12
白峰の言葉を聞いて、湊は昨日のことを思い出した。
「逆だ」と言った後に「容疑者は四人」とも言っていた。
あの時点で、彼の推理はここまで到達していたという事か。白峰に対して改めて慄きにも似た気持ちを抱いた。
改めて容疑者だと宣告された四人の高校生の顔色は明らかに変わっていた。
それぞれが怒りや、不安などが入り混じった複雑な表情を浮かべている。
「ちょっと待てよ。俺たちの中の誰かが木下殺したって言うのかよ」
怒りを孕んだ声を松本が白峰に飛ばす。いきなり犯人と疑われれば誰だってこんな反応を返すだろう。
白峰は松本の怒りを臆する事なく淡々と「はい」と答える。
「あなた方の中の誰かが木下さんを殺害したのです」
自信ありげにそう言う白峰に湊は少しだけ不安を抱いた。
彼の推理が間違っているとは思わない。けれど、この中に犯人がいるとも思えなかった。
もしかしたら……という気持ちが胸の奥でグルグルと渦巻いている。
「何でそう言い切れるのよ」
次に怒りの声をあげたのは香澄だった。眉間に皺を作り白峰を睨む。
「先ほども言いましたが、外から誰かが気付かれずに進入するのはほとんど不可能に近いんです。あなた方も怪しい人物は見かけていない。それなら中にいた人物による犯行だと思いませんか?」
そう言われて香澄は口を噤んだ。松本も反論をやめて、腕を組んで全部聞いてやろうという様子で白峰に視線を向けていた。
「では、お話ししましょうか」
授業の開始を告げる教師のように白峰はそう言って、改めて推理を語り始めた。
「今回の事件は犯人による隠蔽工作のせいで、かなりややこしいものになってしまいましたが、そのややこしい隠蔽があったからこそ僕は犯人の正体に気付けました」
「隠蔽工作?」
近藤が訊き返す。白峰は「はい」と頷いて床を指差して言った。
「血痕です」
一同の視線が床へと向けられる。だがそこにはただの古びた木の板しか映らない。
「この部屋で唯一ルミノール反応が出たのがその床板です。もしも床下からもルミノール反応が出たのなら僕は壁にぶつかっていたでしょう。ですが、反応が出たのは床板のみで、見ての通り血痕は残っていない。つまり犯人が拭き取ったのです。おかげで犯人を特定するに至りました」
ふと湊の頭の中で疑問が浮かんだ。
「え、でも木下友恵さんは倉庫で殺されたんですよね? ならどうして音楽室でルミノール反応が出るんです?」
湊がそう言うと、白峰は満足げに口元に微笑を浮かべた。
「その通りです。木下さんはこの音楽室では殺されていない。だとすれば何故この部屋から血液反応が出たのか……。答えは至ってシンプル、犯人が工作したのです」
「まぁそれしかないだろう」
近藤が同意を示すように頷いた。
「では次に何故そんな工作をしたのか? こちらも答えは簡単ですね、音楽室で殺害されていたように見せたかったからです」
こちらも単純な解答だった。犯人の行なったごく平凡な工作、これからどう犯人に結びつけるのだろうか。
「……ここまでは普通の工作ですが、犯人はここで一つ手を加えました」
左手の人差し指を立てて白峰は静かに言った。
「床に付けた木下さんの血液をわざわざ拭き取ったのです。これは明らかにおかしい。音楽室で殺害されたように見せたいのなら血は残しておいた方がいいでしょう?それなのに犯人は血を拭き取ったのです。何故なのでしょうか?」
この部屋にいる全員に向けて白峰が問いかける。
だが、その答えを誰一人として導き出すことは出来なかった。
「……犯人が隠蔽工作をした、と思わせたかったのです」
少し間を取ってから白峰が答えを出したが、今度はその答えに皆は首を傾げるしかなかった。
「わざわざ自分からバラしたのか? 隠蔽工作したと?」
近藤が前のめりになりながらも白峰に疑問をぶつける。
「そうです。音楽室での殺人を隠蔽しようとした。だから一度部屋から木下さんの姿を床下へ隠したのです。しかし、こうなると先ほどの話と矛盾しているように聞こえるでしょう。ですが、それに気付いた警察はどう考えますか?」
顔を近藤と若林の方へ向けて白峰が問いかける。
「隠蔽しようとしたのなら、そこで殺人が起きたと考える……」
近藤は少し考えてから言って、すぐに目を見開いた。
「そういう事です」
白峰は頷いて顔を高校生の方に戻した。
「音楽室で隠蔽に及んだと分かったら警察は音楽室での犯行だと決めつけるでしょう。事件を無かったことにしようとしてるんですからね。もっと言えば死亡推定時刻には四人の高校生が死体を目撃しているのです。今さら疑うところは無いと思うでしょう」
なるほど、と湊は思った。
確かにそれなら音楽室での犯行という事で話が進む。倉庫の方はただの遺棄としか意識は向けられない。
音楽室での犯行を隠すために、遺体を倉庫へと移動させた、という考えに至るはずだ。
「……ここで一つ疑問が出てきます」
少し悪戯な口調で白峰が言った。
「疑問?」
「犯人はどうやって血を垂らしたのでしょう?」
「あっ」と言う声がいくつか上がった。
「倉庫からこの音楽室まで距離があります。その廊下には一滴も垂らさずに音楽室まで血液を運ぶためには何かしらの容器が必要になる。そもそも木下さんの胸にはナイフが刺さったままだった。つまり血は噴き出してはないのです。そんな状態で血液を採取するのは困難です。注射器などあれば別ですが、そんな物は見つかってません。では犯人はどうやって音楽室まで血を運んだんでしょうか?」
誰もその問いには答えられない。皆目見当もつかないのだ。
「僕も同じように考えました。そして気付いたのです」
白峰はそう言ってポケットから何かを取り出した。
彼の右手に握られていたのは、何の変哲もない白いハンカチだった。
「ハンカチ?」
山井が声をあげる。予想外の答えに少し困惑しているようだった。
「そうです。このハンカチで犯人は音楽室に血を運んだのです」
「それじゃ血を垂らす事は不可能だろ」
白峰の答えに松本が反論した。白峰もそれに頷く。
「ええ。確かにこれでは血を垂らすのは不可能です。しかし、犯人がこれ一つで工作を成し遂げた事は証明出来ます」
「……?」
松本が怪訝そうに顔を歪ませた。
血を垂らさないで、どうやって血を拭き取ったというのか。
「犯人は床に付いた血を拭き取ったのではありません。血の付いたハンカチで床を拭いたのです」
白峰は高らかな声でそう告げた。
「なっ……」
松本の顔が驚きに変わった。
「わざわざ血を拭き取ったのもこちらが本命です。そうするしかなかったのです。音楽室で血液反応を起こすにはこの手しかなかった。木下さんの遺体の側には血の付いた布が落ちていたので、おそらくそれを使ったのでしょう」
そこでようやく湊にも分かった。
推理の途中で何が逆だったのか訊いた時、白峰は「工作です」と言った。この事だったのか。
「さて、ここまで分かれば答えはもうすぐそこにあります」
軽く手を叩いて白峰が言う。
「犯人は血の付いたハンカチで床を拭きました。つまり、その手には血が付着したはずです。しかし、皆さんの体からはルミノール反応は出なかった」
それを聞いて近藤が苦々しい表情になった。
「……そうだ。だからこの中に犯人は」
「いいえ。一人だけいますよ。手に血を付ける事なく犯行を行えた人物が一人だけ」
白峰は淡々と答えると、くるりと黒板の方を向いて何かを書き始めた。
「その人物は、最初に木下さんを発見した時、音楽室の扉に触れたにも関わらず指紋が残っていなかったのです。それなのに倉庫の方にはしっかりと指紋が残っていた。不思議ですね、指紋が出たり消えたりする人なのでしょうか? いいえ。そんな事は考えるまでもなくありえません。
となると考えられる可能性はたった一つ、犯人は手袋をはめていたのです。だから指紋は残らなかったし血が直接手に付く事もなかった。しかし当然ですが手袋には血は付いた筈です。だから犯行後どこかに捨てたのでしょう。なので倉庫の方には指紋が残ってしまった……。賢明な皆さんならもうお気付きでしょう?
その方は隙を見て倉庫で木下さんを殺害し、音楽室へ戻り血の工作を施して、手袋を処理し何食わぬ顔で皆さんと合流した……。そんな事が可能なのは二階で探索を行っていた人物以外にはありえない。そしてその中で手袋を使用していたのはただ一人」
チョークを置いて、白峰はゆっくりと振り返った。
だが誰も白峰の事は見ていなかった。皆の視線は一人の人物に向けられていた。
「あなたが犯人です」
冷たい口調で白峰が言った。
その人物は苦しげな顔で忙しなく辺りを見回して、逃げ切れない事を悟ったのだろう。剥き出しの右手親指の爪を噛んでから、
「くそっ……」
と吐き捨てるようにそう呟いて中川弘は力なく項垂れた。
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