理なら、密室の謎も解けるのにいったい何が間違っていると言うのか。

「何が間違いなんだ?  今のなら全て解けるんじゃないのか?」

 湊の疑問を近藤がそのまま白峰にぶつけた。

「考えてみてください。確かに、高校生の皆さんが犯人だった場合、密室の謎も解けます。ですが、皆さんが犯人だったのなら、?」

「あっ……」

 どこからかそんな声が聞こえた。

 そうだ、それはかなり不自然な事だ。

「そもそも彼らが皆共犯だったなら、遺体を床下に隠す必要なんて無いのです。この第二校舎は既に廃校になっていました。そのまま誰にも告げずに遺棄すればしばらくは見つからない筈です。しかも、遺体を発見した日は隣の第一校舎でイベントがあり、大勢の人が訪れていました。仮に見つかったとしても、真っ先に容疑者に挙げられるのはイベント参加者だった筈です。その状況で何故わざわざ通報するのでしょうか? それも密室から死体が消えて、別の部屋に移動したなんて不可解な状況まで付け加えて。これでは自分たちを追い込むだけでしょう?」

 言われてみれば確かにおかしい。

 自分で自分の首を絞める犯人がどこにいる。普通ならありえない。

 犯人だと疑われた高校生たちも、白峰の推理に圧倒されながら、安堵の表情を浮かべていた。

「外部からの侵入は不可能。高校生たちも犯人ではありえない。こうなると、犯人はとしか考えられません。皆さんが木下さんを発見した時点で、犯人はこの部屋の中に潜んでいたのです」

 安堵の表情はすぐに戦慄したように強張った。

 そんな近くに犯人がいたなんて思ってもみなかったのだろう。

 けれど、それも先ほどと同じ理屈で考えると不可能という事になる。

「ですがこれもやはり間違いですね。先ほども言った通り、それなら必ず毛髪か何かは残っている筈なんです。よってこの推理もハズレ。……困りました、完全にお手上げです」

 両手でお手上げのポーズをして白峰は言った。

 なんとも言えない空気が部屋を満たす。

 それに耐えられず、近藤が何かを言おうとした時、唐突に白峰は「ですが」と声を発した。

「ある人が、僕に言ってくれたのです。「左じゃなくて右。逆だった」と」

 それを聞いて一人を除いた全員が首を傾げる。

 その“ある人”の正体である湊は困惑していた。とてもじゃないが、ただの鍵を入れたポケットの話だなんて言えない。

「その時僕は気付いたのです。逆だったのなら、密室の謎も、倉庫へと移動した謎も解けるという事に」

 そう白峰が言い切り、周りはどよめいた。

「逆ってどういう事ですか?」

 若林が問いかけた。

 白峰がチョークを再び手に取る。

「……答えは最初から目の前に転がっていたのです。どうして今までそれに気付けなかったのか、情けない限りですが、ようやく僕は辿り着きました。やはり犯人は木下さんを床下へ隠して自分も床下へ隠れたのです」

「だからそれはありえないと……」

「いいえ。ありえます」

 うんざりとした様子の近藤の言葉に被せるように白峰が言った。

「床下には木下さんの毛髪や指紋が残っていたが、それ以外の物証は何一つ残っていなかった。外部からの犯行は不可能で、犯人は最初から部屋の中にいたとしか考えられない。ここまでは理解出来てますね?」

 白峰は全員にそう問いかけた。

 一同はそれに頷く。

「この条件で考えると、誰一人として犯行は不可能だと思ってましたが、ただ一人だけ犯行が可能な人物がいたんです」

 白峰はゆっくりとした口調で話す。

 誰かの息を呑む音が聞こえた。

「密室の中で、誰にも見られる事なく、証拠を何一つ残す事なく、死体を消してみせた。その人物は外から侵入してはいない。最初から密室の中にいた──」

「だからそんな人間がいる訳がない」

「いいえ。いたでしょう? 

「何を言って……」

 近藤がそこで言葉を切った。

 愕然としたように目を見開いて、口は半開きのまま固まった。

 湊もようやく気付いた。その人物の正体に。

 白峰は黒板にその名前を書き込んでから、静かに言った。

「密室から死体を消したのは、木下友恵さんです」

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