3


「こうも事件が頻発するとさすがに疲れるな」

 盛大に息を吐いて、近藤は車を降りた。

 目の前にある大学は、赤いレンガ調の校舎が存在感を放ちながらそびえ立っている。どうやら今日は学園祭が行われているらしく、学生らしき男女が入り乱れていて、大賑わいだ。

「まだあまり情報は拡がってないようですね」

 後をついてきた若林がそう言う。近藤はジロリと若林に目を向けて、非難するように呟いた。

「お前には聞こえないのか?」

「えっ?」

 近藤に言われて、若林は耳をすまして周りの声を聞いた。

「体育館で誰か殺されたって! ツイッターで拡散されてる!」

「しかも殺されたの土屋だってさ! まぁ確かに恨まれやすそうだもんねあいつは」

「え、あの土屋くんが? すごい良い人だったのに」

 若林はすぐに顔をしかめた。最近の若者の情報の伝達する早さは異常だ。

「バレバレみたいですね」

「だな。おい、さっさと現場に行くぞ。ここにいたら囲まれかねない」

 近藤は鬱陶しそうに人混みを掻き分けて現場である体育館へと足を進めて行った。

 レンガ調の校舎から西の方に少し離れたところに体育館はあった。ドーム型で大きなその体育館は、バレーボールなどの高校大会などでも使われる事があるらしく、とても一大学の所有するものとは思えないくらいしっかりとした建物だった。車椅子の為のスロープが入り口まで伸びていて、入り口のガラス扉のすぐ傍には自動販売機が設置されている。

 ガラス扉を押し開けて中へ入ると、広々としたエントランスが現れた。隅々まで掃除の行き届いているようで、目立ったゴミなどは見受けられない。入り口のすぐ側には事務室があり、受付の学生と思われる青年が顔を覗かせていた。すぐ近くで事件が起きたせいだろうが、顔色は良くない。そしてちょうど真正面には体育館へと続くだろう重厚感のある大きな両開きの扉が見えた。

「近藤刑事。お疲れ様です」

 若い警官が入り口の所で挨拶をしてきた。近藤はそれに軽く答えてから様子を尋ねる。

「現場はこの先の体育館だな?」

「はい。事件が起きた時刻にはどうやら学生達が劇を披露していたようで、中には百人近くの観客と十数名の学生や教員の方が体育館内にいたそうです」

「全員待機させてあるのか?」

「はい。ステージから離れたところにひとまとめにして待機させてあります」

「ごくろう」と近藤は言ってから、革靴を脱いで用意されていたスリッパに履き替えた。その間に触れた清潔感のある大理石タイルの床はひんやりと冷たかった。

 これは冬は大変だな、とどうでもいい感想を抱いて、近藤は体育館への扉を開けた。

 改めて中に入るとその広さと眩しさに近藤は眉間に皺を寄せた。扉を開けて右手側にステージがあり、左側の隅、壁際にはパイプ椅子が用意されており、大勢の人が座っていた。突然入ってきた近藤に怪訝そうな視線を向けてくるのは数人で、後は俯いていた。

「流石に多いな」

 ため息混じりに近藤は零し、ステージへと上がった。

 ステージ上には汚れを防止する為か、ベニヤの板が敷かれていて歩く度に大きな音を鳴らした。

「なるほどな」

 近藤は小さく呟く。

 死体はステージのちょうど中央の位置で仰向けに倒れていた。腹部に深々とナイフが刺されていて、ベニヤ板にも血が広がっている。

「被害者の名前は土屋辰巳、この大学の二年生です。死因は言わずもがな腹部をナイフで刺された事による出血性ショックかと思われます」

 近くにいた鑑識の男が淡々と告げる。

 通報によれば、事件は劇の最中に起きたらしい。だが、それならすぐに解決するだろうと近藤は思っていた。

 簡単だ。ベニヤの板のせいで普通に歩くだけでも大きな音が鳴る。それなら犯人がどのタイミングで犯行に及んだのかすぐに分かるだろう。その時の状況を整理すれば必ず犯人に辿り着ける。難しい問題は一つも無いのだから。

「今回は力を借りなくて良さそうだ」

 満足そうに近藤は呟いてから、若林を連れて途方も無い聞き込み調査をする為にステージから下りて、集められた人達の元へと向かった。

「……あっ」

 若林が一点を見つめて小さく声を上げた。近藤も眉をひそめてその方向に視線を向けた。

 そこには、見知った顔が俯き加減で紛れ込んでいた。

「君もつくづく不運な人だね。こんなに殺人事件に関わる事になるなんて」

 近藤が声をかけると、その人物はゆっくりと顔を上げた。三ヶ月ほど前に大学で起きた学生の転落事件の時に初めて会った女子大生の、名前は確か一ノ瀬だったか。

 普段とはまるで違う、青ざめた顔だった。

「近藤さんですか……お久し振りです」

 彼女は挨拶をしてくれたが、普段の元気さは微塵も感じられない。

 前に犯人の疑いをかけられた時でももう少し強気だったのだが、流石に目の前で殺人事件が起きればそんな気分にはなれないらしい。

「あっ、前に会ったことのある怖いおじさん」

 唐突にそう声をかけられた。

 よく見れば、隣にもう一人少女が座っていた。

 一ノ瀬と同じく大学生だろうか。いや、それにしては少し幼い顔つきだ。ツインテールの髪の毛がより幼さを際立たせている。

「君は誰だったかな?」

 近藤が訊くと童顔の少女はあからさまに表情を変えた。

「酷いです! 忘れたんですか。湊を犯人呼ばわりしたの私は覚えてるのに」

 地団駄を踏む少女の言葉を聞いて、近藤はようやく思い出した。

 そうだ、確かにあの時側にはもう一人少女がいた。それが彼女だったのだろう。

「いや、申し訳ない。最近は物覚えも悪くなってきてね」

「え、記憶力が良いって所が自慢の筈じゃ」

「お前は黙ってろ」

 せっかく誤魔化そうとしたのに、早々に部下にネタばらしされるとは思わなかった。

 威厳を取り戻すためにわざとらしく大きく咳をしてから近藤は言った。

「だが、あの時は君の名前を聞いていない。つまり、君は誰だという質問もあながち間違いではない」

「私の顔は覚えてないのに、名乗ってないって事は覚えてるんですね」

「……」

 まさか墓穴を掘るのが自分だったとは。

 頬を引き攣らせて、近藤は愛想笑いを浮かべるしかなかった。横から若林の非難するような視線が刺さる。

「と、とにかく、事件の時の話を聞かせてもらえるかな?」

 近藤は強引に話を変えた。若林も手帳を取り出して仕事モードへと切り替わる。空気感がピリッと張り詰めたのが分かった。

「……本当に突然の事でした」

 少し間を置いて、湊がゆっくりと語り出した。





「……」

 聞き込みを開始して一時間ほどが経過した頃、近藤は強面の顔を更に強張らせた状態でバスケットボールで使用されるフリースローラインの円形の中で立ち尽くしていた。

 同じような顔で若林も手帳に視線を落としている。

「こんな事、あり得るんでしょうか」

 ポツリと若林は呟いた。出来る事なら信じられない、と心から否定したい。

 あの後、湊を始めとする百人ほどの観客の人達から事件が起きた時の話を聞いた。場面転換の為にステージの照明が落とされて真っ暗になった時に雨の音が流れる。そして雨の音が止まり照明が再び点灯した時、男はステージ上で倒れていた、というのは皆が口を揃えた事件の状況だ。それ自体は大体予想もしていたし驚きは無かった。

 だが、一つだけ大きな問題が現れた。ステージには汚れを防止する為にベニヤの板が敷かれていた。そしてそれは軽く歩いただけでも大きな音を鳴らすものだった。それなのに犯行時刻であろうステージが暗転したその時、足音を聞いたという人物は一人もいなかったのだ。

 暗くて犯人の姿を見ていないのは仕方ないと思うが、足音が聞こえないというのはあり得ない。もし本当にその通りなのだとしたら犯人は宙に浮いたりしてベニヤの上を歩かなかった事になる。普通の人間に出来る事じゃない。だが、観客の百人が全員共犯だなんて考えられない。

 被害者と同じくステージ上にいた劇参加者の人を一ヶ所に集めて話を聞いたがやはり足音は聞いていないという。しかも劇参加者は全員、事件が起きた時は誰かと一緒にいたのだ。一人になった人間はいない。それはつまり、劇参加者の中には土屋辰巳を刺す殺すなんて芸当を行えた人物はいないという事になる。

「どういう事なんだ……?」

 もう一度呟く。このままでは完全に手詰まりだ。

「やっぱり、土屋は殺されたんですか?」

 一人の青年がそう言った。劇中の衣装と思われるエメラルドグリーンの高貴そうな服に身を包み、その頭には王冠が乗っかっていた。

 名前は確か渡邊わたなべ克彦かつひこと言って、今回の劇の立案者だった筈だ。

 ほどよく焼けた肌と筋肉質な腕が衣装とミスマッチな気がするがそれは言わないでおこう。所詮は学生の催し物なのだから。

「……まだ殺しと断定するのは難しいですね。状況が状況なだけに」

 若林は努めて和らいだ口調でそう告げる。渡邊はその返答を聞いて「そうですか」と視線を落とした。

「やっぱり、というのはどういう事かな? 土屋辰巳さんは殺される理由があるという事かな?」

 呆然としていた近藤がいつのまにか意識を取り戻していて、渡邊の元へと歩み寄っていく。

 渡邊は顔を上げる事なく小さく頷いた。

「あいつは少し自己中なところあったから。……それに、特に女関係で問題起こす事が多くて」

「女関係?」

 復唱しながら若林は被害者である土屋辰巳の顔を思い出した。

 確かに女の子にモテそうな容姿だった。背は高いし目鼻立ちも整っていた。

「同時に何人もの女性と付き合ったりとか、まぁそんな感じです」

 そう言う渡邊の声には微かに怒気のようなものが含まれていた。

「つまり、恨まれていてもおかしくはないと」

「はい。劇に参加していた女子からも男子からもあまり好かれてはいませんでしたから」

「そうでしたか。何か他に知っている事はありませんか?」

「他ですか? ……そうですね、音楽をやってる弟と二人暮らしをしてるってのは知ってますけど……」

「分かりました。ご協力ありがとうございます」

「……犯人、捕まるといいですね」

 渡邊は含みを持たせて言うと、近藤たちから離れていった。

「……殺される理由はありそうですね」

 若林が耳打ちすると、近藤は難しい顔で唸った。

「だが、それなら足音の説明がつかない。あれだけの人数がいて誰一人足音を聞いていないなんて考えられん」

「それは、そうですけど」

 そうだ。この足音の謎を解かない限りは殺人の線で進めることは出来ないだろう。あの状況で足音を立てず、誰にも気付かれずに犯行を成し遂げるのは不可能に近い。

「これは、自殺ですかね?」

「違うと思います」

 若林の呟きは予想だにしない方向から否定された。隣の近藤からではなく、背後から声が聞こえた。振り返ると、湊がこちらにゆっくりと歩いてきていた。その後を真紀が付いてくる。

「違う、というのは?」

 近藤が問いかけると、湊は痛みに堪えるように顔を伏せた。

「……あの人は、自殺なんてする様な人じゃない」

 やがて、湊はボソッとそう言った。

「君は、被害者の男と面識があるのか?」

 近藤がそう訊くと、湊は力なく頷いた。心なしか、体が震えているように見えた。

「あの人は、人を自殺に追い込む事はあっても自分が自殺するなんて事はありえません」

 自分の体を抱きしめながら湊が言う。

 この子は深い何かを抱えている。なんとなくそう感じた。

 近藤もそれを感じ取ったのだろう。いつになく優しい表情を作って、俯いている湊の顔を覗き込んだ。

「もし良かったらでいい。君と土屋辰巳という男はどういう関係なんだい? ……話したくないのなら無理には聞かないが」

 湊は少し躊躇うような素振りを見せたが、ゆっくりと顔を上げると、深呼吸をした。

「……被害者と加害者です」

 そして少し掠れた声で静かにそう呟いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る