第33話:弟とは兄を見て倣うのが常なり(前編)



 ◆◇◆◇◆◇



「いらっしゃいませー」


 どうしてこんなことになったんだろう、といぶかしがりつつ、朝日は店内に足を踏み入れる。全世界にチェーン店を展開する、有名なハンバーガーショップ。しかし、その「全世界」の範疇にここ初城台は含まれていても、朝日の住む下田貫は含まれていない。


「きょろきょろ見回してどうしたの? そんなに珍しい?」


 朝日の前を行く夕霧が、振り返ってそう言う。


「そ、そんなことない」

「下田貫にはないもんね、こういうお店」

「悪かったな」


 あれから、「少し付き合ってよ」とこの少年に誘われ、朝日はここに連れてこられた。自然と彼の誘いに応じてしまったことに、改めて朝日は驚く。まったく、心の間隙にするりと入り込んでくる少年だ。



 ◆◇◆◇◆◇



「さて、付き合ってくれてありがとう。本当は奢らなきゃダメだったかな?」


 客席に向かい合わせに座るや否や、夕霧は朝日にそう言う。外見や態度は年相応なのに、妙に言い回しは芝居がかっているというか、大仰だ。


「初対面に近い君にそこまでしてもらう必要はない。ましてや、當麻の頭角に」


 朝日は首を振った。大仰なのは、狭霧で慣れている。


「四角四面だなあ。まあ、そんなところもきっと兄さんは気に入っているんだろうけれど」


 そこまで言ってから、夕霧は「今気づいた」というような顔をした。


「あ、気にしないでどうぞ。僕も適当に食べながら話すからさ」


 彼に促され、仕方なく朝日は「いただきます」と言ってから注文したサラダに口を付けた。ドレッシングの濃い味しかしない。


 少しずつ口に運ぶ朝日に対し、夕霧は対照的だった。いそいそとハンバーガーの包み紙をむくと、大口を開けてかぶりつく。豪快そのものの食べ方をしても、不思議と下品にならない。一重に、彼が人並みはずれた美貌の持ち主だからだろう。おまけに実に美味しそうに食べるため、見ていて気持ちがいい。


「あいつ……じゃなくて、狭霧の弟と言ったな」

「そうだよ。見ての通りね」


 夕霧は素直に答える。


「学年は?」

「中二。あ、桜木先輩って呼んだ方がいい? それと、やっぱり敬語使わないと怒る?」

「先輩はいらない。敬語も不要だ」

「ありがとう。肩肘張らなくて楽だなあ」


 楽しそうに夕霧は笑うと、兄と同じ長い髪が揺れる。びっくりするほどなめらかで光沢がある。


「わざわざこんな席を設けて、何が目的だ?」

「別に。桜木さんと話してみたかっただけ」


 同じ食卓を囲み、健啖ぶりを見せつけ、挙げ句の果てには「話をしてみたかった」と言う。何から何まで、この夕霧という少年は狭霧の写しだ。


「兄のようなことを言うんだな」

「ふ~ん、兄さんもそう言ったんだ」


 朝日の正直な感想に、夕霧は目を輝かせた。


「やっぱり、兄さんは桜木さんを相当気に入ってるんだね」


 その声には、純粋な好意が満ち満ちている。明らかにこの少年にとって狭霧という存在は、実の兄であると同時に心から敬愛すべき相手らしい。しかし、朝日はそんな夕霧を見ても「兄弟仲がいいんだな」とは思わない。あまりにも彼の好意は全身全霊で、それ故どこか不自然なのだ。


「いい迷惑だ。あいつの気まぐれに付き合わされて、こっちはまともな学生生活さえ送れない。生ける災難とは君の兄のような存在を言うんだろうな」


 だからこそ、試すつもりで朝日はあえて狭霧を非難する。これで夕霧が逆上するようなら、彼には細心の注意を払う必要があるだろう。わざわざトラの尾を踏むのは匹夫の勇でしかない。


「そんなこと言わないでよ。だって兄さん、高校に進学してからずいぶんと嬉しそうなんだから。気まぐれなんかじゃないよ」


 しかし、朝日の予想とは異なり、夕霧は敬愛する兄を頭ごなしに非難されても、顔色一つ変えない。


「嬉しそう?」

「そう。活き活きしてる。弟の僕が言うんだから、信じてよ」


 とりあえず、彼には人並みの理性はあるようだ。



 ◆◇◆◇◆◇



「桜木さんに出会えたから、きっと兄さんは幸せなんだ」


 突然夕霧にそんなことを言われ、危うく彼女は飲みかけの紅茶を吹き出しそうになるところだった。


「……どうしたの? 急にむせて」


 咳き込む朝日に不思議そうな夕霧の言葉がかけられる。


「わ、悪い冗談だ。角折リに会えて頭角が幸せだと?」

「そうだよ。僕には分かる。だって僕は、當麻狭霧の弟だからね。兄さんのことはそれなりに分かってるつもり」

「たいした自信だな。だけど、あいつは私なんかと関わらなくても毎日楽しそうに見えるが? 女子どころか男子にまで大人気だ。この上さらに何を望む?」


 夕霧は自信たっぷりにそう言うが、朝日はむしろ不信感を高める。


「でも、幸せではないよ」


 憂いを帯びた表情で、夕霧は首を振る。ただそれだけで、異性の心臓を鷲掴みにするような絵になるから小憎らしい。


「高望みだな」

「生きてるって言うのは、外面をちやほやされるだけじゃないんだ。ちゃんと意味がないと」


 夕霧は指先を紙ナプキンで拭くと、改めて朝日の方をしっかりと見た。


「ただ誉められて、うっとりされて、承認されるだけじゃダメなんだ。だってそれは全部、兄さんの表面を遠巻きに見ているだけ。そんなんじゃ、僕たち頭角の生きる意味は満たされない。もっと熱く、もっと激しく、この体に流れる異質な血を滾らせるような、はっきりとした生の実感が欲しいんだよ。それが痛苦でも、憎悪でも、殺意でもいいから」


 夕霧のその目に、朝日は見覚えがあった。それは狭霧の目だ。それも彼がこめかみから鋭角を生やし、頭角としての本性を現した時の、あの恐ろしい目だ。


(どいつもこいつも渇いているんだ)


 朝日はかすかに身震いする。鬼の気魄を吹き付けられ、当然人太刀としての本能が体の奥でうずいた。しかし、狭霧ほどの殺意はなぜか沸いてこない。


「でも、今兄さんは幸せだ」


 しかし、夕霧はすぐさま気魄を戻す。たちまちそこには、ひまわりのように明るく快活そうな美少年が一人いるだけだ。


「僕は、兄さんが幸せならばそれが一番嬉しいんだ。だから、桜木さんにはすごく感謝してる。ありがとう」


 急に改まって頭を下げられ、朝日は動揺した。


「礼を言われるいわれがない」

「まあそう言わないで。僕の気持ちだからさ」


 それにしても。つくづく、この夕霧という少年は兄を立てている。無条件で、しかも全身全霊で。いったいあの茫洋としたつかみ所のない狭霧の、どこがそこまでいいのだろうか。


「あいつを尊敬しているのか?」


 何気なく、朝日は尋ねてみた。


「う~ん、尊敬、とはちょっと違うかな。敢えて言うなら……」


 しばらく考え込んでから、夕霧は一言で自分を言い表す。


「……刷り込みみたいな感じ?」


 後ろに「?」がついているが、朝日にもそう言われて理解できるはずがない。


「よく分からないな」

「まあ、とにかく、桜木さんと出会ってから、兄さんは毎日楽しそうなんだ。だから、ちょっとしたお礼」


 あっさりと話題が変わり、仕方なく朝日は合わせる。


「兄さんについて、知りたいことはある?」

「いきなりなんだ?」

「知りたいでしょ? 我ら當麻の家が作り出した最高傑作。至純の頭角。人の姿を借りた異能。完全なる仕手。宿神の宿り木。當麻狭霧の……」


 夕霧は多彩な表現で自分の兄を形容し、そしていたずらっぽく朝日にウインクする。


「弱点とか、弱みとか、急所とか、ウィークポイントとか」


 朝日は仰天した。まさか、當麻の陣営からそんな提案があるとは予想外だ。


「き、君は兄を敵に売る気か? 裏切りだぞそれは!」


 どう考えても、夕霧の提案は狭霧に対する裏切りだ。わざわざ敵方に、自分の家の御曹司の弱点を教えるのは内通したいとしか思えない。


「そんなことないよ。だって、桜木さんは兄さんとまた決闘したいでしょ?」

「……なっ!」


 夕霧の一言は、鋭い一矢の如く朝日の心の真中を射貫く。再び狭霧と戦う。それは、あの夜の再現だ。人と鬼、角折リと頭角、異能と異能とがしのぎを削る、人外の夜がもう一度味わえる。それは、人太刀である朝日にとって至高の体験だ。そして今度こそ、狭霧に勝ちたい。胸に秘めた野望と衝動が、夕霧の一言で獣のように身をもたげる。


「兄さんだってそうだよ。またもう一度、あの血が沸き立つような戦いの渦中に飛び込みたいんだ。だって、そうすれば舞えるんだよ。頭角の兄さんと、角折リの桜木さんが舞うんだ。素敵な戦の舞を、我らが宿神の前で」


 夕霧はそう言うと、身震いしながら両手で自分の肩を抱く。自分で言っていて、どんどんと興奮しているとしか思えない仕草だ。


「ああ、想像するだけでわくわくするしぞくぞくする。きっと、古今無双の舞となるよ。なんて、羨ましい。でも、僕の兄さんだからこそ、その舞台に立つ資格があるんだ」


 少女のような顔立ちの少年が身もだえしながらそう言う姿は、背筋が寒くなるような倒錯を体現していた。ひとしきり盛り上がってから、夕霧は改めて朝日を見つめる。


「そのためのお膳立てだよ。僕は兄さんの幸せのためなら大抵のことはする。何でも、じゃないけど。どう? 少しは気が向いた?」

「ああ、よく分かった」


 朝日はうなずく。軽く悪寒がする。確かに夕霧の姿は見目麗しく、声は耳に心地よく、しかも性根は明るく優しいようだ。だが、彼は頭角だ。その放つ鬼気は、人の身を蝕む毒気でしかない。


「よかった。何が聞きたい?」


 身を乗り出す夕霧を、朝日は制する。


「悪いが、君に聞きたいことは何一つない」

「え?」

「敵の弱点を知ることは兵法の基礎だ。だから、それくらい自分でする。私が自分一人ではあいつの急所さえまともに調べられないのなら、あいつの前にもう一度立つ資格なんてない」


 朝日は淡々と事実だけを述べる。



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