11


「馬鹿な……ありえないだろ」

 近藤は呆然としながらそう吐き出した。

 他の皆も声には出さないが、同じように思っているのだろう。

 実際、湊もありえないと思った。死体が自力で動いたなんて信じられない。

「ありえますよ」

 白峰は短くそう答えて、再び音楽室の中を歩き回る。

「床下には木下さんの毛髪や指紋が残っていただけで血液反応は全く出なかった。つまり、木下さんはその時点では出血してなかったんです。そして自ら床下に姿を隠した、そう考えれば全て辻褄が合うんですよ」

 白峰は高らかにそう言うが、近藤の表情は未だに険しいものだった。

「木下友恵が自ら床下に隠れた、しかも出血をしてなかった。という事は、その時点で木下友恵は生きていたと言うのか?」

 近藤の問いかけに白峰は頷く。

「そう考えられますね。皆さんが木下さんを発見した十一時前後にはまだ木下さんは生きていた」

「ありえない」

 そう否定したのは松本だった。

「俺が最初に木下を発見した。胸にはナイフが刺さっていた。死んでたに決まってる」

 焦っているのか、興奮してるのかは分からないが、早口で松本がまくし立てた。

「そうだ。それに死亡推定時刻は三十分から一時間前だと検視官は言っていた。君の推理が正しいとするなら合わない」

 近藤も便乗するように反論を唱えるが、白峰の表情は依然強気なものだった。

「近藤さん。よく思い出してください。木下さんの遺体が見つかったあの倉庫の状況を」

「……状況?」

「そうです。あの倉庫には窓の類いは一つもなくて完全な閉め切り空間にありました。それ故にあの部屋はかなり温度が高かったはずです。それに殺人があったあの日は今年の最高気温を記録していたんです。つまり、あの倉庫の中はサウナのような状態だったでしょう」

「それがどうし……」

 眉間にしわを寄せながら近藤はそう言いかけて不意に言葉を切った。

 代わりに深く刻まれていた眉間のしわは消えて、その目はこれでもかというほど大きく開かれていた。

 それを見て白峰は嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。

「気が付きましたね。そうです。死体から死亡推定時刻を割り出す時は主に死斑や体の硬直具合から逆算していきます。そしてのです。まぁ、使い古されたトリックですけどね」

「つまり、本当の死亡推定時刻はもっと後という事か」

「勿論、今時そんな簡単に死亡推定時刻は誤魔化せませんよ。検視官の方だって室温による時間トリックの可能性くらい分かっている筈ですから。ですが、丁度その死亡推定時刻に死体を目撃した人がいたのなら話は別です。そこまで来てしまえばもうその診断結果を疑う必要は無くなるのですから」

 近藤が悔しげに視線を落とした。

「……違う。あの時点で木下は死んでたんだ」

 まだ納得がいかないのか、拳を自分の膝に叩きつけながら松本が吐き出す。

「確認したんですか?」

 その様子を見て、白峰は静かに言う。

「何?」

「木下さんが完全に亡くなっているとあなたは確認したんですか?」

 もう一度、今度は少し強い口調で白峰が問いかける。

 松本は言葉を詰まらせて、それから小さく首を横に振った。

「お気持ちは分かりますが、もう少し推理にお付き合いください」

 白峰は松本に優しく口元に笑みを浮かべてそう言うと、空気を変えるように手を叩いた。

 それだけで、ピリッと張り詰めた緊張感に包まれるような感覚に陥るから不思議だ。

「では少し木下さんは自ら床下に隠れた、つまり、まだ生きていたという前提でもう少し話を続けましょう。

 突然部屋から姿を消した木下さんを捜索するために皆さんは一階と二階の部屋を手分けして調べ始めました。そして十一時十五分頃、松本さんが布を頭から被った女性が二階の廊下を歩いているのを目撃した。間違いありませんね?」

「……あぁ」

「そしてこの数分前に、山井さんはこの音楽室の真下の家庭科室で天井からの物音を聞いた。これも間違いありませんよね?」

「えっ、あ、はい」

 突然話が振られて、山井はたどたどしくそう答えた。その横で香澄も「私も聞いた!」と手を挙げた。

「この話を聞いた時、僕は少し不思議に思いました。何故なら昨日この学校を訪れた時、二階には大勢の捜査員が動いていたはずなのに一階にその音は聞こえてこなかったのです。では、山井さんの聞いた音は何だったのでしょうか?」

 白峰の問いに誰も答えない。

「……僕は床下から聞こえたのだと思いました」

 少し間を空けてから白峰は言った。

「二階の床よりも下の位置にあり、一階の天井のすぐ上です。この床下で誰かが動いた時に発生した音だと考えました。実際に、警察の方が床下で動く時の物音を聞いていますので、おそらくこの推測は正しいと思います。では次に誰が床下で動いたのか。これは先ほどの話から明らかですね。床下にいたのは木下さん以外にありえない。つまり、木下さんが床下で動いたという事になります」

 白峰はそこで一旦切ると、黒板にチョークを走らせた。

「次に考えるのは、何故動いたのか、ですね。こちらも答えは思ったよりも簡単です。移動する為に、床下から出ようと動いたのです。一階と二階で二人ずつ分担されている今なら移動出来ると考えたのでしょう。しかし、万が一の可能性もある。そこで木下さんは布を頭から被り、顔を分からなくして音楽室から倉庫の方へ歩いたのです」

 白峰が言い切ると、松本が目を丸くしていた。

「えっ、じゃあ俺が見たのは……」

「はい」

 白峰が頷いてチョークを置いた。

 黒板には、『布を被った女性=木下友恵』と達筆な字で書かれていた。






 白峰の推理を聞きながら、湊はただ唖然としていた。

 彼の推理は今までも何度か聞いた事はある。そしてその度に改めて凄いと思わされる。

 今回は特に情報は少ない筈なのに、理路整然と推理は展開されていく。

 そこでふと思う。彼は本当に何者なのだろうか。

 白い髪の奥に隠れたあの透明な瞳も、彼の部屋で見つけた白峰という名の弁護士の家族が殺害された事件との関係も、私は彼について何も知らない。

「……さて、事件の本題はここからですね」

 そう言う白峰の声で、湊の意識は思考の世界から帰ってくる。

 そうだった。まだ事件は解決していない。

「木下さんが自分の足で倉庫へ向かった。ここまではいいですね?」

 白峰が全員に確認を取る。その時、一人が手を挙げた。中川だった。

「状況的に友恵が自分で床下に隠れた、というのは納得出来ましたけど、倉庫へ自ら向かったというのは少し考え難いのですが、何か根拠はあるんですか?」

 席を立った中川は、目を細めてじっと白峰を見つめる。

 白峰は小さく頷いて、右手を皆に向けて差し出した。

「根拠は指紋です」

「指紋?」

 近藤が聞き返す。

「はい。倉庫の扉には全員の指紋が残っていました。つまり、。という事は、木下さんは自分で扉に触れたと考えられます。もしも音楽室で殺害したのなら倉庫に指紋を付ける必要はありません。音楽室で亡くなっていたのに、倉庫に指紋が残ってたなら不自然ですからね。やはり木下さんは自分の足で歩いて倉庫へ向かったと思われます」

 白峰が言うと、中川が不服そうにしながらも席に座った。

「それで、問題はここからです」

 白峰が少しだけ低くなった声で発したその一言で、更に緊張感が高まった。

 白峰は再び黒板に文字を書いていく。

「いいですか、今までの話から木下さんは倉庫に自分の足で向かったのです。つまり、この時点で木下さんはまだ生きていた。……ですがその後、木下さんは遺体で発見されました。という事で、これが次に考える問題です」

 白峰がくるりと向き直り、黒板を指差す。

 黒板には新たに『誰が木下友恵さんを殺害したのか?』と書き足されていた。

「誰がって……」

 香澄がポツリと呟く。

 誰が犯人かなんて特定出来るのだろうか。

 そういえば昨日、白峰は『容疑者は四人』と言っていた。

 その四人は一体誰で、どうやって絞り込んだのか、湊には予想もつかない。

「では、一つずつ話していきましょう。密室を解き明かす時にも言いましたが、今回の事件は全て逆だったと考えれば答えに繋がっていきます」

「その逆って何の事なんですか?」

 湊はたまらず自分の抱いた疑問をぶつけた。

 白峰はチラッとこちらを向いて微かに微笑んだ。

「工作です」

 それから淡々とした口調で言って、白峰はチョークで黒板に何かを書き込むと、くるりと振り返った。

「順を追ってお話しします。まずは容疑者を絞り込みましょうか」

 そう言う白峰の後ろの黒板には『容疑者は誰?』と書かれていた。

「事件の起きた日は、すぐ隣の第一校舎でイベントが行われていて、そこには大勢の人がいました。その全員が容疑者だとしたら途方もないですね。しかし僕は最初、その中に犯人が紛れていると考えてました。皆さんがこの音楽室で木下さんを発見した午前十一時よりも前に殺害されていたのだとしたら、犯行後、その人混みに紛れる方が自然だと思ったからです。しかし、これでは密室から死体を移動させる方法が分かりませんし、何よりも数が多すぎる。

 ですが、木下さんが音楽室で殺されておらずに、倉庫へ移動して殺されたのだと考えると膨大だった容疑者は僅か数人に減るのです」

 白峰がさらりと告げて、部屋の中に何重もの驚きの声が響いた。

 湊はイベントの状況を思い返す。

 少なくとも百人ほどはいた気がする。それが一瞬で数人まで減るなんて、にわかに信じ難い。

「思い出してください。まず事件の日はこの第二校舎は立ち入り禁止になっていました。普通の人が入り込むとは考えづらいですね」

 白峰の言葉に立ち入り禁止の中に入った四人の普通の人の顔が微かに引き攣る。

 だが、それを気にする事なく、白峰は話を続ける。

「もしも皆さんがこの校舎へ忍び込む前に犯行が行われていたのならその時点で僕の推理は破綻しますが、推理通り木下さんが倉庫で殺されたとなると一つ重大な事実があります」

「重大な事実だと?」

 近藤が首を傾げて聞き返す。白峰はそれに大きく頷いた。

「はい。いいですか皆さん。木下さんは音楽室で殺されていない、更に布を被った女性が木下さんだったのなら、彼女が殺害されたのは少なくとも十一時十五分以降という事になります」

「それがどうしたんだ?」

「……つまり、、という事です」

 湊は小さく「あっ」と声を漏らした。

 そうだ。音楽室で殺されていなかったのなら、その後どこかのタイミングで殺されたというこの事になる。そしてその時、この校舎の中には四人の高校生がいた。

 つまり、犯人はその四人の目を掻い潜って犯行を実行したのだ。

「探索は二人ずつに分かれて、一階と二階を手分けして行われていた。これは間違いないですよね?」

 白峰が問いかける。

「……はい」

 山井が、力なくその問いに頷いた。

「という事は、犯行時刻には一階と二階どちらにも監視の目があったという訳です。この状況で誰にも気付かれずに校舎の中へと忍び込み、木下さんを殺害して逃走した、というのは少し無理があると思います。いくらなんでもリスクが高すぎます」

「え?じゃあ犯人は分からないままなんですか?」

 若林が疑問の声を上げるが、白峰は若林に視線を移してからすぐに首を横に振って否定した。

「いいえ。容疑者はもう絞り込まれました」

「えっ?」

「犯行時刻に犯人が外部から侵入した可能性は限りなく低いです。そうなると考えられる可能性はたった一つ、

 白峰が言うと、近藤は小さく息を吐いた。

「それは無いだろ。中に犯人が忍び込んでいたとしても、誰にも見られずに犯行を行うのは難しいし、君自身も言ったろ。犯行後に誰にも見つからず逃走出来るとは思えない。もっと言えば、その犯人に繋がるものは何も見つかっていないし、そこにいる皆は誰も見ていないと証言しているんだ」

 近藤の反論に白峰は微笑を浮かべた。

「ええ、そうです。だからこそ容疑者が絞り込めるのです」

「……何?」

「近藤さんの言う通り、元から中にいたとしても犯行後に誰にも見られずに校舎の外へ逃げれる可能性は低いでしょう。それに皆さんは怪しい人物は誰も見ていないと言う。なら考えられる可能性は一つでしょう?」

 白峰はそう言って、黒板に新しく文字を書く。

。何食わぬ顔でずっと校舎の中に潜んでいたんですよ」

 文字を書き終えて、白峰は四人の高校生に視線を向けて、黒板に書いたものを改めて口にした。

「──つまり容疑者はあなた達四人という事です」

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