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 刑事たちが居なくなり、図書館の中は少し落ち着きを取り戻していた。

 あまりの変わり様に一瞬夢だったのでは? と疑いたくなるが、相変わらず窓の外では赤いランプが光っていて、事件そのものが夢ではないという事は明らかだった。

「あの、先程はありがとうございました」

 湊は本棚に寄りかかりながら読書にふける白髪の青年に頭を下げた。ちなみに、前髪で目が隠れてるのに本読めるの? と思ったのは秘密である。

「別に……たまたまですよ」

 本から目を離すことなく控えめに青年は言った。

「でも、お陰で助かりました。本当にありがとうございます」

「だからお礼は大丈夫ですよ。運が良かったんです」

「でもでも、凄かったね! あの怖いおじさんを黙らせるんだから〜」

 真紀は両手を合わせて、崇める様な視線を青年に向けている。

「本当に大した事じゃないですよ」

 困った様に青年は笑う。推理中とは違い、今は最初の印象と同じで控えめな性格の様だ。もっと誇っても良いと思うのだけど。

「あの推理には大きな欠点があるんです」

 不意に青年はそう言った。

 えっ、と湊と真紀は顔を見合わせる。欠点なんて、どこかにあっただろうか。

「どこですか?」

「傘をさした状態で突き落としたって部分です」

 青年が上げたのは、今回の推理で一番重要な部分だった。

「え?」

「傘をさしていれば片手しか使えないから、突き落とせないと言いましたが、傘を使わずとも雨に濡れない方法はまだ他にあるんです」

「……あっ! カッパだね!」

 真紀がまるでクイズに答える子供の様に手を挙げて答えたのを聞いて、湊もあぁ、と納得した。

 確かにそうだ。何も傘だけが雨を防ぐ道具じゃない。身に纏って雨風を凌ぐという代物もこの世の中には存在していた。

「そうです。カッパを着ていれば両手が使えるし、服や髪が濡れる事も無い。そこを指摘されたらあの推理は破綻するんです」

 青年は簡単にそう言うが、湊は余計に凄いと思った。

 そんな欠点がある推理で、刑事相手にあそこまで迫力を出せるものなのか。あの時は、完全に傘の事しか頭に無かった。もしもそれも計算の内なのだとしたら、やはりこの人は図太い神経の持ち主なのかもしれない。

 そこでふと、湊は疑問を抱いた。

「え、じゃあどうして私が犯人じゃないって思ったんですか?」

 傘をさしていたら武田を突き落とせない、そう思ったからこの人は私を犯人ではないと言い切ったと思っていた。だが、彼はその推理には欠点があり、その欠点を含めて考えれば、私が犯人の可能性は残っているはずなのだ。それなのに、彼はその推理で私が犯人ではないと刑事に示した。何故だろうか。

「それにはあの推理よりも明確な答えがあります」

 クスッと青年は笑った。唇が緩やかな曲線を描いていて、何となく艶やかだ。

「僕は今日

「へぇ……そうなんですか」

 何とも曖昧な返答をしてしまった。

 けれど、彼が何を言いたいのかが分からない。図書館に居たからと言って、それが私が犯人ではないという事の証明にはならないだろう。

「良いですか? つまり武田という人が落ちたその時も僕はこの図書館に居たという事です」

「……あっ!」

 そこでようやく彼の言わんとしてる事が分かった。

 私は、武田が落ちる所を見た。そしてその時、彼もこの図書館に居たのだ。

「つまり、武田君が転落した瞬間にこの図書館に居た私の姿を見ていた」

「そういう事です。簡単でしょう?」

 青年はおどけるように言った。

 湊は感心すると共に、猜疑心が強まるのを自覚した。

 突然現れて、謎解きを披露した掴み所のない飄々とした雰囲気を纏う白髪の青年。一体、この人は何者なんだろうか。

「そう言えばまだお名前を伺ってません。教えてもらって良いですか?」

 湊は意を決して青年にそう尋ねた。

 さっき刑事に訊かれた時ははぐらかしていたので、素直に教えてもらえるとは思っていない。だが、それならどうして名乗らないのか、問い質すつもりだった。

「名前ですか?……そうですね」

 青年は少しだけ躊躇した様に唸ってから、小さく頷いた。

「白峰と言います。白峰総司」

 そして、青年は軽く会釈をしながら名乗った。

 湊からプシューッと気合が抜けていく。

 まさか、こうもあっさり名乗るとは。

 そこでふと引っかかりを覚えた。白峰という名前、どこかで聞いた事があるような──。

 記憶を辿ってみるが答えは出なかった。

「……白峰さんはここの学生ですか?」

 気を取り直して湊は質問を続けた。

「そうです。法学部の二年生」

「え、もしかして同い年ですか?」

 まさか同学年だったとは。しかもこの大学で一番頭の良い法学部だなんて。

 それなら確かにあの推理も納得出来る。

「湊、この人凄いね。お付き合いするならこの人にするべきだよ」

 真紀が小さくそう耳打ちしてきて、湊はげんなりする。

 どうしてすぐそっちの方へと話を持っていくのか。

「真紀、今はそういう話いいから」

「何で?」

「何でも!」

 湊は強引にその話を断ち切って、白峰の方に視線を戻した。

「……白峰さん。一つお願いがあるのですが」

「何ですか?」

「武田君がどうして転落死したのか、調べて頂けないでしょうか?」

 湊のお願いに白峰は怪訝そうに首を傾げた。

「どうしてです?」

「武田君がどうして亡くなったのか、知りたいんです」

 あれだけ好意を向けてきてたくせに、今になって勝手にさよならだなんてフェアじゃない。

 白峰が小さく息を吐いたのが聞こえた。

「僕は警察でも探偵でもありません。調べたところで何かが変わるとは思えません」

「そうかもしれません。でも、真実が分かるかもしれない」

 少ない情報の中であれだけの推理を披露出来たのだ。この人なら、武田君の死の真相を解明出来るかもしれない。

「……それがあなたにとって良い結果になるとは限りませんよ?」

 数秒間を空けてから白峰は諭す様にそう言った。

 そんな事は分かりきっている。

「それでも、私は知らなきゃいけないと思うんです」

 彼の好意に応えられなかった私に出来る事は、彼の意思を理解する事だけだ。

 自殺なのか、他殺なのか。

 それだけでもはっきりとさせておきたい。

「……分かりました。お手伝いします」

 少し考えてから白峰は了承してくれた。

「僕なんかで力になるかは分かりませんけど」

「とんでもないです。百人力です!」

 今日会ったばかりの相手を高く評価し過ぎだとは思うが、あながち間違いではなさそうなので訂正はしない。

「では、早速行動しましょうか」

 白峰は読んでいた本を棚に戻し、寄りかかっていた背中を離してスッと立ち上がった。

 さっき髪の毛を触られた時にも思ったが、彼はかなり背が高い。

 しかもかなり細い体型なので、余計に高く感じてしまう。

「でも、何をするんです?」

 調べて欲しいとお願いしたが、具体的に何をすればいいのかは分からない。

「まずは情報収集ですね」

 そんな湊に白峰はフッと笑みをこぼした。

 それが、どこか悪戯っ子の様に見えた。

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